中日新聞の考える広場という欄に「終活しますか?」というタイトルで特集が組まれていました。
3人の著名人の方が終活について書かれていました。
私が尊敬するひろさちやさん「仏教思想家)さんの考えを取り上げさせていただきます。
「お浄土への心構えを」というタイトルで話されています。
私は今八十歳ですが、いわゆる「終活」は何もしていません。
子どもには「お父さんが死んだら、お骨はどうしてもいいよ」と言っています。
私は死んだ瞬間に極楽浄土に行き、阿弥陀仏の弟子になると信じています。
物質などどうでもいいのです、私にとっては。
それが信仰です。
人生には二つの物差しがあります。
一つは「世間の物差し」。
金持ちや優等生は良くて、貧乏人や劣等生は悪い。
悪い人間には存在価値がないという物差し。
終活している人は、世間の物差しで一生懸命やっている。
死後の自分を良く見せたいとの願望はありませんか。
「もういいじゃないか」というのが私の意見ですね。
もう一つは「仏様の物差し」。
金持ちでも貧乏人でも、優等生でも劣等生でもいいんだよという物差しです。
「じたばたするな。死後のことは仏様にお任せしておけばいい」。
私が信仰する浄土宗では、阿弥陀仏が金持ちも貧乏人も、悪人も善人も、
優等生も劣等生もみんな迎えてやるよ、そのまんまでいいんですよと言っています。
遺言状があれば、うまく行きますか。
かえって家族がもめる。
「こうしてほしい」というのはエゴイストだと思います。
遺言やエンディングノートがなくても、「死んだら、よろしく頼むね」
とだけ言っとけばいいんです。
仏様を信じ、お任せするのが仏教。
日本人の多くは「皆さんそうしているから」と世間の物差しだけで物を考えている。
「就活なんておやめなさい」(青春プレイブックス)という本を出したら、
お坊さんからは「営業妨害だ」と言われました。
母が2012年に96歳で世を去りました。
その数年前に「お浄土へのお土産は準備した?」と聞いた。
母は「お土産って何を?」と言う。
私は「美しい思い出を持っていくんだよ」と答えました。
お浄土は光ばかりの世界。
光ばかりでは物が見えない。
影があることで物が見えるんです。
美しい思い出とは「影」です。
苦労や悲しみ、不幸といった「影」があって初めて、幸せが分かるんです。
それを持っていく。
そう言ったら母は嬉しそうに「ありがとう」と言いました。
真の終活は、お浄土に持っていくお土産の準備や、
お浄土に行く心構えづくりだと思います。
それこそが仏様の物差しです。
以上です。
私は都合の良い時だけ神様・仏様を信じる者ですので信仰心はないです。(苦笑)
「私は『美しい思い出を持っていくんだよ』と答えました。
お浄土は光ばかりの世界。
光ばかりでは物が見えない。
影があることで物が見えるんです。
美しい思い出とは「影」です。
苦労や悲しみ、不幸といった『影』があって初めて、幸せが分かるんです。
それを持っていく。」
この言葉には感銘を受けました。
苦労や悲しみという影があって、初めて幸せが分かる。
なるほど、これが美しい思い出なのかと思いました。
ひろさちやさんはエンディングノートはいらないと言われましたが、私は世間の物差しのために
エンディングノートが必要だとは思っていません。
死んだ後の処理を子供達に委託するので、子供達がやりやすいようにエンディングノートを書かなければと
思っています。
私の要望ではなく、伝えておかなければいけないことを書くということでしょうね。
あまり世間の物差しは気にしていません。
そのように思う方が増えたから、家族葬が増えたように思っています。
Sadao Wtanabe・My Country(緑で潤う清澄の庭)
3人の著名人の方が終活について書かれていました。
私が尊敬するひろさちやさん「仏教思想家)さんの考えを取り上げさせていただきます。
「お浄土への心構えを」というタイトルで話されています。
私は今八十歳ですが、いわゆる「終活」は何もしていません。
子どもには「お父さんが死んだら、お骨はどうしてもいいよ」と言っています。
私は死んだ瞬間に極楽浄土に行き、阿弥陀仏の弟子になると信じています。
物質などどうでもいいのです、私にとっては。
それが信仰です。
人生には二つの物差しがあります。
一つは「世間の物差し」。
金持ちや優等生は良くて、貧乏人や劣等生は悪い。
悪い人間には存在価値がないという物差し。
終活している人は、世間の物差しで一生懸命やっている。
死後の自分を良く見せたいとの願望はありませんか。
「もういいじゃないか」というのが私の意見ですね。
もう一つは「仏様の物差し」。
金持ちでも貧乏人でも、優等生でも劣等生でもいいんだよという物差しです。
「じたばたするな。死後のことは仏様にお任せしておけばいい」。
私が信仰する浄土宗では、阿弥陀仏が金持ちも貧乏人も、悪人も善人も、
優等生も劣等生もみんな迎えてやるよ、そのまんまでいいんですよと言っています。
遺言状があれば、うまく行きますか。
かえって家族がもめる。
「こうしてほしい」というのはエゴイストだと思います。
遺言やエンディングノートがなくても、「死んだら、よろしく頼むね」
とだけ言っとけばいいんです。
仏様を信じ、お任せするのが仏教。
日本人の多くは「皆さんそうしているから」と世間の物差しだけで物を考えている。
「就活なんておやめなさい」(青春プレイブックス)という本を出したら、
お坊さんからは「営業妨害だ」と言われました。
母が2012年に96歳で世を去りました。
その数年前に「お浄土へのお土産は準備した?」と聞いた。
母は「お土産って何を?」と言う。
私は「美しい思い出を持っていくんだよ」と答えました。
お浄土は光ばかりの世界。
光ばかりでは物が見えない。
影があることで物が見えるんです。
美しい思い出とは「影」です。
苦労や悲しみ、不幸といった「影」があって初めて、幸せが分かるんです。
それを持っていく。
そう言ったら母は嬉しそうに「ありがとう」と言いました。
真の終活は、お浄土に持っていくお土産の準備や、
お浄土に行く心構えづくりだと思います。
それこそが仏様の物差しです。
以上です。
私は都合の良い時だけ神様・仏様を信じる者ですので信仰心はないです。(苦笑)
「私は『美しい思い出を持っていくんだよ』と答えました。
お浄土は光ばかりの世界。
光ばかりでは物が見えない。
影があることで物が見えるんです。
美しい思い出とは「影」です。
苦労や悲しみ、不幸といった『影』があって初めて、幸せが分かるんです。
それを持っていく。」
この言葉には感銘を受けました。
苦労や悲しみという影があって、初めて幸せが分かる。
なるほど、これが美しい思い出なのかと思いました。
ひろさちやさんはエンディングノートはいらないと言われましたが、私は世間の物差しのために
エンディングノートが必要だとは思っていません。
死んだ後の処理を子供達に委託するので、子供達がやりやすいようにエンディングノートを書かなければと
思っています。
私の要望ではなく、伝えておかなければいけないことを書くということでしょうね。
あまり世間の物差しは気にしていません。
そのように思う方が増えたから、家族葬が増えたように思っています。
Sadao Wtanabe・My Country(緑で潤う清澄の庭)