うちの庭の薔薇のアーチ。今年初ピエール ド ロンサール咲きました。
大輪のバラばかりでなく、人差し指の先くらいのかすみ草咲きミニ薔薇も咲いていました。
「あ!お父さんの分も!もう一つ。」
音楽教師で声楽家の父のもと兄、弟の次男として生まれます。
ハインリッヒ ヴェルナーハウス
プラウンシュバイクのヴェルナーの墓
植えて10年位。
毎年大輪のバラを咲かせてくれていましたが、2年くらい前から黒星病に感染して、元気がなかった…。
消毒液を入れたり、水を控えたりしてきましたが、ちょっと苗が弱ったのか小さめ。
今年はあまり期待できないかと思っていたら、咲きました。
小5のレッスン。
今日はお父さんも参観。
集中してフルートを吹いたので休憩。
「先生!バラさいた?」と言うので、
「咲いたよ!見てくる?」
走って外に出て「わぁ!咲いてる〜!」
そして、また、吹きます。
今日はゆっくりヴェルナーの「野ばら」を吹いてくれました。
大輪のバラばかりでなく、人差し指の先くらいのかすみ草咲きミニ薔薇も咲いていました。
「いちごも1つ採ってね。」
「あ!お父さんの分も!もう一つ。」
水をやり過ぎかな?あまり甘くないのですが、形もへん!
「あ!いちごや〜。」
「ホント、いちごだね。」
と、お父さんと食べて、
また、集中。
だいぶ、形になってきました。
ハインリッヒ ヴェルナー(1800-1833年)
ライネフォルデ=ヴォルビス生まれ、ヴブラウンシュヴァイク没
音楽教師で声楽家の父のもと兄、弟の次男として生まれます。
15歳まで父に音楽を学びます。
11歳で地元の教会のオルガンを弾いていました。
15歳でサンクトアンドレアス合唱団に入ります。兄と弟も一緒に入っています。
兄フリッツがプラウンシュバイクで音楽教師になると、ギムナジウムをやめて故郷に戻り、兄に音楽を学びます。
1822年音楽教師になります。
バーゲンマルクト歌劇場の合唱指導も始めます。
生涯84曲、主に歌曲を作曲をしました。
中でも有名なものが「野ばら」です。
1829年プラウンシュバイク合唱団でヴェルナー指揮で初演されると、たちまち人気になります。
ハインリッヒ ヴェルナーハウス
1832年秋に結核を患い、1833年プラウンシュバイクで亡くなります。32歳でした。
プラウンシュバイクのヴェルナーの墓
ヴェルナーの合唱「野ばら」
ゲーテの詞については以前の投稿で…。
ヴェルナーの「野ばら」、懐かしいです。
小学5年生の時、ラジオの合唱コンクール(多分TBS)に
5~6年生選抜で出演、入賞し、(私はアルト)
ヤクルト1か月分を頂きました。
今から66年も前のことです。
合唱コンクールに入賞されたのですね!
素敵な思い出ですね。
それにしても賞品ヤクルト1ヶ月分だったのですね。うれしいかも✨