1日は実家に、妹家族と大集合。
重箱は、今年は母の生徒さんのお料理屋さんで頼みました。
仕事のために新車を買った妹の次女とうちの長男。ピッカピカの新車で
1723-1724年はしっかり記録の残る形で新作で公演。
母の作ったお煮しめと
重箱は、今年は母の生徒さんのお料理屋さんで頼みました。
仕事のために新車を買った妹の次女とうちの長男。ピッカピカの新車で
酒屋神社にお年賀に行きました。
ただし、運転は飲まない組の次男と妹の長女。
酒屋神社でお参りしました。
ヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没
は300を超える教会カンタータを作曲したと言われています。
そのことは次男のカール フィリップ エマニュエル バッハ(1714-1788年)
神聖ローマ帝国ザクセン ヴァイマール公国ヴァイマール生まれ、神聖ローマ帝国自由ハンザ都市、ハンブルク没
が父が亡くなった時に雑誌にだした追悼文に「すべての主の日(日曜日)、祝日(キリスト教の祭日)の曲を5年間作曲した。」と書いていることから推定されています。
が父が亡くなった時に雑誌にだした追悼文に「すべての主の日(日曜日)、祝日(キリスト教の祭日)の曲を5年間作曲した。」と書いていることから推定されています。
クリスマス前後の6週間はカンタータは演奏されず、マリア関連の祝日や宗教改革記念日、降誕、復活記念日の前後は3日間続けて演奏されました。
1年60曲×5年間で300曲。
いまは散逸して200曲位が残っています。
ライプツィヒのトーマス教会のカントール(音楽監督)に就任しました。
1723-1724年はしっかり記録の残る形で新作で公演。
1729年までは記録はあやふやなところがあるものの、おそらく新作を。1730年以降は、使いまわしも含めて演奏されています。
カンタータ「新年の曲」BWV41は1725年1月1日
新年の礼拝で初演されています。
イエスよ 今讃美を受け給え
イェスをほめよ
新たの年に
その慈しみ
襲いきたる
わざわいの時
浮かびくるは
恵みあふるる
とわのさち
平和のうちに
ひととせ終えぬ
今ものちも
主によりたのめば
まもりたまえや
このひととせ
(Johannes Herman „Jesu, nun sei gepreiset“1593 第1節)
少し遅くなりましたがよろしくお願いいたします
我が家も妻の車ライズです
学生時代の音楽の授業・・ ほとんど記憶がありません
でも ここの日記の内容を妻や子供たちに話して 少し知ったかぶりしながら 家族で話せるので楽しく読ませていただいてます
こちらこそよろしくお願いします😉🙏
奥様の運転なのですね。
素晴らしい!
お子様や、ご家族にお話ししてくださってるのですね。
とってもうれしいです。
ありがとうございます💖
夜は私たちが買ってきたお肉でお鍋をしました。昔は私もお重に煮しめやいろいろ手作りして入れていましたが、2日は
家族の好みでお雑煮に少し入れる以外は、好きなものを食べています。