昨日の午後から晴れ渡った空。
今日の晴れを予感させる空。
それは、期待通りの、
こんな優しい空で明けました。
久し振りの爽やかな朝。
思い切り深呼吸。
こんな朝は、
ついつい朝の庭で長居。
(イケナイ、イケナイ、気を付けねば)
暫く、ナリを潜めていた蝉も、
ひとしきり鳴いたものです。
その蝉も、夏の終わりを予感させるのか、
鳴き声にも何となく哀愁を帯びているような、そんな気さえし・・。
それとも最後の夏を謳歌しているのかも知れません。
“・・・ 8月 の良く晴れた日であった。
ジミー・ジョン家の麦畑は金褐色をしており、
9月 は丘の後ろに待っていた ――” 【「丘の家のジェーン」 25.】
拙庭でも、秋を感じさせる可憐な野の花、
「水引草」 が、大分咲いて来ました。
こちらの9月は、どこに待っているのでしょう・・?
そして、どんな秋を連れて来るのでしょう。
新型肺炎だけは、お断りなのですが・・。
さて今、一番元気な花、セージ。
花期も相当長くなっています。
セージは薬効があるのは、
周知の事ですが、現代ではセージの
持つその強い芳香は、料理にも
欠かせないものとなっています。
又、花自体も鑑賞用としても
十分、楽しめます。
そうそう、セージの葉っぱは、
歯磨きとして使えます。
そのまま摘んで、葉っぱがボロボロになるまで使い、
又新しい葉っぱを取って繰り返します。
ただ、歯ブラシに葉っぱが入り込みますので、
ブラシは避けた方が無難かも分かりません。
今日は、今の季節にぴったりの ヘッセ の詩を紹介致します。
8月の終わり
もう諦めていたのに、夏は
もう一度力をとりもどした
夏は、だんだん短くなる日に凝り固まったように輝く
雲もなく焼きつく太陽を誇り顔に。
このように人も一生の努力の終りに、
失望してもう引っ込んでしまってから、
もう一度いきなり大波に身をまかせ、
一生の残りを賭して見ることがあろう。
はかない恋に身をこがすにせよ、
遅まきの仕事にとりかかるにせよ、
彼の行いと欲望の中に、終りについての
秋のように澄んだ深い悟りがひびく。
【「ヘッセ詩集」 高橋 健二訳】