以前から生命論や意識に関するテーマには大いに興味を抱いておりましたが、最近は特に、記号論関係の読書に少し偏っております。。生命や意識と言った世界は、単なる物質とは違った世界ではないかと誰しも思うところですが、こうしたデカルト以来の二元論は既に否定されていることは分かってはいたのですが、では、それをどのように宇宙の開闢から量子論それに超ミクロな分子作用から意識や社会関係までのスケールで理解を進めればよいのか、といったことについては、今ひとつ、というよりかほとんど筆者の中ではできておりません。結局は数学や論理学といった分野での造詣がある程度はないと、思考を進めるにしても限界があるようです。
ある研究会でのテーマも、結果的にこのような生命理論や意識といった領域になってきており、とりあえず行き着いた参考文献の1つが、郡司ペギオ-幸夫の「生命理論」ですが、この超難解な本も数学や記号論をベースにしながら独自の論理を展開しております。結局は、生物(「生命」と言う言葉は「人間臭く」私は「生物」の表現の方が好きです。「命」というのはもっと嫌いですが。)も記号作用から成り立っているという「生物記号論」(川出由己著)にもつながります。
そうした中、今読み終えたのが「パースの宇宙論」(伊藤邦武著)です。「時間と論理」とタイトルにありますが、100年以上も前にパースが考えたことが、最新のビックバン理論、量子力学をも先取りしている点に驚かされます。この本にはいくつかの論点がありますが、なぜ時間が生じたのかという点に絡んで、なぜ時間は逆転できないのか?というあたりに、この世界をパースがどのように捉えているかの1つのエッセンスがありますので、少々難解かも知れませんが、整理かたがた簡単にご紹介しておきます。整理といっても、次のようなパースの言葉をサマリーした伊藤邦武氏のまとめを読んで頂ければお分かりになると思います。
「時間は本質的に逆転できない。この不可逆性は現在という瞬間が連続体のなかで常に非連続性を生み出しているという事実に由来する。この非連続性の連続的算出は、論理においては新しい前提の導入の可能性に相当する。論理は客観的な推論の依存関係という形式のもとで、無数の新しい前提に対して常に開かれているのである。
最大限に高度な次元の密度をもつ世界としての客観的様相の世界、それが論理の世界であり、それが直感へと映し出されてくる秩序が時間である。そこでは、あらゆるタイプの必然性の結びつきが存在し、そのなかで、あらゆる独自性をもった新しい瞬間が登場し、あらゆる新しい推論の前提となっていく。最高度に濃密な世界において連続的な非連続性の流出、閃光の発出があり、そこから具体的な質的変化の秩序としての実質的な時間の流れが成立する。かくして、時間は一方で論理と直結しながら、他方では質の世界へとつながっている-。」
このブログは「株に出会う」となっておりますので、上の文章を真面目にいきなり読んでも何のことやらと思う方が大勢いらっしゃると思います。筆者もそうです。そこで、筆者が前日に「明日の注目銘柄」として注目する株が、必ずしも予想通りには値動きをしない、それの「釈明」ではありますが、なぜ事前予想などが株に限らず当たらないのか、それは上の文章の特に青字あたりのことを様々な株式市場の言葉、例えば「地合」、「突発的出来事やニュース」、「急な大口買い手の登場」、「折り込み済み」そして「騙し屋の出現」等々で想像しながら読んで頂くと理解が容易かも知れません。
もし、これらの新しい独自性を持った前提が事前に分かれば、株式トレードでは一夜にして巨万の富を築くことができることでしょう。しかし、時間はパースのいう通りの理由から逆転できないのです。
最後にパースが言っている3つのカテゴリー論をご紹介して終わりにします。
「第一のものとは、その存在が端的にそれ自体においてあるものであり、他のものとの参照の下でとか、他のものの外にある、というしかたでは存在しないもののことである。第二のものとは、それがまさにそれの第二のものとなるような、当のものの力によって、現にあるようにあるもののことである。第三のものとは、それを媒介し、それによって互いに関係にはいることになる二つのもののおかげで、現にあるようにあるもののことである。」
何だか、禅問答のようですが、株トレードでの連想では、いかようにも適用が可能です。例えば、前日までの株価が第一のもの、当日の株価の動きが第二のもの、つまり現実の様々な作用、反作用の世界。そして、第一と第二のものの媒介者としての第三のもの、典型例としては、成長、連続、習慣化など常に反省によって知られる事項です。この第三のものをもっと極めることが、筆者が株トレードを日々行っている目的となっております。OSC(究極のオシュレーター)に基づくチャーチストという訳では決してありません。(それにしては、反省と成長がチョイと足りませんが。)
いずれにしても、なぜ、チャートや自動売買ロボットだけでは株では容易には勝てないのか、これでお分かりかと思います。
ある研究会でのテーマも、結果的にこのような生命理論や意識といった領域になってきており、とりあえず行き着いた参考文献の1つが、郡司ペギオ-幸夫の「生命理論」ですが、この超難解な本も数学や記号論をベースにしながら独自の論理を展開しております。結局は、生物(「生命」と言う言葉は「人間臭く」私は「生物」の表現の方が好きです。「命」というのはもっと嫌いですが。)も記号作用から成り立っているという「生物記号論」(川出由己著)にもつながります。
そうした中、今読み終えたのが「パースの宇宙論」(伊藤邦武著)です。「時間と論理」とタイトルにありますが、100年以上も前にパースが考えたことが、最新のビックバン理論、量子力学をも先取りしている点に驚かされます。この本にはいくつかの論点がありますが、なぜ時間が生じたのかという点に絡んで、なぜ時間は逆転できないのか?というあたりに、この世界をパースがどのように捉えているかの1つのエッセンスがありますので、少々難解かも知れませんが、整理かたがた簡単にご紹介しておきます。整理といっても、次のようなパースの言葉をサマリーした伊藤邦武氏のまとめを読んで頂ければお分かりになると思います。
「時間は本質的に逆転できない。この不可逆性は現在という瞬間が連続体のなかで常に非連続性を生み出しているという事実に由来する。この非連続性の連続的算出は、論理においては新しい前提の導入の可能性に相当する。論理は客観的な推論の依存関係という形式のもとで、無数の新しい前提に対して常に開かれているのである。
最大限に高度な次元の密度をもつ世界としての客観的様相の世界、それが論理の世界であり、それが直感へと映し出されてくる秩序が時間である。そこでは、あらゆるタイプの必然性の結びつきが存在し、そのなかで、あらゆる独自性をもった新しい瞬間が登場し、あらゆる新しい推論の前提となっていく。最高度に濃密な世界において連続的な非連続性の流出、閃光の発出があり、そこから具体的な質的変化の秩序としての実質的な時間の流れが成立する。かくして、時間は一方で論理と直結しながら、他方では質の世界へとつながっている-。」
このブログは「株に出会う」となっておりますので、上の文章を真面目にいきなり読んでも何のことやらと思う方が大勢いらっしゃると思います。筆者もそうです。そこで、筆者が前日に「明日の注目銘柄」として注目する株が、必ずしも予想通りには値動きをしない、それの「釈明」ではありますが、なぜ事前予想などが株に限らず当たらないのか、それは上の文章の特に青字あたりのことを様々な株式市場の言葉、例えば「地合」、「突発的出来事やニュース」、「急な大口買い手の登場」、「折り込み済み」そして「騙し屋の出現」等々で想像しながら読んで頂くと理解が容易かも知れません。
もし、これらの新しい独自性を持った前提が事前に分かれば、株式トレードでは一夜にして巨万の富を築くことができることでしょう。しかし、時間はパースのいう通りの理由から逆転できないのです。
最後にパースが言っている3つのカテゴリー論をご紹介して終わりにします。
「第一のものとは、その存在が端的にそれ自体においてあるものであり、他のものとの参照の下でとか、他のものの外にある、というしかたでは存在しないもののことである。第二のものとは、それがまさにそれの第二のものとなるような、当のものの力によって、現にあるようにあるもののことである。第三のものとは、それを媒介し、それによって互いに関係にはいることになる二つのもののおかげで、現にあるようにあるもののことである。」
何だか、禅問答のようですが、株トレードでの連想では、いかようにも適用が可能です。例えば、前日までの株価が第一のもの、当日の株価の動きが第二のもの、つまり現実の様々な作用、反作用の世界。そして、第一と第二のものの媒介者としての第三のもの、典型例としては、成長、連続、習慣化など常に反省によって知られる事項です。この第三のものをもっと極めることが、筆者が株トレードを日々行っている目的となっております。OSC(究極のオシュレーター)に基づくチャーチストという訳では決してありません。(それにしては、反省と成長がチョイと足りませんが。)
いずれにしても、なぜ、チャートや自動売買ロボットだけでは株では容易には勝てないのか、これでお分かりかと思います。