音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

病院巡りで思ったこと

2020-07-28 22:51:45 | 日記
月曜日は母を心臓の検査に連れて行きました。
父が退院してから心房細動を二回起こし検査することになりました。

朝9時に家を出て、父をデイサービスにおくりだし、京都医療センターまで。

血液検査、心電図をとって



病院のコンビニ弁当を食べて、

心臓外科で一時間ほど待っていたら、看護士さんがやって来て「レントゲン撮りましたか?」
「え?」
「先にレントゲン撮って来てください。」
案内を見たら放射線科にも大きなピンクの丸をしてありました。
『さっき行かなくていいの?と聞いたら、自信たっぷりに「いい。」って、言い切ったやつ。』

言っても仕方ありません。
放射線科に逆戻り。
1時間半もロスしてしまった。

6時間病院にいました。
ちょっとスーパーで買い物をして帰ろうと思っていたのに、父がデイサービスから帰って来る時間です。

急いで帰還。
しかも、心房細動は発作が起きているときに見ないとわからないらしく、また来週もう一回…がっくり。

モーツァルトもメンデルスゾーンもビゼーも30代で亡くなったので、こういう問題とは無縁でした。

長生きしていればどんな音楽を書いていたでしょう?

子どもの心拍数は速く、保育園や幼稚園での音楽は速めに演奏すると受けます。

それに比べて、年配の方の心拍数はゆっくりしているので老健での訪問演奏は、ゆったりと演奏するといいとS先生にアドバイスを受けたことがあります。

昔は20歳で体力、知力のピークが来て、後は衰えるばかりと言われていましたが、新しい知識や情報を取り入れ、80代でも人は成長し続けることができると言われています。

未曾有の高齢化世界。
硬直した世界で生きるか?
柔軟な世界で生きるか?








リノスの歌

2020-07-28 00:05:29 | 名曲
今日夕方家に帰るとジョリベの「リノスの歌」が着いてい
ました。

アンドレ ジョリヴェ (1905年から1974年)パリ生まれ
ピアノとチェロを学び 1度は音楽家を諦め ソルボンヌ大学で 哲学を学び ました。 卒業した後に 兵役を務め 教師になり、25歳の時に 近代和声や対位法を学び シェーンベルク、ベルク、バルトーク の作品を研究しました。

エドガー ヴァレーズに師事。
1930年代、植民地博覧会や 北アフリカへの旅行を通して 異国的、 異教的 音楽に目覚めました。

調性音楽から自らを解放することを目指していました。
第二次大戦中から 調性 旋律に基づく叙情的な作風を取り入れ 戦後は 呪術的な音楽と 叙情的な音楽を統合した曲を作曲しています。

リノスの歌は 1944年 作曲。


「ギリシャの 古代文明 におにおける挽歌の変形 すなわち葬送の悲歌、叫びと踊りが交錯する哀歌である」
と冒頭に 書かれていて パリ音楽院 卒業試験の課題曲として作曲されました。

「哀歌」 「熱狂 」「舞踊」
が繰り返し 展開される構成です。

リノスはオルフェウスの兄弟で、死んだ英雄を悼む歌を奏でる神です。

英雄ヘラクレスの竪琴や 歌と学問の師でした。

竪琴をうまく弾けないで師匠に叱られたヘラクレスは、その仕返しに竪琴でリノスの頭を殴り、殺してしまいました。

葬儀の祭壇でオルフェウスが彼を悼み「リノスの歌」を歌いました。

1944年という年代を考えると 第二次大戦の 影響を考えずにはいられません。