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失われた都の物語

2023-01-04 08:58:00 | 古典
毎年、恒例の海住山寺詣で。
741年聖武天皇が平城京から都を恭仁京に遷都しようと橘諸兄に命じました。

国分寺や国分尼寺が建てられ、海住山寺もそのお寺が見える山の中腹に建てられました。

現在の本堂は1137年焼失し、1208年貞慶上人(1155-1213年)が廃寺を再建したものです。

タイトル写真の五重塔は1214年に建てられた国宝です。

文殊堂には

平安時代の11面観音像が安置されているそうです。
公開されていないので観たことはありませんが。

恭仁京は743年未完成のまま、聖武天皇は紫香楽宮に移り、近江、さらに難波宮へと移った末に平安京に戻りました。

裏山からは木津川、幻の恭仁京。
百人一首で

みかの原 わきて流るる いつみ川
 いつみきとてか 恋ひしかるらん

中納言兼輔(877-933年)藤原兼輔 紫式部の祖父 36歌仙の1人

と、詠まれた場所が一望できます。

いつ見たかもわからない、お会いしたこともないのに、なぜどうしてこんなに恋しいのだろう

平安時代の通い婚恐るべし。

1748年イタリアで大発見がありました。
1世紀頃のナポリ近郊ヴェスヴィオ火山の噴火で、厚い火山層に埋もれた街、ポンペイが発見されたのです。

ローマ帝国の遺跡は大変な影響をあたえました。
様式美を守りながら、エネルギーあふれる遺構に、音楽家たちも触発されました。

様式美を取り入れながら、新しい芸術を生み出したことで、その頃の音楽は古典派と呼ばれるようになりました。

1770年14歳のヴォルフガング アマデウス モーツァルト(1756-1791年)


もポンペイの遺跡を訪れています。
他に生涯で2度イタリアを訪問。

オペラセリア(シリアスなオペラ)「皇帝ティートの慈悲」はポンペイの噴火の時のローマ皇帝ティートが主人公でイタリア語で作曲されています。

ピエトロ メタスタジオ(1698-1782年)教皇領ローマ生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没

詩人の原作ものをザクセン選帝侯領のカテリーノ マッツォーラが改作しました。

1791年神聖ローマ帝国のレオポルド2世がボヘミア王として戴冠する時の演目としてボヘミア政府から依頼されました。
初演は9月6日プラハ国立歌劇場

初演は不評てしたが、その月のうちに再演され、ウィーンでも上演されました。

ティート
ローマ皇帝ティトゥス(39-81年)在位2年

はポンペイの噴火での災害復旧のために激務に耐え、ついには若死にしてしまったといわれている皇帝です。

ヴィッテリアは父から皇位を奪ったティートを恨んでいます。
しかし、ティートと結婚して后妃になることも望んでいます。

ティートがユダヤの王女ベレニーチェと結婚すると思い、嫉妬します。

ヴィッテリアに想いを寄せているセストにティートを暗殺するように依頼します。

皇帝ティトゥス像

ところがティートはベレニーチェと別れ、ヴィッテリアと結婚すると言い、彼女は驚愕します。

しかし、何も知らないセストは暗殺を実行します。

暗殺は失敗。
セストは捕まり、全ての罪をかぶります。
ティートは裏切りに傷つきながら死刑をためらいます。

署名しようとした矢先、ヴィッテリアが首謀者であると名乗り出ます。

ティートは「裏切りよりも慈悲が強い」と、全てを赦します。

一同はティートを讃え幕が降ります。
フィナーレの動画です。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
新年 (takan32)
2023-01-04 20:23:00
久米さんへ、明けましておめでとうございます。
1月1日のウィーンフィルのニューイヤーコンサートのNHK Eテレの中継を見ました。
ほとんど聞いたことない曲ばかりでした。
ウィーンフィルと長年一緒にやってきているから、できたことなんでしょう。他の指揮者では躊躇してしまう選曲でした、たぶん。
海住山寺には一度行ったことがあります。紅葉の頃でした。
私は故郷の唐津に帰省していました。fc2のブログに風景写真を出しています。お時間がある時、ご覧ください。
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Unknown (m-fluteangel16)
2023-01-04 21:24:06
さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
ニューイヤーコンサート、弟のヨーゼフの曲が多く、有名な父ヨハン・シュトラウスと2世の曲はアンコールの他2曲だけだったみたいですね。
ヨーゼフは生前あまり売れなかったけれど兄は「ヨーゼフの方が才能がある」と言っていて、再発掘の意味があったのかも。確かに何度も指揮しているメストならではの選曲かも。
イソシギなどかわいい鳥がいっぱいいましたね!
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