11月8日の昨日は、京都の花街・祇園で「かにかくに祭」が行われました
「かにかくに祭」とは、祇園の街をこよなく愛した歌人・吉井勇氏を偲ぶ行事の
ことで、毎年決まって11月8日に行われます。

吉井氏は浅草の女性と再婚後京都に移り住み、京都の花街と縁の深い生活をして
いたそうで、1950年~1960年のあいだ、祇園甲部の「都をどり」の長唄や地唄の
作詞もしていたようです
そんな吉井氏には自身の作品でも祇園について詠ったものが数多くありますが、
なかでも有名なのがこちらの歌碑に書かれているもの
「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」
この歌碑のある場所は、もともとお茶屋「大友」があった場所。大友は広く文人
ならびに画人と交流があった磯田多佳さんのお茶屋でしたが、第二次世界大戦の
空爆の疎開対策として強制撤去されてしまいました
その後、谷崎潤一郎らが発起人となって吉井氏の古希のお祝いにこの場所にこの
歌碑を建て、以来、歌碑の建てられた日に吉井氏を偲ぶ行事が行われています。

(画像は報道系サイトからお借りしました)
この行事では祇園甲部の芸妓さんや舞妓が歌碑に菊を献花するため、毎年多くの
アマチュアカメラマンや取材陣がかけつけ、白川沿いが賑わいます
今年の献花には祇園甲部の芸妓・紗矢佳さん、舞妓・紗月ちゃん、豆六ちゃん、
茉利佳ちゃんの4名が参加されました。
毎年このかにかくに祭りに参加される芸舞妓さんは、置屋兼お茶屋の「つる居」
さんの方々が多いようです。吉井勇氏と縁の深いお茶屋さんなのだとか
いつも思うのですが、秋の陽射しの中でみる芸舞妓さんはまた特別美しいなぁと
感じます。春の強い日差しよりも、秋の穏やかな陽射しのほうが白塗りや衣装の
鮮やかさが増すからでしょうか
こういった花街の行事は、こうして集まるアマチュアカメラマンの皆様のブログ
などでお写真を拝見することができるので、気軽に京都にいけない身にとっては
とても嬉しくて、アップされるのを楽しみにしています
いつか子育てに区切りがついて仕事からも解放されたら、京都にちょこちょこと
通ってみたいなぁ

「かにかくに祭」とは、祇園の街をこよなく愛した歌人・吉井勇氏を偲ぶ行事の
ことで、毎年決まって11月8日に行われます。

吉井氏は浅草の女性と再婚後京都に移り住み、京都の花街と縁の深い生活をして
いたそうで、1950年~1960年のあいだ、祇園甲部の「都をどり」の長唄や地唄の
作詞もしていたようです

そんな吉井氏には自身の作品でも祇園について詠ったものが数多くありますが、
なかでも有名なのがこちらの歌碑に書かれているもの

「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水のながるる」
この歌碑のある場所は、もともとお茶屋「大友」があった場所。大友は広く文人
ならびに画人と交流があった磯田多佳さんのお茶屋でしたが、第二次世界大戦の
空爆の疎開対策として強制撤去されてしまいました

その後、谷崎潤一郎らが発起人となって吉井氏の古希のお祝いにこの場所にこの
歌碑を建て、以来、歌碑の建てられた日に吉井氏を偲ぶ行事が行われています。

(画像は報道系サイトからお借りしました)
この行事では祇園甲部の芸妓さんや舞妓が歌碑に菊を献花するため、毎年多くの
アマチュアカメラマンや取材陣がかけつけ、白川沿いが賑わいます

今年の献花には祇園甲部の芸妓・紗矢佳さん、舞妓・紗月ちゃん、豆六ちゃん、
茉利佳ちゃんの4名が参加されました。
毎年このかにかくに祭りに参加される芸舞妓さんは、置屋兼お茶屋の「つる居」
さんの方々が多いようです。吉井勇氏と縁の深いお茶屋さんなのだとか

いつも思うのですが、秋の陽射しの中でみる芸舞妓さんはまた特別美しいなぁと
感じます。春の強い日差しよりも、秋の穏やかな陽射しのほうが白塗りや衣装の
鮮やかさが増すからでしょうか

こういった花街の行事は、こうして集まるアマチュアカメラマンの皆様のブログ
などでお写真を拝見することができるので、気軽に京都にいけない身にとっては
とても嬉しくて、アップされるのを楽しみにしています

いつか子育てに区切りがついて仕事からも解放されたら、京都にちょこちょこと
通ってみたいなぁ
