町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

新交通ゆりかもめ7200系が運用終了、全廃へ・・・

2020年10月16日 | 首都圏のモノレール・新交通システム

東京臨海副都心の足として定着している新交通ゆりかもめでは2014年より新形式の7300形導入により初代車両である7000形の代替を実施して来ました。派生系列として1999年より登場したVVVFインバータ制御の46次車(700013次車はサイリスタ位相制御)である7200系もマイナーチェンジ車の7500形で置き換えられることになり、本日14日の運用で第26編成が運用を終了。開通時からの7000系の流れを汲む車両が全廃となりました。

最後まで運用された第26編成(7261F)。この編成は5次車で4次車の仕様を引き継ぎ正面の虹の模様を変更して2001年に3編成18両が導入されています。鉄道車両としては新しい部類ですが、営業運転開始から19年で生涯を終えることになってしまいました。

車体の構造は70003次車をそのまま引き継いでいますが、第21編成からは制御方式をVVVFインバータ制御に改める以外に台車も変更され、2輪だった案内車輪が4輪になっています。

以前にも掲載していますが・・・最初に台車の設計変更が成された21編成。上の26編成とは正面に描かれた虹のデザインが異なっていますね。

ボックスシート中心ながらドア付近の一部をロングシートとし、流動性に配慮した車内。景色の眺望や観光利用を考慮した座席配置でしたが、年々増加する輸送量に対応する為、7300形からはオールロングシートになりました。独特の車内設備も全廃により見納めです。

長らく東京臨海副都心の顔的な存在であり、AGT車両では初のステンレス車体・片側2扉車となかなか画期的な車両ではありますが同業他社とは違い特に保存の計画などは無く、全編成が廃車解体されるようです。長きに渡り親しんだ車両が乗る事も見ることさえも出来なくなるのは残念ですが、先ずは長年の活躍を無事に終えたことに敬意を表したいと思います。

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電車とバスの博物館に保存される東急デハ200形・204号車

2020年10月06日 | 東京急行電鉄

東急の電車と云えば引退後も地方私鉄に積極的に譲渡される為、南は九州の熊本から北は青森県の弘前まで全国に足跡を残し、初代3000系列からステンレスカーのパイオニア7000系まで比較的現存する個体が多く、中には譲渡先により保存されているケースすらありますが自社による保存車は会社規模に反して非常に少なく、過去に保有していた保存車や、保存前提で残存していた車両も売却ないし解体されてしまっています。 

その中でも旧玉川線でスター的な存在だったデハ200形電車は、204号車が多摩川園駅(現在の多摩川駅)に据えられ遊具となっていました。その後高津駅高架下に電車とバスの博物館がオープンすることが決定すると展示物に加えられることになり、数少ない東急自身が保存する車両になっています。

久々に電車とバスの博物館が土日の営業を再開したのでデハ200を観察して来ましたが、下周りに板が設置され特徴的だった台車が見られなくなってしまいました。

車内も以前訪問した時と変わりませんが、コロナウイルス感染対策で座席に区分がされていました。丸っこい断面が特徴的な車内ですが、木造の部品が見当たらないことや東急では初採用のワイドな両開き扉、天井部の冷房にも見える送風ファン(塞がれている丸い箇所)の跡から、現在の世田谷線を走っても違和感が無さそうな印象です。世田谷線散策きっぷの子供用の券面には現在の車両である300系と離合する絵が描かれてましたね。

200形の説明板。玉川線で営業運転を行っていた頃の姿の写真があります。この当時は木造車体や扇風機さえ備えていない車両もいた中では相当に先進的だったんでしょうね。

本形式は1955年の登場ながら航空機の技術を応用した軽量車体に小径車輪による低床・ステップレス化された車内やドア開閉と連動する可動式補助ステップなど、現代のバリアフリー思想やLRTにも通じる思想が盛り込まれており大変驚異的で保存対象に選ばれるのも当然といえますが、やはり残念なのは玉川線〜世田谷線で長年主力形式だったデハ7080150形が1両も現存していないことに尽きます。もしも、どれか1両でも保管されていて、並んで展示されていたら・・・と考えると惜しくてなりませんね。

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渋谷を去った青ガエル・5001号車

2020年10月04日 | 東京急行電鉄

渋谷駅ハチ公前に置かれ、待ち合わせスポットとして親しまれて来た東急の初代5000系・5001号車のカットボディが今年8月3日に搬出され、6日に秋田県大館市の観光交流施設「秋田犬の里」に設置されました。今後は傷んでいる箇所の補修や再塗装を実施する為、11月1日〜8日に公開後に専門業者に引き渡されるとのことです。

観光案内所としても機能していた5001号車ですが末期は閉鎖され、窓には大館行きを知らせる装飾が施されました。繁華街の渋谷駅周辺に置かれながら大きな破損も無かったのは奇跡的だったのかも知れません。車体をステンレスにマイナーチェンジした派生系列の5200系は機械遺産指定を受け総合車輌製作所(旧東急車輛)で永久保存され、先日記事にしたように上田電鉄にも保存車がいますが、5000系は置物状態にされてしまい、明暗が分かれてしまいました。

現代の2代目5000系では東横線90周年記念で緑ラッピングが施され話題を呼びましたが好評につき90周年記念の装飾を外した状態で期間を定めず運転されるようになりました。かつてのTOQ-BOX的な立ち位置でこの先も長く活躍してくれれば・・・と思います。

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城下駅に展示された東急5200系(上田電鉄5200系)

2020年10月01日 | 東京急行電鉄

北陸新幹線と接続する長野県の上田と別所温泉を結ぶ上田電鉄は、20191013日に発生した台風19号で千曲川橋梁が崩落し、上田〜下之郷間が不通となっていました。同年1116日には城下までの運転を再開し、22日には2021年春の運転再開を目指す旨発表しました。今年1月には上田市より橋梁を市有化し、復旧工事を支援する計画も発表されています。集客の一環として、下之郷に保管している5251号車を城下駅ホームで展示するという企画が7月23日から9月27日まで2か月に渡り実施されました。

1986年に上田交通(当時)入りし、後継の7200系が導入される1993年まで活躍しました。電動車のデハ5201は東急に里帰りし長津田検車区で保管された後、生まれ故郷の東急車輛製造(現在の総合車両製作所)に移設され機械遺産認定を受けたのは周知の通りですが、電装解除を行い制御車化されたクハ5251も解体されず保管され、アルピコ交通からパンタグラフを譲り受けて装着し東急時代に近い姿にされています。倉庫として使われている為か、床下機器は全て撤去済みなのが惜しまれます。

5200系は日本初のステンレス車として1958年に登場し製造から62年、引退してからも27年の歳月が経過していますが、全く劣化している様子が無く輝きを放っている姿は如何にステンレスが堅牢かを物語ります。

1001編成と並んだ場面。ライト類が点灯しているせいで、あたかも交換待ちの為に停車しているかのように見えます。東急1000系の初登場は1988年なので、実際には5200系と東急時代も並ぶことはありませんでした。

おまけに別所温泉駅近くで保存されているモハ5252号車。上田温泉電軌時代の1928年に登場し、1986年の架線電圧1500V化まで活躍しました。楕円形の戸袋窓から分かるように丸窓電車として親しまれた車両で、昭和末期までこの形態を残すのは貴重な存在として知られた存在でした。登場時はデナ200形を名乗り、1950年にモハ5250に改称しています。その為モハ5251という車番が設定されたことから上写真のクハ5251は2代目ということになります。

千曲川橋梁崩落という未曾有の大災害に見舞われた上田電鉄ですが、復旧に向けての工事も進行しつつあり、今から来年の春が待ち遠しく感じられます。次は全線復旧後に下之郷で5251号車の姿を見たいですね。

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