義母の書道の先生が「委員」として出品されているというので
日曜日に群馬県立近代美術館を訪れました。
何年ぶりでしょうね、“群馬の森”は…。
思えば、28年前、長男の1歳の誕生日に訪れた事を思い出しました。
始めてヨチヨチ歩いたのが、ここの芝生広場でした。
ひと気のない広場は閑散としていましたが、
県展の会場は、老若男女で賑わっていました。
義母とゆっくり1時間以上かけて、ぐるり一周…様々な書を鑑賞しましたが、
力強い書体から、はんなりとした仮名文字、それに抽象画のような“墨の塊”まで、
本当に、ひとくちでは言い表せないほど、「書」とは奥深いものだと感じ入りました。
中国の西安碑林博物館で見た王羲之など書聖の文字も素晴らしかったけれど
こうして、何百点もの「書」を目の当たりにすると、
ここに至るまでに恐らく何回も書き直され、
何度も練習を重ねたであろう作品の一つ一つに
命が宿っているような気がしてきます。
そして、そこからは、作者の「書」への思い
やエネルギーが感じられるのです。
義母のお供ではありましたが、
慌ただしい日常を忘れ作品と向かい合う時間が持てたことで、
少しだけ、心に余裕が生まれたような気がしています。
私も、そろそろ本格的に
六十の手習いの準備をしなくては…(^^;;
(写真は、師の作品に観入る義母)
日曜日に群馬県立近代美術館を訪れました。
何年ぶりでしょうね、“群馬の森”は…。
思えば、28年前、長男の1歳の誕生日に訪れた事を思い出しました。
始めてヨチヨチ歩いたのが、ここの芝生広場でした。
ひと気のない広場は閑散としていましたが、
県展の会場は、老若男女で賑わっていました。
義母とゆっくり1時間以上かけて、ぐるり一周…様々な書を鑑賞しましたが、
力強い書体から、はんなりとした仮名文字、それに抽象画のような“墨の塊”まで、
本当に、ひとくちでは言い表せないほど、「書」とは奥深いものだと感じ入りました。
中国の西安碑林博物館で見た王羲之など書聖の文字も素晴らしかったけれど
こうして、何百点もの「書」を目の当たりにすると、
ここに至るまでに恐らく何回も書き直され、
何度も練習を重ねたであろう作品の一つ一つに
命が宿っているような気がしてきます。
そして、そこからは、作者の「書」への思い
やエネルギーが感じられるのです。
義母のお供ではありましたが、
慌ただしい日常を忘れ作品と向かい合う時間が持てたことで、
少しだけ、心に余裕が生まれたような気がしています。
私も、そろそろ本格的に
六十の手習いの準備をしなくては…(^^;;
(写真は、師の作品に観入る義母)