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恭仁宮

2013-01-03 22:14:23 | 紀行

恒例海住山寺への初もうで。735年建立。聖武天皇の命を受け、橘諸兄が平城京から恭仁京に遷都しようとしました。海山住寺から見下ろす一帯には恭仁寺跡に国分寺跡などが散見されます。
今建っている海住山寺は一度消失し鎌倉時代に再建されたものですが、木造文殊菩薩像は、平安から残されているものです。

木津川水系のある平野部分に恭仁宮が広がっています。

恭仁小学校。懐かしい木造校舎。校庭には、遺跡が転がっています。

木津川のもう支流の近くにある神童寺は、聖徳太子が596年に開いたそうです。

その後、676年役行者が修行していると、子守・勝手・金精の三神が現れ、天八百日尊(あめのやおひのみこと)と天三下尊(あめのみさがりのみこと)の二人が神童の姿となって、役行者をたすけて蔵王権現像を作りあげ、その時以来、名前を神童護国時とあらためたそうです。今の本堂はやはり消失し、1408年に再建されたものだそうです、小さなお寺ですが、

本尊「蔵王権現像」・役行者像および前鬼・後鬼像・鬼瓦(重文)・修理棟札(重文)・白不動明王(重文)・阿弥陀如来像(重文)・愛染明王(重文)・毘沙門天像(重文)・日光菩薩像(重文)・月光菩薩像(重文)11世紀、12世紀に造られた像が収められていて、役行者像や、愛染明王などは、大らかな平安の息吹を感じられる特徴的な像があります。

今日はもう一つお参り。同じく木津川支流の近くの蟹満寺。7世紀建立。これは白鳳時代の釈迦如来坐像。写真では暗くてよく見えません。お寺自体は1400年ころに再建されたものです。食べられそうになっていた蟹を、死んだ魚と交換で助けた娘。同じころ、蛇に食べられそうになっていた蛙を助けようとした父は、蛙を助ける交換に娘を蛇の嫁にやる約束をします。
家に帰った二人はお互いの話しをし、娘は、こもって神仏に祈ります。その後大蛇がやってきて、家を取り巻き娘を求めます。引き延ばしたりしましたが、いよいよ、だめだと思った時、大蛇がぐったりとします。外へ出て確かめてみると、大蛇に何万匹という蟹が噛みつき、蛇を殺したのでした。その蛇を墓に埋め、その上に建立したのが蟹満寺という縁起があります。建立については諸説あるそうですが、仏像は、本物です。



恭仁宮、失われた歴史。失敗した遷都。
消失したお堂。それでも、人々は、信じ、守り続け、生き続けています。何百年にもわたって。
私たちの短い人生の中の失敗など、なんていうことなどない。
新年おめでとう。




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