子ども会の語り(戦争の語りを頼まれました)のために学童疎開を調べていたら三河地震にぶつかった.....
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三河地震は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したマグニチュード6.8の直下型地震である。 また、1945年の終戦前後にかけて4年連続で1000人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の一つである。
三河地震 東南海地震は甚大な被害と多数の犠牲者を出したにもかかわらず、当時の「軍機保護法」と報道管制により徹底的に隠され、新聞は被害を小さく見せるため三面に小さく報道した。一方、地震の情報をキャッチしたアメリカの新聞は一面に「日本の中部に地震」「軍需工場に大々的打撃」などと大きく報道した。犠牲となった疎開学童の人数は東南海大地震で6名、三河大地震では55名に
1 そこで 四つの終戦前後 に固まっている大地震について調べてみた。
鳥取地震 マグニチュード7.2 1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒 震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。震源の深さ0km
昭和東南海大地震 マグニチュード8.0 1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分 震源の深さ20km
三河大地震 マグニチュード7.1 1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分 震源地は三河湾( 北緯34度42分06秒 東経137度06分48秒)、震源の深さ 10KM以下
昭和南海地震マグニチュード8.0、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km(北緯32度56.1分、東経135度50.9分、深さ 24 km
例によって 震源が浅い.....
2 東南海事件については NHKの良心名古屋放送が深夜番組でつたえてくれた...
隠された東南海地震 消されたNHKアナウンサー夫妻 → こちら
東南海地震波形
上が核実験波形 下が自然地震
3 さて アメリカは 「プロジェクトシール」という日本に地震を起こす計画を立てていた
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「PHYCHOLOGICAL WARFARE EARTHQUAKE PLAN AGAINST JAPANESE HOMELAND」と書かれた「原本資料」のタイトルの意味は「日本本土への地震兵器による心理的軍事作戦」です。米国は66年以上前から地震兵器を研究、所有しており、この機密計画書は2005年4月に米国で公開されました。
この報告書によれば、第二次大戦末期の1944年にカリフォルニア大学のバイヤリー教授を中心とする地震学者たちが総動員され、「日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるかシミュレーションを繰り返した」と書かれています。ここでいう「強力な爆発物」とは、当時開発まもない「原爆」のことです。
この文書には「日本本土攻撃作戦」の副題が付けられ、「悪魔の攻撃」と呼ばれる章では、「日本人の目を覚まさせるには地獄に飲み込まれたと思わせる必要がある。そのためには、地震を恐れる日本人の特性を徹底的に突くべし。地震攻撃に勝るものはない」と定義し、この一連の報告書には第二次大戦の終戦方法について「人工地震兵器で津波を起こして日本を降参させて終戦するか、原爆を落として終戦するか」と会議された記録もあります。
当時の米軍における研究開発部門の責任者であったスタンレー・ロベル博士やマーシャル・チャドウエル博士の分析によれば、「日本の周辺にある海底のプレートをピンポイントで爆破すれば、巨大な津波を発生させることが可能となる。目標とすべきプレートの周囲8Km内に爆弾を仕掛ければ、1年以内に狙った場所で地震を起こすことができ、津波も誘導できる」と結論付けています。
東南海地震、三河地震――第二次大戦末期、すでに「地震・津波兵器」は、日本の軍需工場地帯を襲っていた
この機密計画書の最後には「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショック療法ともいえる」と記され、その会議以降、その年の内に地震兵器はそれが強大な兵器による人工的な日本への攻撃であることを知られずに、あたかも自然災害でもあるかのようなふりをして終戦直前ついに実用化された模様です。
その実用が1944年12月7日です。志摩半島南南東沖約20Kmを震源として発生したM7・9の「東南海地震」。愛知、三重、静岡などで1223人の死者・行方不明者が出ています。
米国の新聞は、「観測史上最大規模の大地震」、「大阪から名古屋にわたる軍需工業地帯に大損害」と誇らしげに戦果を報じています。このときの津波は15mにも達し、志摩半島南岸などで村々を壊滅させたといいます。当時、米国が攻撃目標としていた、三菱重工、安立電気、中島飛行機などの工場乱立地帯がピンポイント的に壊滅的打撃を受けました。大地震が起こったのがちょうど軍需工業地帯だとは、いかにも出来すぎた話でおかしいと当時から度々うわさされていました。さらにこの地震に追い打ちをかけたのが、B29爆撃機編隊による名古屋空襲でした。終戦の年、1945年(昭利20年)の1月13日にも愛知県で直下型の「三河地震」が発生しました。M6・8、死者2306人に達する大地震です。
2011年3月11日、東日本大震災の勃発の初期のデータを見ると、
14時46分にM9.0の地震が起き、その後、第一波の津波が起きました。
そして地震発生からちょうど20分後にすぐ近くで15時06分にM7.0の地震が起き、第二の津波が起きました。
さらにちょうど20分後の15時26分に今度は離れた地点でM7.2の地震が起き、第三波の津波が起きました。
さらにちょうど20分後の15時46分にM5.7の地震が起き、第四波の津波が起きました。
どうでしょうか。ぴったり4回、20分ごとに地震が起こるというのは、自然界では天文学的な確率であり、絶対ありえないことではないでしょうか。
「誰かが20分ずつ時間をずらして津波の影響を見ながら地震兵器の起爆を繰り返した」と考えるのが妥当ではないでしょうか。
もしこれらの地震や津波が自然現象によるものならば、津波は東北地方沿岸だけでなく、平等にアメリカ本土にもハワイにも同じように強く流れ込むのが通例です。
ところが今回は日本だけにピンポイント的に強烈に流れ込んでいる。これは潮の動きを考慮して津波が日本本土到達時に最大になるよう繰り返し予行演習して計算しつくされた人工的な異常現象です。
以上
4 アメリカは太平洋戦争時に地震兵器をつかったか
人工地震かどうかという判断は 地震波形と震源の深さが浅い 素人のわたしにはそれしか区別がつきません。昭和東南海地震については地震波形+ 震源の深さ 当時 アメリカがまいたビラなどから 人工地震説が有力のように思われます。亡くなられたNHKのアナウンサーご夫妻 に哀悼と感謝を捧げます。
他の3つの地震は震源は浅いのですが 波形が見つかりませでした。ですから 確証はないのですが 短期間にこれほどの大地震が固まっておきること それも終戦前後という微妙な時期に重なっておきるのはあまりに都合がよいというか不自然な気がします。限りなく灰色 黒に近い灰色 特に三河地震は....それが わたしの心象です、 戦後に起きた昭和南海地震については 前の地震の連動で起きたのか 仕掛けがあとで利いたのか 実験の仕上げなのか それとも日本政府になにか要求があったのか そのどれかだと思います。
アメリカはトリニティ (三位一体 どなたとだれとどこなんでしょうね?) で核実験ををしたあと もはや「死に体」 の日本に原爆を落とし一般のひとびとを殺戮しました。それもごていねいに りとるジョン ウラン型 ファットマン プルトニウム型を落とし 戦後 ABCC
が治療もせず被爆者を研究したのは有名な話です。 → こちら
原爆投下は戦争を終わらせるためではなく 実験でした。.....当時 あめりか人にとって日本人はサルにも等しく 実験として殺戮してもなんの痛痒も感じなかったのです。(もっとも自国の貧しい人々も実験につかっています) ヒューマニズムとはほど遠い悪魔の国です。地震兵器の実験をするのも日常の感覚でできたのでしょう。日本も701部隊でひとをひととも思わぬ人体実験をしました。
5 アメリカはこれからも地震兵器を日本に対して使うか
自然災害の振りができる兵器 こんな便利なお道具はありません。アメリカが手放すハズがありません。脅すのにこんないいものはありませんから 日本近海 ことに南海トラフ 東南海 東海 くまなく仕掛けがはりめぐらされていることでしょう。このあいだは空振りでしたけどね。
このような気狂いじみた国をトモダチ あるいは 宗主国に持つ 日本の国民はどうやって身を守ればいいでしょうか?
① そなえよつねに 水 食料 その他
② 人工地震のほんとうのことを まわりにつたえましょう。TPPの実態も。アメリカという国の狂気を伝えてゆきましょう 徐々に ひとびとは気がつきはじめています。