きのうは例会だった。語り継ぐ戦争と平和学校公演の反省会 そして全員の感想文を回し読みした。このことはあとで書くことにする。とても重いそして わたしたちにあまりある感謝と喜びと涙をもたらした感想の数々だったから。
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まず 自由な語りを制約するものはなにかを問うた。語り部によってジャンル(昔話 神話 滑稽な あるいは歴史上のあるいは文学 あるいは浄瑠璃とか)とか傾向とかがどうしてもでてくる。どのようなものがたりでも あるいはどのような 人物でも (たとえば英雄 神 悪魔 子ども ろくでなし 動物 etc )でも語る自由は持っていたい その自由を阻害するものはなにか....
男女 年齢 人生経験 知識 想像力 感情移入できるかどうか.....などが出た。
そのうえで語り継ぐ戦争と平和のエピソードのひとつ 「波多先生」をひとりずつ語ってもらう。これはSさんの語りの印象がとても強いのでひきずられない コピーをしないこと けなげでひたむきな明るい少女に見えるSさんの節子さんだけれど もっと違う節子さんでもいいのではないか ひとりひとりの中には数々の記憶や人格が眠っている それを堀り起こしてとりあえずよすがとしてつながりをつけて語る......
カタリカタリのメンバーの語りはみな誠実だが 語りには飛翔があってもいいと想う。いくつか ひらめきは感じたが 1回ではむつかしいかもしれない。あとで何歳の節子さんだったの と訊いたら おひとりが60歳になった節子さんが回顧して語っているシチュエーションで語ったという。とても14歳にはなれないのでと。たしかに遠い記憶から語っている感じがあった。 わたしも語りたくなって 語ってみた。8月6日 雑魚場町で疎開作業をしていた二年西組 あ B29 だれかが言う。 一筋の閃光 一瞬にしてあたりは暗闇となり やがてまっかなほのおがめらめらと上がりあたりは昼間のようにあかるくなる そこに見えたものは.....
4.5分のものがたりだが 動悸が激しくなり わたしは二度胸を押さえた.... ずいぶん遠くまで行った気がした。それから しばらく 帰ってこれなかった。14歳だったように思うが ほんとうのところはよくわからない。
制約は自分でつくるのだと思う。自分に制限をつけたらそこで止まってしまう。自分を信じて語る。器として差し出す。身体にまかせる。すなわち呼吸 ..... 語る器としての自分を磨き続ける。ただそれだけだ。感情をよすがに語るのは私は必ずしも賛同しない。あたまでつくりあげるのはもっと気に染まない。
あしたは幼稚園年長さん 最後のおはなし会 はじめてのものがたりばかり 仕事のかえり 上島珈琲で内容を決めた。リア充 と息子はいうけれど 現実が 真っ白に燃え尽きるほど充実していると ブログを書く暇もない。あしたこそと思う。このブログはほんとうにいい読者に恵まれていたのだけれど 中国についての過剰な報道について書き出したら 2.3あやういコメントがあり 見ないで削除いたしました。