両親と共に四人で川越に墓参に出かけた。
1週間の内にわたしは再び来てしまった訳だが、今日は休日なので地図を手にした観光客がどこの店や通りにも大挙して押しかけ、先日来た時とは違いやはり賑やかなほうが活気があって良い。
我が家の菩提寺は、蔵通りの中ほどにある法善寺という小さな寺だ。
わたしも、このお寺のお墓にいずれは入る予定。
そして、この寺には「虫食い奴」という元禄時代の武士、瀬川加左衛門の墓がある。
虫食い奴というのは、樽に腰をかけた奴髷の侍の像のことで、説明によると大変な悪食で腐った肉や虫を酒の肴にした大酒飲みだったらしい。
最近は川越も人力車が走り、それを見ながら母とあの辺りにキャバレーがあったとか、あそこはやる気が無い店だったのにすっかり変わったね、などと話しているとこの界隈の昔の姿が記憶の底から浮かんできた。
その変わりように、市や住民たちの努力がいかに英断で大変なものだったか考えさせられた。
帰りには、父が蕎麦好きなのでいつもの様に「鎌倉」に寄った。
ここの急な階段には、父は悪戦苦闘。
外国の若い人たちが箸と蕎麦に悪戦苦闘。
町内の役員がやっと今月終了になり、夜に最後の集会があった。
その頃には風も静まっていた。
幼友達のMさんと、帰りに近くのお気に入りのお店に寄りジャズを聴きながら「やっと終わったね」とビールで乾杯。
1週間の内にわたしは再び来てしまった訳だが、今日は休日なので地図を手にした観光客がどこの店や通りにも大挙して押しかけ、先日来た時とは違いやはり賑やかなほうが活気があって良い。
我が家の菩提寺は、蔵通りの中ほどにある法善寺という小さな寺だ。
わたしも、このお寺のお墓にいずれは入る予定。
そして、この寺には「虫食い奴」という元禄時代の武士、瀬川加左衛門の墓がある。
虫食い奴というのは、樽に腰をかけた奴髷の侍の像のことで、説明によると大変な悪食で腐った肉や虫を酒の肴にした大酒飲みだったらしい。
最近は川越も人力車が走り、それを見ながら母とあの辺りにキャバレーがあったとか、あそこはやる気が無い店だったのにすっかり変わったね、などと話しているとこの界隈の昔の姿が記憶の底から浮かんできた。
その変わりように、市や住民たちの努力がいかに英断で大変なものだったか考えさせられた。
帰りには、父が蕎麦好きなのでいつもの様に「鎌倉」に寄った。
ここの急な階段には、父は悪戦苦闘。
外国の若い人たちが箸と蕎麦に悪戦苦闘。
町内の役員がやっと今月終了になり、夜に最後の集会があった。
その頃には風も静まっていた。
幼友達のMさんと、帰りに近くのお気に入りのお店に寄りジャズを聴きながら「やっと終わったね」とビールで乾杯。