音楽の喜び フルートとともに

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2022-06-07 15:00:42 | 近代
筑前橋から見た景色。
あのビルの間に見えている方向に海があります。
ゼロメートル地帯が続くこの辺は。潮によって海から川に流れ込んでます。
どんな暑い日でも、夕方になると海風が吹いて涼しくなります。


こんなにビッシリとビルが建っても、変わりません。
フルートアンサンブルのメンバーのTさん、沖縄の海に年4回行ってスキューバダイビングをして魚の写真を撮るそうです。
多分70歳を越えておられます。
すごい!いいなぁ!

クロード ドビュッシー(1862-1918年)フランス帝国サン・ジェルマン アン レー生まれ、フランス共和国パリ没

の交響詩「海」管弦楽のための3つの交響的素描は、
1903~1905年に作曲されました。

第1楽章 海上の夜明けから真昼まで
第2楽章 波の戯れ
第3楽章 風と波の対話

の3楽章からなっています。

楽譜出版のデュラン社の経営者ジャック デュランに献呈されています。

着想については、いろいろ取り沙汰されていますが、決定的な説はありません。

1つは、葛飾北斎の「富獄三十六景」
の、「神奈川沖波裏」

彫刻家のカミーユ クローデル(1864-1943年)

と親しくしていました。
彼女から、北斎の絵画や、日本美術のレクチャーを受け、彼女の部屋にこの絵がありました。

1905年出版にあたって、ドビュッシーはこの絵の左部分を表紙にしました。

この絵からインスピレーションを得たという説。

もう1つは、カミーユ モクレールが1893年に発表した中編小説「サンギネール諸島の美しい海」との関係です。

第1楽章に完成間際までの一年半「サンギネール諸島の美しい海」という副題をつけていました。
モクレールとも知り合いでした。

小説の筋書きは、地中海で嵐にあった船乗りが架空の3つ島を訪れるというもので、「若さ」「生命」「老い」「滅び」を順に寓意的に表現しています。
しかし、絶望に終わるのでかなり「海」とは色彩がことなります。

あと一つは、サンギネールという言葉の意味が「血を流すことを好む、残忍な」で、美しいという言葉のギャップがおもしろいと思って採用しただけという説もあります。

それぞれ確証がなく、決定的にはなっていません。

この頃、ドビュッシーはロザリー テクシエという11歳年下の妻がいましたが、エンマ バルダック(1862-1934年)

と、1904年頃に恋愛関係になり、逃避行にでます。
イギリス海峡のジャージー島、ドーヴァー海峡に面したノルマンディー地方ディエップを巡りパリ戻ると、ロザリーがピストルで自殺未遂をします。
そのことが「フィガロ紙」に載ると、非難が巻き起こり、多くの友人も離れていきました。

離婚調停が始まった1905年「海」は書き上げられ、「海」の初演2週間後にエンマとドビュッシーの娘クロード=エンマ(シュシュ)が生まれました。

後の1907年9月3日ジャック デュランにあてた手紙の中で、ドビュッシーは音楽というものは

「律動づけられた時間と色彩でできている」

と、書いています。
この言葉がこの音楽を最も表しているような気がします。




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