団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

国と司法と官庁に乗せられるな!

2008-05-16 08:17:00 | 日記
来年5月から裁判員制度が始まりますが、どうして私達素人が参加しなくてはならなくなったかよく分かりません。

どうも死刑制度に反対する公明党主導で導入されたらしい。
建前は裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼向上につながることが目的とされているとのこと。

ただしインターネットで調べると、1980年代には東ドイツをはじめとする共産主義国家でも導入されていて、共産圏諸国の行政的動機は、行政のみならず立法権を官僚が事実上掌握した社会において、官僚が制定した法の遂行作業(司法)を国民自身に参加・担当させることで、「ガス抜き」および国民の体制内化をもたらして、官僚支配を不可視にし、政治体制の維持延命を図るものであったらしい。

作家の高村薫さんが、民意を広く社会常識と捉えるなら、それを活かすところは、加害者も被害者も個人である刑事事件ではなく、むしろ公害訴訟や薬害訴訟のほうだろうと思うと述べられている。

もし薬害訴訟を私たち裁判員が裁いていたら、はるか昔に国と製薬会社の責任を認めて賠償を命じていたはずだ。

結局、ほんとうに私たちの民意が活かされるべき民事裁判が閉ざされたままであるのは、国と司法と官庁が、ここだけは国民に触れさせないとして死守しているからにほかならない。

そして、本来は民意よりも、証拠にもとづく精密な審理が必要な刑事裁判のほうを一般市民へ投げ出して、頬かむりしたということである。

こんな状況で私たちに出来るのは、軽々に声を上げて「世論」など形成しないことぐらいだろうか。

いつも高村さんは鋭い意見を述べられるが、今回も高村さんの意見に賛同しました。

国と司法と官庁に乗せられないようにしなければいけないと肝に銘じました。

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