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ロッシーニの結婚

2021-11-17 23:11:27 | ロマン派
オオニシキソウ、春にはかわいい花が咲いていたのが、果実がついていました。


ジョキアーノ アントニーオ ロッシーニ(1792-1868年)
イタリア ペーザロ生まれ、フランス パリ没
ロッシーニの父は食肉
工場の検査官をしながらトランペット奏者としていました。
母はソプラノ歌手をしていました。
ロッシーニは両親に音楽教育を受けました。

ナポレオンを信奉していた父は、北イタリアにフランス軍が侵攻したことを喜んでいましたが、オーストリアに政権が変わったことで投獄されます。

母はボローニャに移動し、歌手として働きます。
後に出獄した父も加わります。
18歳でオペラを書き始め、20歳で「タンクレディ」と「アルジェのイタリア女」が大ヒット。

24歳で「セビリアの理髪師」がヨーロッパ中で大流行しました。
ものすごいスピードで書き続け1829年39歳で「ウィリアムテル」を書くと作曲家を引退。
新政府からも年金を得て、高級レストランを経営し67歳で亡くなるまで美食家を通しました。

私生活では、美男子で若い頃はかなりモテたと言われています。
30歳で歌手のイザベラ コルブランと結婚。

素晴らしい歌手でロッシーニとのコラボレーションは大成功しました。
後年、声が衰え引退するまで、ロッシーニは彼女の声を生かすために曲を書き続けています。
ただ、ギャンブル好きでロッシーニの不動産や家財を売り払ったりし、1837年から別居しましたが、ロッシーニは彼女が亡くなるまで経済的支援を続けています。
53歳でイザベラ60歳で死別。
54歳でオランプ ペリシエと結婚。

彼女は家が貧しく母にパリで貴族に売られました。
しかしこの貴族が性病になったためにアメリカ人に売られます。
パリの高級娼婦としてデビューし、画家や小説家のミューズとなりました。
その中にはバルザックもいたそうですが、翻弄され浮気された彼は恨みに思い「悪い女」と後に書いています。
30歳でロッシーニに会い、イザベラに紹介。
イザベラは受け入れ、しばらく一緒に暮らしたりしています。
周囲の心配をよそに、結婚生活で淋病、うつ病、最後は直腸癌というロッシーニを支えて暮らし、その豪華な居宅にはデュマ、ドラクロワ、リスト、ヴェルディが出入りしていたそうです




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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ra9gaki_do)
2021-11-18 09:13:32
おはようございます(^_^)
いつも温かいリアクション
ありがとうございます。

人の生き方さまさま。
表現の仕方もいろいろ。
後世に語り継がれる音楽を遺した
ロッシーニの生き方!
素晴らしいと思います。

いつも音楽秘話?
楽しみにしています。
今日もどうぞお元気でご活躍を(^_^)
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Unknown (takobouzhirose)
2021-11-19 00:51:25
アグレッシブに進んでいくのに響きが豊穣でマイルド、細かい弦のアンサンブルもくっきりと聴こえてくる、夢見心地に音楽が流れていくような素晴らしい演奏と思いました。
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Unknown (m-fluteanel16)
2021-11-19 07:36:26
@ra9gaki_do さん、ありがとうございます。
ロッシーニさん、人間性を感じますね。
札幌の豆林檎美しいですね💖美味しそうなさつま芋、新蕎麦とお酒も味のある絵手紙に👍素敵です。
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Unknown (m-fluteanel16)
2021-11-19 07:39:04
@takobouzhirose さん、深く聴いて下さってありがとうございます。
ロッシーニの音楽はアグレッシブで、繊細。
心が浮き立つ美しいメロディでいっぱいですね。
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Unknown (takobouzhirose)
2021-11-20 00:29:35
fluteangel16さん、そうですね。コメント返信ありがとうございました。
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