
きゅうり三本目。

デカイ、31cm。
イェーイ!
母が理事会で一泊。
父 ショートステイで一泊。
帰宅時間に 実家に行って父を迎えます。
ここ数ヶ月 自力で トイレに行けなかったのに 急に降りて歩くと 言うので
「 途中で座り込んだら私絶対起こせないから、やめといて。」
と言っても納得せず どうしても歩くというので 仕方なく ベッドの柵を下ろしました。
リビングを出て 廊下を歩いて突き当たり、 大したことありませんが父にとっては本当に遠い。
足がおぼつかないので 手すりや椅子を持ちますが、 危なっかしいので ズボンの後ろをぐっと持ち上げて 膝が折れないように助けます。
それでもなんとかトイレについて、 ズボンとオムツ を降ろして 座ります。
何も出ません。
しばらくすると立ち上がるので ズボンとオムツを履かせて折り返し。
これが長い!
トイレに30分。
でもまあ気が済んだので 落ち着いて寝てくれました。
耳が遠くなって言葉も少なくなりテレビを見ているようであり見ていないようであり…。
同じリビングで フルート吹いてみました。
最初は バッハ。
比較的音の小さな 薩摩柘植、よう銀で。
こないだ メルカリで買った bwv 1031 ブライトコプフ版。

Johan Sebasutian(?)Bach(?)
このクエスチョンマークが ブライトコプフ版 です。
クイケンという人 が調べに調べ抜いて 原典に忠実に 編纂したものです。
スラーなんかにも テンテンで
書かれていて脚注に たぶん後から付けられたとか 、装飾音符にも() つきのものがあってそれは 元々はなかったと思われるとか 書いてあります。
こういうの見ると クイケンの 謙虚さ 感じます。
ソクラテスは 無知の知、仏陀は正見と言いましたが、 知らないものを知らないままに 置いておくこと。
それが一番難しい。
世の中にはわからないというぐらいなら 死んだほうがマシだっていう人はたくさんいます。
知識 は社会的力だからです。
実際には 世界は分からないことの方が多いのです。
何でもわかっているふりをする人というのは 非科学的で 信用できない人です。
ですが 社会的な評価は 全く正反対の 評価を 与えています。
長く 知識は隠され 特定のものしか 扱えませんでした。
今や、知識の民主化のおかげで みんながバッハについて どういうアーティキュレーションで 吹いたらいいのかを考えることができます。
情報が取り敢えず平等に 行き渡りました。
とりあえずですよ。
どんなふうにその当時 装飾音符をつけていたとかアーティキュレーションをつけていたというのは 他のたくさんある楽譜や 書物も当たってみないと。
話がそれました。
つげちゃんのバッハは大丈夫でした。
昔はうるさいとよく怒られていました。 隣の部屋で吹いていても ドアをバタンと閉められたり。
かなりトラウマかも。
時が経つと 人は変わるものです。
しかもちょっと気持ちいいらしい。
首を振ったりなんかして 食事もパクパク 食べてくれました。
テレビの音もあまり聞こえないから 逆にフルートの音が はっきり聞こえて 分かりやすかったのかも。
調子に乗って 今度は パウエル の グラナディラの 頭部管で 。
大丈夫、大丈夫。
顔見て
最後は なんと パウエルの 14金で タファネルの魔弾の射手。
なーんだ、全然大丈夫。
ほんとかな?
耳が遠くなっているだけかもね?