「平和」って

2005年03月11日 | diary
 ジョンレノンにおける平和的観念、というお題にひかれて。
「平和」っていう言葉、わたしには、8月の原爆投下の日にしか認識しない言葉だ。そして、世界のどこかで起こっている争いをニュースで観ながら「日本って平和でいいなぁ」と言いながらお茶をゴクリ。多分そういうことに無意識でいられるからこそ平和なのだと思いながら…。

 《以前、何人もの宇宙飛行士に会い、話を聞いて歩いたことがある。宇宙遊泳しているとき、地球の一角で小さな花火のように明滅する戦火が肉眼でも見えたそうだ。人びとが暮らす都市の明かりもくっきりと見え、それが人の目覚めているあかしのように思えてならなかったという。私たちはちっぽけな一千万の豆電球だ。反戦デモも、路上の声も、決してむなしくはない。世界はゆっくり変わりつづけていく。恐竜はいずれ滅びる。あきらめてはいけない。人間精神の試みはつづく。》

宮内勝典さんの海亀通信の中の「戦争は止められなかったが」というエッセーの最後の一節だ。地球のどこかで戦争が続き人が死に、人々が平和への道のりを望む事は、当然のことなのだけれど、今の日本の若い人たちが、そういうことに無関心な人が多いのは何故なのだろう。子供のときは真剣に平和を願うけれど、いつしかその気持ちを失って、無関心になっていく。息子も自分の事や周囲のことにしか興味が無い。世界平和なんて人に任せるって。そんな風に育てたつもりは無かったのにぃ(笑)かつての学生のパワーは消え、若者のエネルギーは、専ら消費生活に向かっている。かくいう、若くは無いわたしさえもそうだ。お金さえあれば大抵の物は手に入り、解決できると思っている。それは錯覚なのだが。内に向かっていくエネルギーを、少しだけ外に向けていったら何かが変わり続けていくのだろうと、わたしも信じたい。

ジョンレノンミュージアムでこの春休みの3月30、31日に小学生から高校生まで無料で鑑賞できる企画がある。常に平和を望んでいたジョンが残した沢山のメッセージに、未来を託す若い人たちが触れて何かを少しでも感じてくれたら…。
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