団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

夜間大学で学んだ法律の知識を生かせる裁判所の調停委員になりたいという思いが強くなり、六十歳で委員になる事ができました。

2022-12-02 05:03:20 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「第二の人生 苦学報われ」というタイトルで、81歳の男性が投稿されていました。

 その昔、高校を卒業した後は大学への進学を希望してきましたが、農家だった実家には経済的余裕なんてなく、いったん就職しました。

 それでも夢を諦めきれず、翌年春から夜間大学に通って法律を勉強しました。

 病気や仕事でなかなか授業に出席できないこともありましたが、何とか四年で卒業できました。

 その後は就いた仕事に専念し五十三歳で退職しました。

 以降、農業やアルバイトをしながらも、夜間大学で学んだ法律の知識を生かせる裁判所の調停委員になりたいという思いが強くなり、六十歳で委員になる事ができました。

 それからは、司法委員時代も含めた七十五歳までの十五年間は、わが人生の中で最も充実できた時期だった気がしています。

 消費者金融で多額の借金をした男性が過払い金を請求した事案は私たちの努力で解決できました。

 その昔、苦労して大学に通い続けたことが報われた瞬間でした。

 以上です。

 立派な方ですね。努力が報われてよかったです。

 素晴らしい人生を歩まれましたね。









宇多田ヒカル - First Love
コメント (2)
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