食器棚を買いました。
次男に手伝ってもらい、食器棚を置く予定の場所を占めていた、スチール棚と、その周りに溢れていた荷物を出すと、台所はえらいことになってしまいました。
レンジ、炊飯器、オーブントースターはいいとして、コメビツ代わりのタッパー、韓国の人にもらった高麗人参のつけたもの、おやつ。そして、お茶、お酒。夫は、どんなにのんべぇだと思われているのでしょう?マッコリ、ざくろ酒、バーボン、なんだかよくわからない鹿の角のお酒、ぶどうの焼酎。いただいたお酒ばっかり。新しい食器棚とはいえ、こんなに入るだろうか?
引越しの時、何度も言われた難所。狭い廊下と部屋の入り口。キルティングを敷いてゆっくり滑らします。大きい棚の上部分。と下部分。
大丈夫、入りました。先にした部分を置き、それから上に乗せ、カバーをはずします。
無事、入りました。
ピカピカ。
ラックに入っていたもの全部、入りました。入れてみてわかったのは、あるべきものが、どこにあるのか?スッキリ分類できたのと、引き出しのおかげで、奥に入れたものも、すぐ出せます。
言いたくないけれど、環境が整うと、やっぱり頭もすっきりしてきます。それが、毎日作って食べる食事のことなら、なおさら。
自分なりに小さな工夫を積み重ねてきたつもりでしたが、ここ何年、ものをだしたりするときに、つっかえたり、あるべきものが見つからず、毎日ちょっとしたイライラが、積もっていたことにも、気がつきました。
さあ!環境が整ったのだから、よりよい人生をいきなくちゃ。
あすは、プロコフィエフ3楽章、4楽章本番。
がんばろう!
1年ぶり、昨年植えたデュモルフォセカ、オクトオスペルマム、ムーンライト。鉢を変えて、肥料をやり、毎日水をやっていたら、今年も無事咲きました。5度以下ぐらいだと、花びらがとじます。暖かくなると開きます。今は開いている時間が少ないです。
寒いといいこともあって、長い間咲きます。寒さにも暑さにも強い品種です。
「声を一つに」というドキュメンタリーを見ました。
2009年フランス人の音楽プロデューサーがイスラエルとパレスチナの音楽家を集め、フランスでコンサートツアーを行いました。その時の密着ドキュメントです。
元ロックシンガーで、プロデューサーのロッシは、紛争地の音楽家を連れて何度もコンサートを行っています。
サラエボでも、クロアチア人、ボスニア人、クロアチア人によるコンサートを企画して行います。
しかし、その時の合唱団の人たちは紛争に巻き込まれみんな死んでしまった。と、ロッシは嘆きます。
そして今度は、イスラエルとパレスチナ。
クラッシック奏者、民族音楽家、流行歌手グループ、教会の合唱団、少年、少女合唱団。いろいろなジャンルの音楽家に何度も足を運び、説得します。
「感情に訴え掛ける音楽は、紛争にある人々に平和を考えるきっかけを与えることができる。」と。
「あと何年たったら、戦争は終わるのでしょう?何十年、何百年。もういい加減にして欲しい。」
と、参加を決めた人もいます。
流行歌手グループのふたりは「イスラエル人である私がアラビア語で歌い、パレスチナ人の彼が、ヘブライ語で歌う。お互いに歩み寄る。これが平和。」と、活動している人もいます。
アラブの民族音楽を演奏している人が、壁の向こうから聞こえてくる教会の音楽に、「僕は、政治には関心はない、関心があるのは音楽のことだ。彼らの音楽は、美しい。彼らは天才だよ。」
しかし、ホテルや練習場でいろいろな混乱が起こります。
「僕らはガザを出る自由はない。好きなところに旅行する自由もない。だから、ホテルにも泊まったことがない。まずそこからなんだ。」とパレスチナ人がいうと、「僕らは、イスラエルで、高等教育を受け、何か国語を話し、年に何回か国外に旅行する。そんな僕たちと、彼らが一緒に旅行するんだうまくいくわけがない。」といいます。
「君たちはミサイルで狙うんだ。」というと、「バスが目の前で爆破されるのをみたわ。」と言い返す。
「歌いながら彼らは指をブイの形に立てた、パレスチナ人が、石を投げてきて、あたった時にするポーズだ。すごく嫌な気持ちになった。勝利を歌い、挑発しているんだよ。」
しかし、その度に、ロッシは「僕らは、政治の話をしに来たんではないんだ。音楽を演奏に来たんだ。」と話しかけます。
ツアーの間にだんだん演奏家たちの気持ちに変化が起きます。
「イスラエルの女性が、頭にファルカをかぶって歌い、パレズチナの男性が胸に手をあてて、彼女に寄り添って歌う。これが、平和、お互いに歩み寄るんだ。ファルカはパレスチナの闘争の証だという人がいるけれど、それがどうしたと言うんだ。アラブの人はみんな被っているじゃないか。そんな細かいことを気にしていてはいけない。」とイスラエルの演奏家。
「僕たちはアラビア語を学ぶべきだよ。学校でやっても話せない。隣人はみんなアラビア語を話すんだから。」
「僕は初め怖かった。今は怖くない。」「はじめは相手のことがわからなかったかけれど、今はわかるから怖くなくなった。」少年がいいます。
コンサートツアーが終わると、「今は別れたくない。次はこの子といつ会えるかわからないから。」
「僕が生きているうちは、平和を見ることはできない。僕の子どもも見れるかどうかわからない。残念だよ。」
涙ながらに分かれた、2ヶ月後。
イスラエルのロケット弾により、パレスチナのメンバーの一人が亡くなった。
「ショックだった。いいやつだった。今までもロケット弾のことは何度も聞いてきた、でも、今は彼の顔がわかる。一緒に話をし、食事もとった。いいやつだったよ。」
音楽ってなんだろう?私は無力であると座っていていいのだろうか?
何のために音楽をするのだろう?日本は戦時下にはいないけれど、平和な時こそ、平和の質を問うことが必要なのではないだろうか?
日曜日、共同体感覚のゼミに出ました。
戦時下の人間はみんな病理を抱えています。あらゆる表現は制限され、一つの目標に向かいます。
国民皆徴兵制。というのは、それだけで人を病まわせます。
なぜなら、あらゆる軍隊は人を殺すことを教えるところだからです。
共同体感覚は、人が生まれながらに持っている感覚で、それがなくては人は一瞬たりとも生きていけません。なぜなら、人は、生まれて死ぬまで、人の世話にならずに生きることなど、無理だからです。
人の作ったものを身にまとい、人の作ったものを食べ、人の作ったところに住む。
どんな人も、人の世話にならずに生き残ることはできないのです。
この地球上に生きる人はすべて私の人生に影響を与え合い、赦し、赦されて生きている。
どんな国に生まれ、どんな心情を持ち、どんなバックボーンを持とうとも、一人たりとも、切り捨てていい人間などいません。
平和な時代に、平和な国にたまたま生まれても、誰かを切り捨てたり、仕返ししたくなったりしたら、戦時下の病理を受け継いでいるのです。どんなに美しい振る舞いをしても、心の中で、切り捨てていたとしたら、おなじことです。
子どもたちは、家庭の中でその二つの価値基準で動く親を見て育つのです。
一見仲良くしながら、裏で「アホ、バカ、死ね」という親を見ることの、ひどさ。
平和を実践するのは、人類にとって、簡単ではありません。
キリストやモーゼ、マホメットや、ブッダが修行の末に開いた悟った、宗教は、素晴らしい教義に、信じ、広まったにもかかわらず、何千年経ても、暴力によって敗れてきたのは、宗教を信じるという人は国に多勢いても、ついぞ実践するに至った人が過半数を締めたことはないということを示しています。
あと、何年たったら、何十年たったら、人は愛を実践するようになるのでしょうか?
それをするには、科学的に、自分の心の中を、見つめ、何か人の行為や言動、表現で傷ついたと思ったら、その解釈が自分のどういう信念からくるものか?
そのできごとが、相手をもっと理解し、知恵と知識にかわるところまで、誰かに手伝ってもらいながら、検証しなくてはなりません。
それはほかの誰のためでもなく、自分が平和に健康にいきるためになるのだから。
仕返ししたくなったり、無視したくなったら、それは、病理なのだから、自分を一番初めに傷つけるのだから。
今日は、子育てサロン3月。
この前、スタッフで作ったクラフトテープで作ったボール14個、名札を作った布を入れたダンボール、ラミネーター、フィルム。荷物が多かったので、車に乗せて、Tさんと運びます。途中で、コミュニティハウスの鍵を借りて、Tさんと荷物を運んだあと、小学校の駐車させていただきます。
地域福祉委員会と、社協さん、学校、市のいろいろな機関に支えられて、子育てサロンは、成り立っています。
教頭先生と顔がつながるのはこういう時。
「どうぞどうぞ。」と快く、校門を開けてくださいました。
机、椅子を片付け、掃除、壁面飾りに、先月から、福祉委員会の別部会の男性二人もお手伝いに来てくれています。
おかげで、仕事が早い。
伸ばせば、3mほどもする長い広げて読む絵本で、遊びます。この本も校区の人が自分の子どもに使っていたものを寄付してくれたのもです。
長い絵本は、商店街の様子を描いたもので、いろいろな昭和のお店屋さんが並んでいます。
魚屋さん、ケーキ屋さん、八百屋さん。
お母さんたちに「魚やさんで買い物したことのある人?」と聞いたら、誰もなかったです。
今は、スーパーで買うのがほとんどのようです。
長い絵本は、子どもたちに人気です。近寄ってきて、指で絵をさして口々に話し始めます。
魚屋さんになったり、ケーキ屋さんになったりして、買い物ごっこをして遊びました。
今日は、避難訓練もしました。震災以来、話し合って、年3回ぐらいしています。
小さな会館ですが、実は、小学校の中の施設です。しかし、入口が違うため、初めてきたお母さんたちは、小学校に隣接していることも知らない人が多いです。
逃げ方だけでなく、避難指定地にされている小学校を知っておいてもらうことも大切です。
地震となったら、まず、近くの子どもを抱いて、窓ガラスから離れ、柱や、壁の近く、机の下などに逃げ込みます。自分の子どもを探しにいかないこと。
少し収まったら、がれきで怪我をしないようにスリッパを履いて非常用扉から小学校にでます。
自分の地域の避難場所はどこにあるのか?防災訓練など回覧を注意して見て参加すること、家族でいざという時どうするのか?を話したり、普段から知っておくことの大切さを伝えました。
今月は、卒業月。
来月から幼稚園に行く子どもは、もうサロンには来ません。
「おめでとう、元気でね。」とみんなの前でご挨拶しました。
子どもたちが成長するのは、早いです。
今日午後から、Gさんと看板作り。2月から初めた教室の看板。だいぶできてきました。
サッサと、仕上げてしまえばいいのに。とおもわれるかもしれませんが、水彩画や油絵と違って、トールペイントは、一つの色を塗るのにも、アクリル絵の具で何回も乾かしては塗り重ねなくてはなりません。
最低3回は塗っては乾かし。塗っては乾かし。
Gさんお得意のテディベアがほとんど仕上がり、繊細な花の文様もアンティークな感じで仕上がり満足。
3時すぎにMさんが、幼稚園児のRくんを連れて、やってきて、二匹のくまの下にあるリボンを仕上げてくれました。
こっちの方は、Gさんが、オリジナルの音符をデザインティックにちらしてくれました。
可愛い?
こちらは後、ロゴと、枠を描いたら仕上がります。
しゃべり、お茶6~7、仕事3~4の私に比べて、Gさんは仕事9~10、しゃべり、お茶1~0。
後半、Mさんの息子のRくんと遊んでしまいました。
先頭は、Rくんの絵。幼稚園で梅小路にあたらしくできた水族館に行ってきたらしく、イルカ、まぐろ、タコ、ヒトデ、わかめも描いてくれました。
代表で数人と一緒に、イルカにさわらせてもらったらしい。
子どもの感性にはかなわない。
お部屋に貼っとこうっと。
梅に鶯。ではなく、鶯よりも鶯のように見える目白がとまっていました。
このアップロード写真では見るのは無理と知ってはいても、撮ってしまいました。
美しい姿の鳥が、美しい声を持っているだろうと考えるのは、人の世の常。
鳥はそんなことにはお構いなく、ただ自分の生命を全うしているだけです。
そして、やっぱり愚かにも、梅に鶯の声、目白の姿がいろどりがよくて春を感じさせて、美しいと思ってしまう私です。
今日は姪が、クレオおおさかであるコンサートに、ヴァイオリンで出ました。
大学時代の友人が企画コンサートをして、私を通して姪に声をかけてくれたのでした。
高2とあって、高校の先生がたくさん駆けつけてくれていました。立命、国際学科なので、いろいろな国から来た先生や生徒が勢ぞろいしていて、姪がでると、歓声をあげて喜んでくれて、盛り上げてくれました。
サックス4人組のマッシュ。姪のヴァイオリンとピアノ、ポルトガルギター、ソプラノとテノールという、4組の若手演奏家による演奏会で、会場は暖かい空気。
しかし、私と姪の妹、次男と並んで座っていると、姪が演奏し終わるまでは、ハラハラドキドキ。
無事終わってよかったねと。3人で言い合って、とても緊張してしまいました。
でも、若い演奏家たちのパワーが春を連れてきたようで、とても熱いコンサートでした。
みんな先が楽しみです。
そして、私もエネルギーをもらいました。
若くはないですが、わたしもがんばろう!
16日に、ドルチェミュージックアカデミーのコンサートがあります。
今年は、プロコフィエフのソナタの3楽章、4楽章で出ます。
日曜日にピアノ合わせで、本番ですが、まだ、よくこなれていません。
3楽章は、フラットが6つになってからの低音。中音で吹けばなんてことないフレーズですが、低音は、小指の位置が小刻みに変化して、大変。
小指のメソッドはかなりやったので、得意なところ。それでも、調が移動していって、その変化に脳がついていきません。今日は一日そればかり。
実は4楽章にも今度は、高音で32分で8個動いたあと、スタカートの16分。ffと書いてあって、なんとか、音をつなげても、最後まで息が今度は持ちません。
3度の下降型で、中音ならなんともないところ。あきらめて替え指を使おうか?どうしようか?と迷っているところ。
ある程度速さがないと、一息で吹けない。しかし、早くしすぎると、指が怪しくなってしまいます。
練習あるのみ。後、一週間あれば、なんとかなるけれど、明日も練習時間があまり取れないし。リハは無理かな。
質をあげようとすると、どこまでも切りがないですが、演奏会には切りがあるので、そこで、ベターな音楽に仕上げるためには、現実的な今できる目標を掲げないと。
もちろん、最後の瞬間まで質を上げることを諦めたりはしないですが。この時期、兼ね合いを考えてしまう私です。
昨日、火曜日は、古本屋巡り。
朝9時に、Mさん宅に集合。Gさんと3人で、京都方面のBook offを回ります。
お昼も食べずに、ひたすらMさんのアルバイト先の夜診に間に合うように、古本屋を回ります。
Gさんは、いろんなお菓子を持参してくれていました。私はおかげで新しいお菓子の種類をここで覚えます。
「馬場で曲がるところだけ、見といてくれたら後は大丈夫だから。」Mさんは、もうほとんど道を覚えてしまいました。
ナビの私は、あまり馬場だけは見落としてはならないと、目を凝らしていましたが、おしゃべりに夢中になっているうちに、Mさんが先に馬場の看板を見つけてしまいました。
役割終了。
Mさんは、インデックスを作って、あの本の何巻目とか、これは、100円で、こちらは半額で買うなどと分類されたノートを持ち、普段から回っている古本屋でなかったものだけを探すという、古本廻りのプロフェッショナルと化しています。
Gさんは、「この日がストレス発散。」3人の子どもたちに依頼されたコミックや、小説、それに、見て自分が気に入ったものを全巻揃い買いし、一古本屋につき、ショップの買い物かご、一杯のペースで、バンバン買っていきます。
私は、「ペコロス母に会いに行く」と、前回見つけたのにお金が足りなくて見送った「フィンチの嘴」を、探しつつ、音楽の棚を中心に目ぼしい本があれば買うつもりです。
10時43分長岡天神店。ここは、不思議な品揃えです。携帯会員に加盟していず、哲学の専門書や保育の専門雑誌の希少本に出会うことが多いです。私はサンデルの博士の「ハーバード白熱教室。東大編上下巻」を一冊750円、1500円で買いました。テレビで見たけど、サンデルさんの本は前回は一冊も見つけることができなかったので、買っとかなきゃ。
Mさんは「この店、寒いから先に車で待ってるわ。」と出たので、私も、目的の本は無いし、駐車場の車の中でGさんを待っていると、タクシーで乗りつけて、ステッキをついて出てきたかなりの年配の男性。
「どっかの退職大学教授とかじゃないかな?なんか雰囲気ある」
「昔は、かっぱ横丁とか難波の天牛なんかを巡ったけれど、今はこういうスタイルかも。」
色々妄想していると、Gさんが帰ってきて次の店に出発。
久世橋店レジが11時41分。
やっぱり目的の本はない。C.V.バリスカ著「バロック音楽」1300円ちょっと高い。でも、中身をちらっと見たら、面白そう。勉強しなくちゃいけないし。
レジに並んでいたら前でレジしたGさんが50円引き券をくれました。
「当日使えないし、次いついけるかわからないからね。」ってありがたい。
京都六地蔵店12時45分。
やっぱり、目的の本は見つけられない。それに、ピンとくる本がなくて、ぐるぐる回っていたら、Mさんが「山下さんの美女御殿、何巻までもってったっけ?4巻あったよ。」
やった!ありがとう。漫画も読みます。しかも105円。さすがMさん。
宇治小倉店13時49分。
ペコロスはないような気がしてきました。新しい本だし、出版社もわからないし。
フィンチの嘴は、珍しい本だから、長岡天神店になければないかも。
しかし、ここで、奇跡の一冊!
トレヴァー・ワイのフルート教則本5
何件も古本屋をめぐって、教則本があった試しがない。
スケールと呼吸法編。トレヴァー・ワイがかなり詳しく、持論を展開していて、これは、ヒントになるかも。700円。ありがたいです。
大久保店 14時37分。
「この店が最後だね。」
残念ながら、目的の本は見つかりませんでした。
しかし、音楽の棚に、フルートのオーケストラスタディの本が500円。やった!もちろん、すぐ買いです。
オーケストラに所属してないので、今まで、買うまではいかなかったけれど、やはり、オーケストラのなかのフルートは、耳にすることも多く、憧れもあったので、この値段なら断然買いです。
私の目的は、本が3割、残りの7割は、3人で移動中にするおしゃべりです。
充分に堪能しました。次は4月か5月かな?
待ち遠しいです。
月曜日、Gさんとフルート教室看板作り。テディベアを、筆でトントン叩いて、色を入れたら、だいぶ出来てきたような気になってきました。
長いことトールペイントから、離れていたので、やり方をほとんど忘れています。
Gさんが、比較的よく覚えていて、私が書いたのをあとから修正。
少々まずいところも、美しく手直ししてくれます。
描きながら、世間話に花が咲きます。
大半は取りとめのない話ですが、地域の役員をしているGさんは、子どもたちの同級生の情報もたくさん持っていて、長男の幼稚園友達が、成長している様子なども教えてくれます。
Aくんは、中学の時、ちょっとつっぱってたけど、ラグビーやってスポーツ推薦で、大学行ってるよ。とか、Bくんは、美容師になってがんばってるよ。とか。
幼稚園時代の顔を覚えているだけに、うれしくなってきます。
お祭りや、PTAで関わった子どもたちは、地域の子どもたちとしていつまでも、気になります。
幸せに、健やかに育って欲しいと願っています。
Gさんも、私も、役を引き受けて、子どもたちと一緒に成長してきたと思います。
いろいろもめることもありましたが、息子たちも、地域の人たちの暖かいまなざしの中で、育つことができて、本当に良かったと思います。
親としての役割はどんどん減りつつありますが、まだまだ、人としての人生は終わりません。
近所とも、家族ともいいチームでいようと思います。
そのために、手引きしてくれる友達も、います。
これからも、ともに育ちたいと思っています。
金曜日。
次男、高校生活最後の日。卒業式。
木曜日、登校日の後、次男が調子が悪いと部屋で寝ていると、高校最後だと、彼の親友が3人。いつものメンバーがやってきました。
息子が起きてきて、ゴソゴソやっているので、家に帰したのだと、思っていたら、玄関には大きな靴が3足。
おいおい、調子わるいんじゃなかったのか?
とつぶやいていると、次男がやってきて、「大丈夫、おいらは寝てるから。試験も終わってるし。」
結局、7時くらいまで、部屋で静かに遊んで帰りました。
「しんどかったんとちがうの?」頭に手をやると、熱い。
「熱でてるやん。」
「うん、大丈夫、おいらは寝てたから。」
「寝てる横で、あそんでたんかい。風邪うつったんとちがう?」
「大丈夫、大丈夫。プレコールを飲んで、寝たら、熱下がるから。」
で、卒業式の朝。
「あかん~。」「あーあ。」
高校の先生に電話したら「熱ですか、また、後日卒業証書を取りに来るように言って下さい。電話してから来るように、生徒登校禁止日があるので。それから、饅頭食べといていいですか。」
「え?」
「くさってもいけないので。」
「はい、どうぞ。」
「本人もしばらくは落ち込んでるかもしれませんが、お大事に。」
「はい。」
病院に連れて行くと、41.5度。
検査してもらうと、インフルエンザA型。
「タミフル、リレンザは、今使いにくいからね。亡くなったっていっても5万分の一人なんだけどね。イナビルって言うの、飲んでください。」
「受験やったのに、ワクチンせんかったん。」
「はい。」「どうやった。」
「全滅でした。それで、日曜に、予備校の試験があるんですが、でられますか?」
「薬飲んで、5日間は、登校禁止やねんけどな。予備校の黙ってマスクしていくか、予備校の先生に話して別室でうけさせてもらうかやな。」
「はあ。」
イナビルは、タミフルが、日に3回、3日に分けて吸入したけれど、病院で、一度に2本4回吸入して、終わり。
それで、劇的に効きました。
しかし、きつい薬のようで、あっという間に口内炎ができました。
その日のうちに7度3分まで下がり、それ以降は、平熱。
熱を出したら、うどん。というのが、次男の、風邪。
3日間、おなべで、うどんすき。たっぷり食べて、今日は元気そう。
今日、夜になって、友達が、3年間のDVDを届けてくれました。
「みんな、卒業式でないてるんやろな。」と言いながら、家族で、入学式、文化祭、遠足、体育祭、修学旅行を、見て思い出をたどりました。
見ているうちに、息子もようやく卒業をした気分になってきたようでした。
なんだか、宙ぶらりんの気分でしたが、私も、区切りがついた気がしてきました。
先生、高校の友達、PTAのみなさん。息子の高校生活を支えてくれて、ありがとうございました。
本当に、お世話になりました。