団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

一度も会ったこともないのに結婚させられた時代

2017-06-24 04:16:18 | 日記
 先日の中日新聞の「暮らしの作文」という読者投稿欄に64歳の女性のパートさんの記事が載っていました。
「笹島ステーション」というタイトルで書かれていました。


 あおなみ線ささしまライブ駅周辺の開発が進んでいるという記事を読み、
私は母の生前の昔話を思い出しました。

 昭和18年、双子の母たちが17歳のある日、両親から
「明日、お前たちの結婚式だ」と突然告げられた。
戦時中で、適齢期の男子が少なくなっていることを心配して、
二人一緒に嫁入りを、という親心だったのだろう。

 だが「一度も会ったこともないのに、絶対いやだ」と、
母たちは眠れぬ夜を過ごし、二人は意を決して結婚式の朝、家出を決めた。

 家から約1キロ離れた国鉄笹島駅へと走った。
行く先はどこでも構わないと。
だが切符は買えなかった。

 すでに笹島駅は貨物駅になっていて、客車の乗り入れは、
現在の名古屋駅前に移転していたからである。
 うろたえる世間知らずの双子の娘たち。
追いかけてきた両親に見つかり、連れ戻されたという顛末だった。

 「あのとき汽車に乗ってたら、あんたたちとは会えなかったねえ」。
これがいつもの母の話のオチだった。

 笹島駅は、「笹島ステーション」と呼ばれていたという。
今、お母ちゃんがささしまライブ駅周辺を見たら、どういうかしら。
きっと「笹島ステーションはどこ」と、また迷うかも。


 以上です。


 このタイトルなっている笹島駅は、私はほとんど知らないです。
私は若い頃 一度この駅周辺を歩いたことがあるだけです。
笹島駅は貨物駅で、ただただだだっ広い敷地があり、何もなかったように思いました。
通勤で使われる自転車が何百台も放置されていたのを覚えています。(苦笑)
 名古屋駅の近くにあるわりに、なかなか開発されずにいましたが、
今はだいぶ再開発が進行しているようです。

 貨物駅だった笹島駅の跡地に設置されているのがささしまライブ駅で、名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)の駅だそうです。
私はこの駅へは、まだ行ったことないです。



 ところで、この作文に「二人一緒に嫁入りを、という親心だったのだろう。」
と書かれていましたが、
 親心?
親の価値観を子供に押し付けただけでしょう。
昔はこれが許された時代ですね。
結婚すれば幸せになるとは限らないのに。(苦笑)
自分の家に結婚を逃した娘がいるのが嫌だったからでは?
そう思うと、今は良い時代になったように思います。
ただ親の敷いたレールに乗らないのは、これはこれで大変だとは思いますが。(笑)








愛はかげろう。
コメント (10)
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