遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   わぁーーい やりました 真央ちゃん!! えみさん 桜子さん ありがとう!

しかも!! ギネス側から日本スケート連盟に記録認定を伝えてきた異例のケース!!近日中に授与式が行われる。

      アイスショウで...

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もうひとつ→コチラ

浅田真央さんのギネス認定に納得できない韓国は→コチラ

..... 6月 ソウル公演!? ちょっと心配です。




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みなさま おはようございます。


サイコロの一点もの日記は→コチラ

なるほど.....と思いました。


マイケル①でとまっていたのですが 数ヶ月振りに再開できそうです。
書くのはつらいけどようやくマイケル②......



Aさま

心からの提言 ありがとう。わたしほんとうに感謝しております。これからもどんどんおっしゃってね。それこそ 友というものです。もっと先に行こうという気持ちになります。沁みいるような.....とともにパワーもまた必要です。ともに歩いてまいりましょう。

仕事苦戦しています。さぁ 行くぞ!!






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日本ばかりじゃないフィギュア世界選手権eurosport放映の怪は→コチラ

鐘 007採点付映像比較は→コチラ


フジテレビ荒川静香さんの消された解説部分BSフジ版は→コチラ

地上波版は→コチラ

フジテレビの言い訳は「荒川の今後のコメントの信用に関わると思ったから」とか....

「大歓声がブーイングに変わりました」の映像は→コチラ

日本の国旗をCGで消したという情報もありましたがフジテレビの申し立てで映像が削除されており、確認にはいたりませんでした。

浅田選手はなにをひろったのでしょうは→コチラ



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井上リサさんの絶対美学研究室は→コチラ

抜粋
.......この『鐘』という浅田の作品は、フリー・スケーティングだけで独立したプログラムではない。実は、ショート・プログラムでさらにブラッシュ・アップされた『仮面舞踏会』とは通底したテーマがある。それは、浅田にとっての「死」を意識したメメント・モリ(Memento mori)的空間を身体化する行為だ。それを浅田はショート・プログラムでは『仮面舞踏会』の音楽と物語に乗せて、死にゆく人間の「死の舞踏」的狂気、乱舞、錯乱を、グリューネヴァルトのタブローのように、狂おうしくも美しく見事に演じ切り、これまでの清廉、可憐なフィギュアの妖精から、何者をも寄せ付けない“絶対狂人”としての浅田真央になったのである。.......


......『鐘』が表す世界とはどんな世界であるのか。これは中世暗黒時代の欧州の歴史とともに欧州人の記憶の中に潜在的に刷り込まれたものである。それは時に大災害や疫病や戦争であったり、または神の逆鱗にふれる出来事であったり、このような鬼気迫る状況の中でけたたましく鳴らされるのが『鐘』なのである。....... 赤を基調とした衣装で颯爽とリンクに登場した浅田真央は、その胸の内に堆積した怒り、悲しみ、叫び、様々な情念を、まるで観客の我々までも焼き尽くすかの如く迫力で「死」のダンスを始めたのである。浅田が『鐘』で表した空間は、リンクの内も外も炎で包まれたような空間であり、その炎の輪の中を、人々の怒りの情念で召喚された魔物が焼け焦げた屍を蹴散らしながらぐるぐると旋回しているのである。.....そしてこの阿鼻叫喚の状況の中でその“魔物”と化した狂人・浅田真央は、全ての物を焼き尽くした後、終曲に向けて自らもその炎の中へと突っ込んで行った。何もかも焼き尽くされて昇華される事で、やっと我々人間の穢れた魂は浄化され、ようやく福音書(EVANGELION)の1ページをめくる事が許される――これが4年間の「場」と「空間」の共有の中で完成された、浅田真央の『鐘』という作品なのだ。......

    智砂子さんはエロティックな....といいました。エロスと死は表裏一体のものですが、受け取るひとによって作品の世界観はさまざまです。

    わたしは優れたフィギュアスケートは胸を振るわせるストーリーだと思っています。ですから語り部としてとても魅かれるのです.....古くはボレロ.....がそうでした。音楽に合わせて氷上で踊るというような次元と一線を画す まさに芸術にふさわしいパフォーマンスがあります。

    そしてすぐれたものがたりとは文学にしろ音楽にしろ演劇にしろ語りにしろ 受け取ったそれぞれのひとの魂に響き 唯一無二のものがたりとなる。浅田真央の”鐘”を震えながら受止めたひとそれぞれにとって鐘はおなじものがたりではない。それでよいのだと思います。それこそ 007とはまったく違うステージのものだという証明なのだと思います。

    また昨年度のフリースケーティング”仮面舞踏会”と鐘が重層構造になっているという指摘は慧眼です。しかしながら わたしは井上さんの.....少なくても、寂れた歓楽街の大衆芸能のようなものとは同じ座標で語るものではない。.........ということばには賛同しかねます。大衆芸能のなかにこそエロスと死の交錯した類まれな一瞬もあるのです。ものがたりの根底にあるのは......つねに生と死.....そして再生といわれているのをご存知でしょうか。

    紅蓮の炎に灼かれ 新生した”浅田真央”は来シーズン わたしたちにどのようなものがたりを見せてくれるでしょう。......くびをながーくして待つのも喜びですね。






    

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ホスピタリティの場所からは→コチラ

抜粋

.....けだし、圧倒的にフィギュアは、東洋人の覇権となってしまいました。これを白人西欧人たちが黙ってみていることは絶対にありえない。東洋人が勝てない仕組みを必死につくっていくでしょう。スポーツ世界は、すべてそうなっています。東洋側、とくに日本側の指導者たちはここに、あまりに無能、無策です。選手たちを超えた次元で、おきていることですが、最大の犠牲者は選手たちになります。やわらちゃんさえ柔道で金をなかなかとれないようにさせられてしまったのです。


   世界フィギュア協会が、もうおそらく現れないであろう真央の存在を世界の財産であるとみなしてそれを大事にし育てうるのか、それとも黄色人種としてしかみなさないのかによって、まったく真央がおかれる環境は変わっていく。それをつきぬける真央の純粋さがありえるとはおもいますが、過酷な環境になることは不可避ではないでしょうか。

   真央の挑戦と闘いは、<超>純粋性の次元にはいるというのは、こういう規制をこえていく感動を彼女が、うみだしていくとおもえるからです。


   真央をこえるべく闘い自らを形成してきたキムヨナが創造した世界がある、それはもう完成されてしまい、今回のように、ほんの1秒で崩れてしまうほかないところへきてしまった。その、圧倒的な偉大さは、オリンピックでおわってしまった。あれ以上の演技は、もう永遠にできないでしょう。金メダルのためだけの演技ですから。

......

   そして、真央は世界中から、レスペクトされていくでしょう。これからは、真央が前人未到の閾を創造していく段階です。3つのトリプルアクセルでそれは、もうスタートしています。氷を融かし、氷をうごかし、そこからとびだしていく、偉大な演技をみることができる、わたしたちは、かつてのニジンスキーの時代に生きたひとたちのように、とんでもない時代に同時に直面しているのではないでしょうか。

.........

   わたしにとって、いま、偉大さとはなんであるのかと問われたなら、この浅田真央というひとりのひたむきな純粋に挑戦しつづける自己テクノロジーの表出である、と躊躇なく答えます。



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   ニュースゼロがテロップでお詫びを出したようです。相当な抗議が行ったのでしょう。

これがその映像 →コチラ

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