【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

晩夏の薔薇~その2

2012-08-26 17:32:27 | 薔薇の追憶












8月 の懐かしいグレン村は
何と美しいのだろう! 
木陰を連ねた古い家々、
耕された牧草地、静かな庭。
西の空はさながら大きな金色の真珠であった。
(中略)
辺りは妙なる物音に満ちていた ――
眠そうな駒鳥の鳴き声、
薄暮の樹木を渡る風の素晴らしい、悲しげな、
柔らかなつぶやき、優美なハート型の葉を
揺らせながら銀のようなささやきを交わしている
ポプラのさらさらいう音、
(中略)
世界は気も狂いそうに
美しい音と色彩に浸っていた。
                   【「アンの娘リラ」 第3章】


   




   今日もカンカン照りの空となりました。
  夕立の心配もありません。
  朝、珍しく蝉が啼いたと思いましたら・・。

   何と蛁蟟(つくつくぼうし)。
  相変わらずの残暑で、いい加減うんざりですが、
  季節は確実に移ろっているようです。

   それにしても本当に、
  「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ・・」 と啼くのですね。

   いつも思うのですが、いつ、どこでどうして
  彼らにそのスイッチが入るのでしょう。不思議です。

   この蛁蟟(つくつくぼうし)にだけは
  ユーモラスなものを感じてなりません。

   思い込んで聞くと、その通りに聞こえるのですから。
  ある意味、心の代弁者かも知れません。
  













   



   さてもう一つ。
  季節の移ろいを感じるのは、こちらの薔薇からも。

   これも再三申していますが、晩夏の薔薇には虫がほとんど付かなくなり、
  最盛期の頃(5月)より、よりスリムに、より美しくなります。
  それこそ、丹誠込めた薔薇。

   そうそう全くの偶然ですが、丹誠の 「丹」 とは赤い色の事だとか。
  同時に 「赤」 は 「明るい」 に通じ、「明らかな」 とか、
  「正真正銘」 といった意味があるようです。

   の他人」 「裸々(せきらら)」 などがそうですね。
  こじつけもいい所ですが、晩夏の赤い薔薇の美に、ついこんな事を思ったりして。

   私などにすれば、「端麗 な薔薇」 を 「丹麗」 と書き変えたい位。
  ~なんて。ちょっと言い過ぎですね。