9月20日 早暁 寝付かれぬまま 櫻井先生のHPを見ていた。今日は先生のお別れ会.....友人が誘ってくれた。語り手たちの会の方だけを対象にしたのではないとのことを聞いたが、それでも躊躇いがあった。ひっそりご焼香させていただいて 感謝や覚悟やもろもろの想いは伝えさせていただいたのだしという気持ち、同情のあるいは冷ややかなあるいは詮索の目線が耐え難いという気持ち あのレインボーホールで大波のような追慕の念に押し流されてしまうのではというおそれ......それでもゆきたい気持ちが鬩ぎあっていた。 ......わたしは思わず先生にメールを書いていた.....語り祭りで試みようとしていること、今のためらいの気持ち 眠くて眠くて夢うつつだった。
7年前のことだった、櫻井先生の70歳のお誕生日を祝う会がレインボーホールでひらかれた。70本の赤い薔薇を胸に臙脂のロングドレスの先生は微笑んでいらした。そのとき語られたのが”プシュケ”......希臘神話の妻と夫のものがたり 禁忌を犯し 愛する夫を失ったプシュケが数々の試練を 夫の力を借りて乗り越えるものがたり.....櫻井先生はたしか....ものがたりの最後にプシュケは蝶.....そして魂という意味だとおっしゃった。表面でみれば夫婦の愛のものがたり その奥にあるのは 罪と罰 試練を乗り越え 光となってゆく魂の遍歴と蘇りなのだった。
わたしは泣いた.....というか声を上げて慟哭したのだ。やさしくたおやかに 人間の本義 この世の摂理 を語るという先生の語りに圧倒された。聴き手のその日、聴き手の人生がある、それぞれの聴き手みなさんになにもかもがつたわるとは限らない、それぞれが受け取れる範囲でしか受け取れない.....それでいいのだということ、先生の語りにはだれもがなにかを受け取れるという優しさと平易さとその底に深さもあった。
わたしもその日 語らせていただいた。絵のない絵本から.....煙突そうじの小僧の話 前夜はじめて取り組んだフランス革命と矢車草のものがたり。語りの深さを知りながら 一晩で安易な気持ちで今日を迎えてしまった自分の心向きの低さに気づいて、そしていつか 魂について こんな風にわかりやすく 語ることができるのだろうかという絶望的な想いに駆られて わたしは帰りの電車のなかでも泣き続けたのだった。
........ホールはひとで溢れていた。そして祭壇には赤い薔薇と白百合。
ひとりひとりが1本ずつ薔薇をささげる.....ミチカさんのマリオさんの先生のご夫君の あたたかいやさしい目と目をあわせる、心をあわせる......語りかける先生の遺影.....片岡輝先生 佐藤涼子さんのまなざし。
........昨年の語り手たちの会の催し 夕顔のものがたりがビデオ上映された。いつもよりすこしくぐもった、でも華やぎのある声 懐かしい先生の声。終盤 物の怪にとりつかれ死んでしまった夕顔が淡々と語る......「.....この世に未練はありません。三歳の娘がおりますが、だれかが育ててくれるでしょう」.....それは先生ご自身の声のようにも思われ 涙を禁じえなかった。魂は身体の滅びがくるのをその前に知る、それは父のときも感じたことだった。
おわかれのことば
友人のやよひさん
「.....やよひちゃん わたし きっとハードカバーの本 出しますからね」と言っていらした......一冊どころか何冊も出されました」
「ずいぶんお話しましたけれど わたしがしゃべるのは舌で話す話.....櫻井さんのは吾が話す語りであったような気がします」(もしかしたら田中さんかもしれません)
ご近所の方
子どもが3歳から6歳になるまえまで (櫻井先生の)夕焼け文庫で読み聞かせを聞きました。よいこと、うつくしいことをたくさん教えていただいた.....その楽しさが忘れられなくて立川で文庫をひらき 34名のなかまたちと子どもたちのことでかかわっています。 教えていただいたことが人生のたいせつなことのきっかけになりました。
田中さん
「......家庭を大事にしながら 子どもたちをたいせつにできることがある.....わたしは子どもの家庭内での手伝い 櫻井さんは語り.....にとりくみました。おなべがぐつぐつ....という”ぐつぐつ”で 櫻井さんが”田中さんの”ぐつぐつ”はなにが煮えているのかどういうふうに煮えているのかしら....わたしのはどうかしら....”と言ったことが今でも台所でおなべを火にかけているとき思い出されます」
つづく
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