2015年二発目の記事ですが、本日は知人らを川崎大師へ案内して参りました。本当なら折角の代休なので早速新年明けての京急線撮り鉄と行きたいところですが、まさか鉄道に興味の無い人間を連れまわして寒い中撮影という訳にも行かないので今回は思いっきり手抜き記事であることを初めにお断りしておきます(汗)
もう毎年恒例行事となった、京浜急行大師線の干支ヘッドマークです。まだまだ正月気分の抜けない今日、大勢の参拝客で賑わいを見せていました。一般的に正月三が日に行いますが、初詣は1月中なら特に問題ないので今しばらくは盛況ぶりが続きそうです。かくいう私は毎年の初詣は出生地でもある千代田区の神田明神に参拝していますが、やはりこちらにも来ないと正月の実感が湧いてこないですね。
目下大師線は小島新田駅を除く区間の地下化工事が2019年の完成を目指して進行しており、仮設の囲いが沿線や駅構内で目立つようになってしまいましたが、この京急川崎駅の頭端式地上ホームに発着する姿もあと何年目にすることが出来るのでしょうか。今後地下化が完成すれば京急川崎駅の大師線乗り場は現在の川崎DICE付近に新設されるとのことで、既にトンネルの基礎は完成しているようです。地上の渋滞の原因になっている踏切の解消を考えると仕方ないことなのですが、個人的には住宅街や工場が車窓に広がる生活感に溢れた大師線の雰囲気が大好きだったので、少々寂しくなってしまいます。
今日は澄み切った青い空が広がって、電車とバスが来るたび人でごったがえしておりマトモな駅舎のカットを撮るのが大変でした・・・。駅入り口にも門松が置かれて参拝客を迎えています。川崎大師駅と云えば駅名が示す通り真言宗智山派の大本山、平間寺への玄関口として1899年に「大師駅」として開業し、以来多くの初詣客に利用されていますが京浜急行電鉄の中で、また関東地方でも最古の電車駅として大変歴史ある駅でもあります。地下化工事が完成したら、どんな姿になっていることか。個人的な願望を言わせて貰えば、この特徴的な駅舎だけでも残して欲しいところです。
大師線は川崎大師への参詣を目的に大師電気鉄道により建設され、1899年1月21日に開通した現在の京浜急行電鉄の直接的な起源となった路線であり駅舎を出て右手に京浜急行発祥の地を示す石碑が建てられています。我が国に於ける電車運転は京都が最初ですが、電車による営業運転を関東地方では初めて開始し、また日本の鉄道では初めて標準軌を採用するなど、当時としてはかなり革新的な技術を導入している他、大師電気鉄道の開業により川崎大師への参拝客が全国から急増し今日では当たり前になった電車に乗って有名な神社へ参拝に行く文化を浸透させたという意味で、実は鉄道史からも文化面からも大変重要な路線なんですね。
ちなみに、大師電気鉄道が開通した翌年1900年に発表された「鉄道唱歌」の第一集・東海道編(品川駅の東海道線ホームで発車メロディーになっているアノ曲です)の四番の歌詞で「梅に名を得し大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程近し 急げや電気の道すぐに」と歌われていますが、この電気の道とは現在の大師線のことを指しています。子供の頃に初めてこの歌詞を聴いた時、意味がわからず「電気の道ってなんだろう?」と考えてしまったことがありました。
なんだか書いていて予想より固い内容になってしまいましたが、もしもこの記事を読んだ方で、これから川崎大師へ参拝される方は是非当時の賑わいと歴史に思いを馳せて見ては如何でしょうか?