遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



......中学校のおはなし会で権現堂堤の伝説を語りました。伝説とは実在した人物の、昔ほんとうにあったかもしれないお話。5分くらいの元のおはなしをどうふくらませるか....

   巡礼の母の台詞を大幅にふやしました。すらすらと考えてもいなかった台詞が出てきます。女子が幾人か泣いていました。

   終わったあと 挨拶してドアまで行ったところ みんな 一斉に拍手で送ってくれました。うれしかったです。中学生は熱い、ゆきすぎるとクサイということになるのですがそういうものも決してきらいじゃないように感じます。出所に芯があれば 感じ取ってくれる....と思います。

   そのあと考えました。再話と創作の境目はどのあたりにあるのだろうか? 語りやすくするためのことばや格助詞、副詞などの変更、だ体からですます体へのチェンジは再話という段階ではないと思うのです。登場人物を絞るとか、特定の登場人物の比重を多くする....冗長な部分を削る.....今の時代 受け入れられないような設定やことばを入れ替える これは再話でしょう。

   それでは創作.....、芥川龍之介が『今昔物語』を題材にして「羅生門」「芋粥」「鼻」などの小説を書いたことは有名です。「地獄変」は『宇治拾遺物語』を題材としていますね。説話(昔話・伝説など)を元に新しい光をものがたりに投げかけたのが創作といってよいのでしょうか。芥川さんだけでなく 田辺聖子 福永武彦 夢枕獏はじめ多くの小説家が説話を題材にあたらしいものがたりを生み出しています。まるごとでないにしろ インスピレーションを与えられた小説ときたら 星の数ほどではないでしょうか? 

   わたしは語り部ですが、語り部とはストーリーテラーアンドライターでもあると思っています。若いころ、わたしは海外文学のほうがずっとずっと好きでした。想像のつばさをひろげて全く別の世界にゆけるからです。しめっぽい国文学は敬遠していました。わかい方たちがあたらしいものに向かってゆくのはサガだと思います。しかし古いもののなかに実は斬新なもの、五官を刺激し 潜在的な分野を刺激するものがある.....。

   埋もれたものがたりを発掘したい、そして若い方たちに感じてもらえるように再話や創作をして伝えてゆきたい。ものがたりは掘り出されるのを、光をあてられ輝くのを待っているような気がするのです。




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