8月 の懐かしいグレン村は 何と美しいのだろう! 木陰を連ねた古い家々、 耕された牧草地、静かな庭。 西の空はさながら大きな金色の真珠であった。 (中略) 辺りは妙なる物音に満ちていた ―― 眠そうな駒鳥の鳴き声、 薄暮の樹木を渡る風の素晴らしい、悲しげな、 柔らかな呟き、優美なハート型の葉を 揺らせながら銀のような囁きを交わしている ポプラのさらさらいう音、 (中略) 世界は気も狂いそうに 美しい音と色彩に浸っていた。 【「アンの娘リラ」 第3章】 |
今日もカンカン照りの空となりました。
夕立の心配もありません。
朝、珍しく蝉が啼いたと思いましたら・・。
何と蛁蟟(つくつくぼうし)。
相変わらずの残暑で、いい加減うんざりですが、
季節は確実に移ろっているようです。
それにしても本当に、
「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ・・」 と啼くのですね。
いつも思うのですが、いつ、どこでどうして
彼らにそのスイッチが入るのでしょう。不思議です。
この蛁蟟(つくつくぼうし)にだけは
ユーモラスなものを感じてなりません。
思い込んで聞くと、その通りに聞こえるのですから。
ある意味、心の代弁者かも知れません。
さてもう一つ。
季節の移ろいを感じるのは、こちらの薔薇からも。
これも再三申していますが、晩夏の薔薇には虫がほとんど付かなくなり、
最盛期の頃(5月)より、よりスリムに、より美しくなります。
それこそ、丹誠込めた薔薇。
そうそう全くの偶然ですが、丹誠の 「丹」 とは赤い色の事だとか。
同時に 「赤」 は 「明るい」 に通じ、「明らかな」 とか、
「正真正銘」 といった意味があるようです。
「赤の他人」 「赤裸々(せきらら)」 などがそうですね。
こじつけもいい所ですが、晩夏の赤い薔薇の美に、ついこんな事を思ったりして。
私などにすれば、「端麗 な薔薇」 を 「丹麗」 と書き変えたい位。
~なんて。ちょっと言い過ぎですね。