一昨日 千葉に行く日の朝 わかったことがあります。友人からの「伊太祁曾神社に参拝に行く」という手紙 から 伊太木曽神社を調べてみたら.....国譲り 名草姫にたどりつきました。語り部として「名草姫伝説」を語らせていただいておりますが 名草姫 は神武(イワレヒコ)東征のとき 攻め滅ぼされた名草の国の女王であり巫女であったといわれるひとです。とうぜん 名草姫の信ずる神は 名草山 であり いにしえの神でありましょう。
日前宮(名草神宮)の前にあったという伊太祁曾神社はスサノオの子を祀っていました。オオドシ(ニギハヤヒ・オオモノヌシ)はスサノオの第三子にあたります。日前國懸神宮の御神体は伊勢神宮の御神体 八咫鏡といっしょに鋳造された神鏡。 一枚は日前神宮 一枚は國懸神宮に。八咫鏡はアマテラスがスサノオの所業に怒ってあまの岩戸がくれ(戸隠)したとき アメノウズメが差し出したと古事記にある鏡です。日神 アマテラス 日前大神 ときますと 日前大神はニギハヤヒではないかとつい考えてしまうのです。國懸大神はどうなんでしょう....紀氏の始祖? 摂社に祀られている天道根命の五代目が名草彦命 名草姫命 国津神が天津神...ヤマトに滅ぼされていく過程 また 記紀編纂のウラを知るヒントが日前國懸神宮に隠されている感じがありますね。両神宮のあいだにある立ち入り禁止の場所にはいったいなにがあるのでしょう。
附録 他のサイトで天道根命が元ニギハヤヒノミコトの随臣とありました。となると日前大神=ニギハヤヒ(天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊) の確率は高いです。伊勢神宮といろいろな意味で対になっているようです。
伊太祁曾神社
祭神は以下の3柱。いずれもスサノオの子であり、木の神として信仰される神である。
- 主祭神 五十猛命 (いたけるのみこと) - 別名:大屋毘古神
- 配神 左脇宮:大屋都比賣命 (おおやつひめのみこと) - 五十猛命の妹
- 右脇宮:都麻津比賣命 (つまつひめのみこと) - 同じく五十猛命の妹神
古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、その地を開け渡したと社伝に伝える。
(日前宮(にちぜんぐう)と竈山神社(かまやまじんじゃ)と当神社を詣でることを「三社参り」と言い、貴志川線はこの三社の参拝者を運ぶことが目的の一つであった。竈山神社は名草にある。イワレヒコが名草を攻める前に兄彦五瀬命を葬ったところ。)
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日前神宮・國懸神宮
日前神宮 御神体は日像鏡(ひがたのかがみ) 主祭神 日前ひのくま大神 相殿神 思兼命 (おもいかねのみこと)石凝姥命 (いしこりどめのみこと)...鏡の鋳造者といわれる
國懸神宮 御神体は日矛鏡(ひぼこのかがみ) 主祭神 國懸くにかがす大神 相殿 玉祖命 (たまのやのみこと 明立天御影命 (あけたつあめのみかげのみこと 鈿女命 (うづめのみこと)
・思兼命 岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている
・明立天御影命は天津彦根命の子?
・玉祖命は玉造の神 岩戸がくれのとき玉をつくった。= 豊玉
・鈿女命は岩戸がくれのとき おもしろおかしくセクシーに踊ったとされる神
鎌倉期の『釈日本紀』は『大倭本紀』に曰くとして、昔、天孫が天降ったとき齋鏡三面と子鈴一合とを奉じたと述べ、「一つの鏡は天照大神の御霊代で、これを天懸大神といい、他の一鏡は天照大神の前御霊で、これを國懸大神という。今、紀伊國名草宮に坐す神である。他の一鏡と鈴は天皇の御饌の神となり、大神に奉仕した巻向の穴師の社の大神である」と記している。
・石凝姥命を治工とし、天香山から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡を鋳造したとき、最初にに鋳造された天照大神の御鏡前霊を日前國懸両神宮の神体として、後に鋳造された御鏡を伊勢の神宮の神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されていることから、この神宮に祀られる鏡が最も古いアマテラスの御鏡であることがわかる。
(穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社 大兵主神の正体については、八千戈命(大国主)、素盞嗚命、天鈿女命、天日槍命という説がある。)
・平安時代、宮中の温明殿に内侍所が置かれ、天皇の御位の印としての神鏡を納める忌辛櫃があったとされるが、この忌辛櫃の中には、三面の鏡があったとされ、一面は伊勢の分身で「伊勢御神」といい、一面は「紀伊御神」、残る一面は名称不明であったと言う。天徳四年(960)九月の内裏焼失の際、「伊勢御神」だけは無事であったが他の二面は焼けたという。藤原實資は『小右記』の中で、焼けた二面は、日前神と國懸神であろう、と論じている。
・朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇し、歴史上、神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前神宮と國懸神宮しかなかった。
・総称して日前宮(名草宮)という。
・日本で唯一、一つの境内に二つの同規模の神宮を持つ神社。独立した二社である。
・社伝によれば、当初、名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇十六年(紀元前14)に現在地に遷座したとする。
・伊太祁曾神社の社伝では、元々この地に伊太祁曽神社があったが、紀伊國における国譲りの結果、日前神、國懸神が土地を手に入れ、伊太祁曾神社は現在地に遷座したとする。これについては、日根輝己氏が「紀氏は大王だった」という著書の中で非常に興味深い説を唱えられており、一読の価値はある。彼曰く、日本神話のアマツカミとクニツカミの間で行われた國譲りが実はこれではないか、という話で、舞台は出雲ではなくこの地にいたイズモ族である、と。ちなみに、彼は『同じ社地に二つもアマテラスを祀る神社を作ることは考えにくく、國懸神宮は大豪族紀氏の祖神を祀るもの』ではないかと考えている。
・熊野詣が流行った時代には、途中に参詣に人々が訪れたといわれる。現在の規模は往時の1/5。
摂社
天道根神社
・祭神は天道根命。
・天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、紀伊國を賜り初代國造職に任命された。
・紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継いだ。
・明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められた。
中言神社
・祭神は名草姫命および名草彦命。
・名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目にあたり、また夫婦神として名草姫命と御一緒に中言神社として奉祀される。
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籠神社 - 元伊勢の最初の神社。(祭神の彦火明命はニギハヤヒの別名と社伝にいう)