まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第21番「穴太寺」~西国三十三所めぐり3巡目・21(亀岡をレンタサイクルで巡る)

2020年12月15日 | 西国三十三所

12月13日、京都駅前のホテルで朝を迎える。今回は西国四十九薬師めぐりの第43番の神蔵寺に向かうのだが、同じ亀岡にあるということで、西国三十三所の穴生寺とセットで回る。亀岡駅周辺には手頃なホテルがなかったので、京都駅近辺での前泊とした。

朝食がついていなかったので前夜にコンビニで買ったもので食事として、7時18分発の亀岡行きに乗車する。晴れているような、薄曇りのような微妙な天候である。

まずは右にカーブを取り、京都鉄道博物館に隣接して昨年開業した梅小路京都西を過ぎる。まずは高架線で市街地を抜ける。

嵯峨嵐山では出番待ちの嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車を見る。実はこの日の動きだが、午前中に亀岡の2ヶ所の寺院を回った後、トロッコ亀岡12時30分発のトロッコ列車に乗る予定で、あらかじめ指定席券を入手している。穴太寺には過去2度訪ねたことがあり、一度目の時にはトロッコ列車、二度目の時には足を延ばして美山のかやぶきの里を訪ねている。今回は冬に入った時季、窓の開いたトロッコでは寒いかもしれないが、鉄道の旅を楽しむ予定である。

亀岡に到着。駅の北口には、前回来た時にはなかった巨大なスタジアムができていた。サンガスタジアムbyKYOCERA。正式には京都府立京都スタジアムと呼ぶそうだが、Jリーグの京都サンガの運営会社等が実際の運営に当たっている。京都の競技場といえば西京極が連想されるが、新たに専用球技場を建設することになり、県内のいくつかの候補地の中から亀岡に決まった。嵯峨野線で亀岡というと結構遠いイメージがあるのだが、京都駅から約30分、列車も15分に1本ということでギリギリセーフかな。これまでPRしていた明智光秀に加えて、京都サンガも前面に出している。

さてこれから駅に近い順に穴太寺、神蔵寺と回るが、穴太寺はまだしも、神蔵寺へはバス、徒歩だと結構難関である。かといってレンタカーを使うのはもったいない。そこで亀岡の観光を調べると、レンタサイクルが見つかった。これなら、午前中で2つの寺を回って駅に戻ることもできそうだ。

このレンタサイクルだが、一般的に駅前の観光協会や土産物店でやっている普通のレンタサイクルではなく、都市部で見かけるシェアサイクル方式である。今年の10月から、シェアサイクルの導入を支援する「コギコギ」という会社のサービスを導入している。あらかじめ、コギコギのアプリをスマホにダウンロードしておき、現地にて空いている自転車を選択して、スマホをかざしてロックを解除する。利用プランを選んで、料金はカード決済だ。この方式だと24時間利用することができるし、人を介しての手続きも不要で、これもコロナ禍を経ての新しい生活様式、ビジネススタイルの一つなのかなと思う。

亀岡では大河ドラマの舞台となったのを機会に観光客を取り込もうと、「スマートかめまる観光レンタサイクル」として、亀岡駅だけでなく隣の馬堀、千代川、そしてスタジアム内の大河ドラマ館にもスポットを設け、相互に乗り捨て自由としている。今回、4時間1000円のプランを選択して、電動自転車に乗り込む。

電動自転車に乗った経験はこれまで数えるほどしかないが、やはり通常の自転車と比べて快適である。特に漕ぎ始めからスピードに乗るまでのアシストがよい。駅の北口から南口へは、サンガスタジアムの前を通った後で高架橋を渡るのだが、その上りもそれなりの力だけでクリアできる。

南口から丹波亀山城の堀に突き当たるところに、明智光秀の像が立っている。こちらも2019年に完成したもので、武将というよりは文化人としての光秀を強調しているという。また周囲のぐにゃぐにゃした金属は、亀岡独特の朝霧を表現している。

ここから郊外に向けて自転車を走らせる。明智光秀像から20分弱で穴太寺に差し掛かる。

朝のことで参詣者の姿はほとんどなく、静かにお参りできる。コロナ対策ということで手水場の水が止められ、鰐口を鳴らすための紐も柱にくくりつけられている。それほど「密」になる場面はないと思うが、念には念を入れてのことだろう。

穴太寺の見どころは、本堂に安置されている釈迦如来像。涅槃の姿を表す寝姿の像だが、布団が掛けられていることで知られている。撫で仏として、自分がよくなってほしいと思う身体の部位を撫でてお願いするのだが、相手が布団に入っていることで、寝込みを失礼するというか、夜這いするというか、妙な心持になる仏像である。

また穴太寺は本堂内部とセットで庭園の見学もできるが、冬季は閉鎖されている。それでも境内のあちこちでは、紅葉の名残らしきものが見られる。これから本格的な冬に入っていく。

納経所で先達用納経軸の重ね印をいただき、この先の神蔵寺を目指す。距離にすれば5キロあまりあるだろうか・・・。

コメント

第9番「興福寺」~西国三十三所めぐり3巡目・20(再建された中金堂を見る)

2020年11月12日 | 西国三十三所

興福寺の記事の後半。カテゴリは西国三十三所である。この前に西国三十三所の札所を訪ねたのが9月の京都、六波羅蜜寺で、京都国立博物館で開かれた西国三十三所の特別展の鑑賞と合わせてのことである。広島異動が伝えられたのがその数日後のことで、これもぎりぎりのタイミングだったことになる。

西国三十三所の札所である南円堂に向かう前に、境内の真ん中にデンと鎮座する中金堂を訪ねる。

中金堂は伽藍の中心として平城京遷都直後に建てられ、後に東金堂、西金堂ができたことで中金堂と呼ばれている。しかし、南都焼き討ちも含めて何度も焼失と再建が繰り返されたが、江戸中期の1717年に焼失して、そのおよそ100年後に仮のお堂が建てられた。平成に入り、平城京遷都1300年を迎えるのを契機として、創建当時の規模での中金堂の再建が進められることになった。

ただ、一口に再建するといっても、鉄筋コンクリートで現代の建物を造るのではなく、1300年前の天平時代の姿をよみがえらせようというプロジェクトである。木材の調達ひとつにしても巨大な柱になるだけの木は国内では入手できず、ようやくカメルーン産のケヤキを探し出し、およそ20年かけて少しずつ輸入したとのことである。

こうして、2018年に301年ぶりに創建当時の規模で再建され、落慶法要が行われた。新しい中金堂はテレビなどでは見たことはあるが、現物を見るのは初めてである。これまでの札所めぐりでは工事中のため覆いに囲まれた姿しか見えなかったが、こうして眺めると堂々とした造りである。寺の中心部の建物ということもあるし、新たな記念撮影のポイントにもなっている。

エリアに入るには別途拝観料がかかる。コロナ禍の影響で4月から拝観を停止していたが、10月24日から再開されたばかりだという。正面の本尊は江戸中期の焼失後に造られた釈迦如来像。平城京の頃から続く数々の国宝・重要文化財の仏像に比べれば「新顔」で、何かに指定されているわけではないのだが、古い様式に則って造られたとされている。その釈迦如来の両脇には重要文化財の薬王菩薩・薬上菩薩像が祀られ、四隅を国宝の四天王像が護る形である。また、拝観再開を記念して、通常は厨子に収められている吉祥天像も特別に開帳されている。

また、中金堂のもう一つの見どころは内部の「法相柱」。今回の再建にあたり、仏教画家の畠中光享氏の手で玄奘三蔵や解脱上人、世親菩薩といった法相宗の高僧を描いている。この「法相柱」は創建当初の建物にはあったそうだが、その後の焼失でよくわからなくなった。そこは新たな天平の姿を描き出すことにして、寺の中が一層鮮やかになった。現在は古びた建物となった五重塔や他のお堂も、当初はこのような姿だったのかと近づいたように思う。

興福寺としては、中金堂の再建により1300年前の姿を甦らせるだけでなく、1000年先の未来へと存続させるという思いがあるそうだ。

中金堂を後にして、西国三十三所の札所である南円堂に向かう。これまで来た印象では興福寺の片隅にあるなというものだったが、中金堂ができたことでその向こうの東金堂、五重塔とも一体化したように感じられる。

ここで西国三十三所の先達輪袈裟をつけてのお勤め。納経所は独立して設けられていて、先達用の納経軸に朱印をいただく。これからは西国三十三所めぐりも薬師めぐりとのコラボで進んで行くが、広島から関西なら日帰りでも十分だ。ただ、第1番の青岸渡寺も残っており、広島から那智勝浦へとなるとさすがに遠すぎる。青春18きっぷのみなら2泊3日かかるのではないか。

それはさておき、興福寺を後にして猿沢池に下りる。多くの人が池の周りで憩っているが、その中に羽織姿・白無垢姿の男女がいる。猿沢池から興福寺の五重塔をバックに記念撮影をしているようだ。最初はインバウンドの人向けのコスプレか?と思ったが、正真正銘の結婚式のようである。後でわかったのだが、猿沢池のすぐ横に、かつての旅館を改装したゲストハウス型の結婚式場が新たにできており、そこで式を挙げるカップルだったようだ。こういうところの挙式というのもまた思い出になるものであろう。

これから向かうのは元興寺。奈良町の中を通ってぼちぼち向かうことにする・・・。

コメント

第17番「六波羅蜜寺」~西国三十三所めぐり3巡目・19(京都国立博物館の特別展とともに)

2020年09月13日 | 西国三十三所

西国三十三所の開創1300年の記念事業の一つとして、京都国立博物館で特別展「聖地をたずねて~西国三十三所の信仰と至宝~」が開かれている。当初は4月11日~5月31日の予定だったが、新型コロナにともなう緊急事態宣言のために開催が延期され、7月23日~9月13日の会期となった。

西国三十三所を回る者としてこの特別展は楽しみにしていて、本来なら7月23日の始まってすぐにでも訪ねるところだが、中国観音霊場の夏の札所めぐりに出かけたり、そもそも「夏の猛暑の京都は避けたい」という思いがあって、結局7月、8月とずるずると引き延ばしていた(これは、西国四十九薬師めぐりの次の札所である三千院にも行けていない理由でもある)。ただ、9月に入り、これではいけないと最終日前日の12日に出かけることにした。

この京都行きで使ったのが、近鉄の「1dayおでかけきっぷ」。大阪、京都、奈良エリアの近鉄全線が1日乗り放題で1000円。前日までの購入が必要だが、12日に出かけると決めて、11日に購入した。

これで藤井寺から橿原神宮前まで乗り、橿原神宮前から京都までの直通の急行に乗る。ほぼ一直線に奈良県から京都府に向かうが、1時間15分の乗車。なかなか乗りごたえがある。

京都に到着。駅構内で軽く昼食をとった後、市バスで国立博物館まで移動する。この敷地の中に入るのも随分久しぶりのことだと思う。入口では特別展のパネルがあり、数々の観音像が顔を揃えている。さっそくここで記念撮影をする人もいる。

現在は特別な時にしか開かれない明治古都館、ロダンの「考える人」像を見た後、現在の平成知新館に着く。

館内が密にならないようにと、一度に入場するのを5人ずつという措置を取る。そのために入場口には少し列ができていたが、1~2分おきに次の5人を入れていたからそれほど待つこともなかった。

入口にて音声ガイドの機器を借りる。ナビゲーターは『見仏記』など仏像ファンで有名なみうらじゅんさん、いとうせいこうさんが務めており、展示物の「解説」というよりは、親しみやすい視点での「感想」を語り合うというもので、この後展示室で思わずニンマリする場面もあった。声をあげて笑ってはいけないのだが。

展示は33の札所が所有する貴重な宝物が満載で、一つ一つを見るだけでもうなるばかりである。3階から2階、1階と下りてくる順路。内部は撮影禁止のため、簡単に紹介すると・・

第1章「説かれる観音」。観音は33通りに姿を変えて人々の悩みや苦しみを救うと説かれており、観音経の経典や古い時代の観音像が展示されている。青岸渡寺や壺阪寺、一乗寺所蔵の観音像、岡寺の半跏思惟像も出展されている。中にはオペラグラスを手に仏像の細かなところを観察する人もいる。

第2章「地獄のすがた」。西国三十三所は、長谷寺を開いた徳道上人が仮死状態になった際、地獄の閻魔大王から巡礼の功徳を広めるようにと33の宝印を授かり、中山寺に埋めたのが始まりだという伝説がある。地獄からの救済というのも観音信仰のご利益であるが、その地獄について「六道絵」、「餓鬼草紙」、「十王図」などで説いている。今の世で見てもなかなかの凄みがある。

第3章「聖地のはじまり」。西国三十三所の始まりは、上記の徳道上人、そして平安時代に巡礼を行ったとされる花山法皇といった人物が登場するが、なぜその寺が三十三所になったのかはいまだよくわかっていないところがある。ここでは長谷寺、施福寺、石山寺、清水寺などの縁起絵巻などが紹介されており、「観音のこうしたありがたいご利益があるのだぞ」というアピールが強いところが次第に三十三所を構成するようになったのかなとも感じられる。

第4章「聖地へのいざない」。当初は修行僧など「プロの巡礼」が行っていた西国三十三所巡礼だが、時代が下ると一般庶民にも巡礼が広がった。そこで、新たな巡礼を募り、また天災や戦乱で荒廃した寺院の建物を再建するために、曼荼羅図や勧進帳によって各寺院の歴史や功徳を説くようになった。特に曼荼羅図は、荒廃する前の姿や「こういう理想の姿」を描いたものとして、イメージを膨らませることができる。三十三所それぞれの札所本尊像をずらりと並べた曼荼羅もあり、これも壮観である。ここでは、私の地元にある葛井寺関連でも、室町時代のものとされる曼荼羅図や再建勧進帳が紹介されていた。

第5章「祈りと信仰のかたち」。このコーナーは仏像のオンパレード。西国三十三所は7種類の観音で構成されており、聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音、不空羂索観音、准胝観音、馬頭観音がある。ケースに入れず「生」の姿で展示されている仏像もあり、中には一つ一つに手を合わせる人もいる。実際の本尊は秘仏とされていても、そのお前立ちだったり、それを模したとされる像があり、その姿を通して本尊を思い浮かべることができる。中には、元々は聖観音だったり十一面観音だったものが、後の世に手を付けくわえて十一面千手観音となったのでは?という像もあり、みうらじゅんさんの感想に「カスタマイズできるんですねえ」というのもあった。人々の状況に応じて33の姿に変わることができるという教えを仏像でも表しているのかな。

第6章「巡礼の足あと」。こちらは現在の札所めぐりに通じる内容で、西国三十三所の案内図や案内本、笈摺、納経帳、納め札などが紹介されている。ここまでの構成で、西国三十三所の1300年の信仰の歴史が各方面から伝えられる。

第7章「受け継がれる至宝」。ここは観音信仰にとどまらず、それぞれの寺に受け継がれている貴重な宝物が紹介されていたが、さすがにここまで来ると結構疲れたので、最後は流す感じで見学した。

・・・ここまで見終えて、入館から2時間近くとなった。もっと熱心な方なら1日いても飽きないだろうし、会期の途中で一部展示替えもあるので複数回来た人もいることだろう。この記事を掲載した9月13日は特別展の最終日だったが、今後、ここまでの規模の展示が行われることはあるのだろうか。

実際に札所めぐりを行う中ではこうした仏像や宝物に出会うことは少なく、たいていは寺の本堂でも外陣から中の様子をうかがいながら手を合わせることが多い。そこに他の観光の要素が加わったり、あるいは寺に行くことそのものが朱印目当てのスタンプラリーかダンジョンの攻略のようになっていたりもする。今回、西国三十三所の長い歴史について、仏像や宝物を通して視覚的に少しでも学ぶことができたのは改めて意義があったと思う。これからもさまざまな歴史に思いを馳せながら回りたいものである。

せっかく西国三十三所関連の展示を見たので、どこか一つ回ることにしよう。現在は3巡目の途中だが、国立博物館からほど近い第17番の六波羅蜜寺がまだである。10分ほど歩いて訪れる。

六波羅蜜寺の名物といえば宝物館にある空也上人、平清盛の像だが、これまでの参詣で見物しているので今回は省略して、シンプルにお参りだけとする。特別展と合わせて訪ねる人もいるのか、結構多くの人たちが入れ替わり参詣している。あるいは、コロナ禍が少し落ち着いていることで京都を訪ねる人そのものも増えていることもあるのだろう。

外陣に上がり、マスクを着けて小声でのお勤めとする。本堂内の納経所もビニールシートを垂らしての対応である。

京都市内にはもう1ヶ所、第19番の行願寺革堂が3巡目でまだ残っているが、これは別の機会にするとして、河原町五条から市バスに乗って京都駅まで戻る。

近鉄の「1dayおでかけきっぷ」を使っているので、藤井寺から京都まででも元は取れているが、帰りも近鉄に乗ることにする。変化をつける意味で、別途料金はかかるが大和西大寺まで特急に乗る。車両はビスタカー、2階建ての階上席に陣取り、寺参りも終えたので「飲み鉄」解禁である。車両の中央部で振動も静かな車内で、車窓を見ながらの一杯。これも札所めぐりの楽しみの一つ。

大和西大寺からは奈良線で大阪市内に出ることにする。乗り換えに合わせて、橋上駅ナカにある展望デッキをのぞく。奈良線の大阪難波方面、京都線の京都方面の線路が合流するところで、近鉄の鉄道名所の一つである。

奈良線も先に普通の尼崎行きが来たが、L/C車でちょうどクロスシートになっていたので乗車する。別に大阪まで急ぐ必要もなく、生駒トンネルを経て大阪平野が広がる車窓を楽しむ。おでかけきっぷのメリットも活かすことができたが、これはまたお出かけに使ってみようと思う。

西国三十三所めぐり、今年はコロナ禍の影響で拝観停止や納経所の閉鎖があり、先達研修会も中止となったが、その中で少しずつ落ち着きを取り戻し、この特別展も盛況、1300年記念事業も延長されることになった。ある意味、それこそ先に触れたかつての曼荼羅図や勧進帳のようなことをやっているのかもしれないが、こういう状況だからこそ観音信仰の持つ力、意味というのが求められるのではないかと感じる。現実生活には行政がもっとしっかり機能して安心感をもたらずことが必要だと思うが、一方で、心の安らぎをもたらすものは別にあってよいところ。それを得つつ、これからの札所めぐりにつないでいこうと思う・・・。

コメント

第13番「石山寺」~西国三十三所めぐり3巡目・18(本尊如意輪観音特別御開扉)

2020年07月18日 | 西国三十三所

雨の中、岩間寺の参詣を終えて、シャトルバスが立ち寄る石山寺山門前のバス停で下車する。

前回、西国三十三所めぐりの2巡目で石山寺を訪ねたのが2016年12月のこと。その時は岩間寺から立木山寺(立木観音)を回り、最後に石山寺を訪ねたのだが、ちょうど33年に一度という本尊の如意輪観音像の御開扉にめぐり会うことができた。この時は立木山寺がメインで、ならばついでに通り道だから岩間寺や石山寺にも行こうという程度のことだった。

33年に一度だから、2016年の前は1983年、2016年の後は2049年ということで、その時のブログ記事には「33年後とは・・・私、生きてるかな?」と書いている。訪ねたのもその期間終了日の1日前のことで、偶然のことだった。

それが、2020年の3月~6月にまた御開扉ということになった。2016年から3年あまりしか経っていないが・・・と見ると、33年に一度のほか、天皇陛下の即位の翌年にも開かれるとあった。現在の上皇さまが天皇に即位した際には、1991年4月に開かれたとある。もっとも、それ以外でも2002年に「石山寺開基1250年記念」、2009年に「花山天皇一千年忌」という寺の行事でちょくちょく扉は開かれているようだが、今回は天皇陛下即位の「御吉例」ということで、勅使により開かれる由緒ある行事だという。

御開扉は当初3月18日~6月30日の予定で、岩間寺と同じく、西国開創1300年の記念印がまだだったのでどこかの機会で訪ねようと思っていた。ところがそこにコロナ禍である。石山寺も当初は拝観受付を続けていたが、緊急事態宣言が全国に発令されたことを受けて、結局4月22日~5月31日まで40日間の拝観停止となった。そして6月1日から拝観を再開するにあたり、石山寺が宮内庁にも相談した結果、御開扉の期間を8月10日まで延長することになった。ちょうど、拝観停止の40日間に相当する期間である。

山門の脇から境内に入る。受付のテントが出ていて寺の人が何やら来賓の対応をしている。フォーマルスーツに身を固めた人の姿もちらほら。何か行われるのかな。そのまま進み、御開扉の内陣の拝観とのセット券を買い求めると、「7月17日・18日は、法要のため11時~12時の間、内陣の拝観はできない」と案内される。時刻は10時半を回ったところ。それまでに内陣に入れば大丈夫かなと、石段を上がって取り急ぎ本堂に向かう。
 
なお、この時一緒に、新型コロナウイルス感染拡大防止を祈願した護符をいただく。

本堂に着いたが、内陣の入口では先に来ていた参詣者の内陣拝観の受付を断っているところで、法要が終わるまで外陣で待つように言われる。よく考えれば、法要は11時からだがそれまでにいろいろ準備もあるし、先ほど見かけた法要の参列者たちも席に着かなければならないからそうなるだろう。聞いたところでは、当初5月に予定されていた、御開扉期間の折り返しにあたる中日法要というのが行われるそうである。

扉の奥に如意輪観音像の姿がちらりと見えており、これで拝観したことにしようかとも思ったが、せっかく来たのだし、別にここで慌てることもない。境内で1時間待つことにしようと(これなら、先ほど急いで岩間寺を出る必要もなかったな)、まずは法要が始まる前に自分のお勤めである。感染防止のために、本尊との結縁綱や鰐口紐は取り外されて使用できないとあった。その中で経本を読むのだが、ふと、「マスクをしているとは言え、声に出して読むというのは果たしてどうなのかな?」ということも考える。プロ野球でも「大きな声を出しての応援はご遠慮ください」と言われる状況だが、まあ、経本も小声でブツブツ言う程度ならいいのかな。これが、札所めぐりツアーのように団体でやって来て、先達の音頭で一斉に般若心経を唱えて・・・となると問題なのかもしれないが(もっとも、そうしたツアーそのものは現在再開されているかどうかは別だが)。

朱印もいただく。「西国1300年の記念印も」と申し添えると、「記念印だけでよろしいか?」と逆に訊かれる。プラス100円で、御開扉の記念の銀色の印も押すという。期間限定だが、これは別にいいかな。

他にも内陣の拝観を待つ人の姿が見え、そろそろ法要が開始ということで私も腰掛けに座って待っていたが、待つ間に境内の他の建物も見て回ったほうがよいかなと思い、外に出る。
 
多宝塔や弘法大師堂、蓮如堂、光堂、紫式部像などを見て回る。リズミカルな和太鼓の音が境内に響き、おそらくさまざまな読経がなされているところのようだ。

雨は降り続くが、まだ咲いている紫陽花や、緑もみじ、苔の景色なども楽しめる。一通り回って本堂に戻ると、般若心経や本尊如意輪観音の真言、光明真言などが唱えられていて、そろそろ法要も終わりに近づいているようだった。それを外陣で待つ人も20名ほどいた。

内陣からは30名ほどの人がぞろぞろと出てきた。こうした法要に参列する方々はどういった関係者なのかな。内陣での拝観準備が終わり、ようやく上がれるようになった。

石山寺の歴史は古く、奈良時代、東大寺の大仏建立にも携わった良弁僧正が、この地の硅灰石の上に塑像の如意輪観音を祀ったのが始まりとされていて、現在の木像の如意輪観音は平安時代中期、11世紀初めの作品である。今も硅灰石の上の玉座に安置されていて、高さは一丈六尺(約5メートル)。先ほど外陣からも姿は見ていたが、やはり間近で見ると迫力、安定感をおぼえる。

他にも脇仏の執金剛神、蔵王権現や、毘沙門天、弘法大師作と伝えられる不動明王などの像がある。その中でも貴重とされるのが、本尊の胎内仏。2002年の石山寺開基1250年記念の御開扉の時に見つかった4体の仏像で、ガラスケースに収められている。飛鳥時代の作で、聖徳太子の念持仏ではないかとも言われている。また、火災で焼失した初代の如意輪観音像(塑像)の断片も展示されている。こうしていろいろ並べるだけで、歴史の深さというものが伝わってくる。

これで内陣の特別拝観を終えて、石山寺を後にする。門前の土産物店で鮒寿司やしじみの佃煮などを買い求め、バスでJR石山駅まで戻る。帰りは石山寺から京阪電車乗り継ぎでもよかったのだが、今回は石山から新快速で京都まで移動する。

そして乗ったのが近鉄特急である。橿原神宮前まで南下して帰宅しようということで、まあ、たまにはいいだろう。今回乗るのは現在の近鉄特急の汎用車両ともいえるACE車。

ちょうど昼時を過ぎているが、食事は駅弁でどうだろうか。JRのコンコースで買い求めたのが太秦の穂久彩の「京都の弁当」。4×5列のマスに京のおばんざいがあれこれ詰めたもの。平日の昼間だが休暇中なのでいいだろう、車窓のお供を一緒に買い求めて、ガラガラの特急車内で一人たしなむことに・・・。
 
途中の大和西大寺を過ぎたところの車両区ではこのような車両に出会った。かつての「行商列車」の名残で、先日運転が取り止められたが、現在もこういう形で余生を送っているようだ。
 
西国の3巡目もこれで半分を過ぎて、先達用納経軸にも全ての1300年記念印が押された。他の札所めぐりとの組み合わせや、気が向いた時に訪ねているのでペースはゆったりだが、まだまだ難所も控えている。ぼちぼち行きましょうか・・・。
コメント

第12番「岩間寺」~西国三十三所めぐり3巡目・17(初めてシャトルバスにてお参り)

2020年07月17日 | 西国三十三所

このブログでも、コロナ禍によりダメージを受けた観光業界の支援を目的としたGoToキャンペーンについて触れたのだが、7月22日からの適用に向けて動き出したところで都市圏を中心に新たな感染確認者が増加するということになった。そのため、このタイミングで実施することに対する反発の声が高まり、政府は「東京発着」を対象外とすることにした。

この定義もよくわからないのだが、さらに17日には、高齢者と若者の団体旅行も対象外とすることになったという。何を以て高齢者と若者の団体旅行と定義するのか、そもそも、そういう仕切りに意味があるのかと、さすがの私も思う。こうなると逆に、GoToキャンペーンの適用を受けられる条件というのは何やねん、結局意味がないのではないかと思う。では、高齢者も若者も参加するであろう一般の団体旅行はどうなるのか、高齢者や若者ばかりの中に私のような40歳代のおっさんが混じるようなツアーは対象となるのか否か・・・。

GoToキャンペーンの主旨は私も賛同するところなのだが、ここまで来ると果たして誰のため、何のためにやるのかという話である。一般企業なら間違いなく延期もしくは中止とする案件である。私自身、出かけることそのものは中止する気はないし、自粛警察と称する連中の言いがかりには一切応じることもないが、こういう中途半端な制度ならば別に利用する必要もないだろう。そもそもキャンペーンのターゲットが旅行会社の救済や、団体客、パッケージツアー客たちであり、青春18きっぷとか新幹線の格安プランとか、予約サイトにてホテルを押さえるというスタイルの旅行者への恩恵などわずかなものだから。

・・・タイトルは、岩間寺に行く話だった。例によって話が脱線してしまう。

西国三十三所の第12番の岩間寺。これまでの2巡で訪ねているが、3巡目の順番がここまでなかった。過去の1巡目は純粋に大津市内の札所を回る、そして2巡目は新西国三十三所の一つである立木山寺の参詣とセットで回っている。いずれも、京阪バスの中千町バス停から1時間近くかけて坂道を歩いて上ったのだが、特に1巡目の時には春先の雪の中を歩いたこともあり、個人的には難所のイメージがついている。それで2巡目以降、すっかり足が遠のいていたのだが、気がかりなのは「西国三十三所開創1300年」の記念事業との絡み。これまでの先達用納経軸を見返すと、第12番の岩間寺と第13番の石山寺だけが、開創1300年の記念印が押されていない。この記念事業もいずれは終わることで、周りには同時進行中の西国四十九薬師めぐりの札所もないため、どこかで機会を作らなければならない。

アクセスに難があるということだが・・・岩間寺に行くのに最も楽な方法となると、毎月17日の縁日にJR・京阪の石山駅から運行される無料のシャトルバスである。毎月17日と決まっているのだから事前にカレンダーで予定を立てれば済むことだが、なかなかこの17日と、土日の配置と、私の予定がぴったり合うことはなかった。そこをこの7月17日、平日ではあるが有給休暇を充てて何とか行ってみることにした。

このシャトルバスもコロナ禍にともなう緊急事態宣言の影響で2ヶ月ほど運転を取りやめていたが、6月からは運行を再開している。ただし、岩間寺のホームページによると、乗車は20名までという案内が出ている。バスは午前中に40~50分ごとに出ているが、通常であればシャトルバスは立ち客も出るほど混雑するそうで、それが20名までとなると乗れない可能性も出てくる。まあ、起点の石山駅は何もない駅というわけでもないので、乗れなければ次の便まで時間をつぶすかというくらいの気持ちで、朝のラッシュが続くJR大阪からの新快速に乗車する。

石山に到着。天気予報では大津は「曇り」と出ていたが、大津市内の石山に降り立つとしっかり雨が降っている。今年も各地で豪雨災害が発生していることに比べると「しとしとした梅雨らしい雨」だが、なかなかすっきりした天候にお目にかからない。梅雨が明けたら一気に猛暑日が続くというのはわかっているが・・。

改札を出るとまず目に入るのは、石山寺の本尊の如意輪観音の特別開帳の案内。石山寺は駅名にもなるくらいの観光スポットなので、下車客への案内としては当然である。このタイミングで石山に来たのはこの特別開帳があるためで、岩間寺からの帰りには石山寺に立ち寄る予定である。

南口に出ると、岩間寺へのシャトルバスを案内する立て看板がある。毎月のことなのでしっかりした造りである。それに従って進み、通常は京阪バスの折り返しスペースとして使われているであろう一角に入る。これから乗るのは9時20分発の便。

乗車前に係の人が、おでこに体温計をかざしての検温を実施する。特に問題なく車内に入る。発車時刻が近かったこともあり、結構乗車している。目で数えると20名前後といったところ。定員の20名というのは、2人掛けの席も1人ずつ着席する状態で満席になった数ということだろう。もっとも、中にはご夫婦や女性同士の複数客もいるから、20名というのも厳格なものではなく、一つの目安のようだ。

定刻になって出発。雨の中を進んでいく。東レの工場の横を通り、名神高速道路を跨ぎ、過去に訪ねて見覚えのある中千町から山道に入る。こんな道を歩いたんだなと、以前のことを思い出す。途中から人家もなくなり、急なカーブが続く。周囲の山も深くなってきた。過去に歩いただけに、シャトルバスは楽だなというのを改めて感じる。毎月17日だけと言わず、土日に数本ずつでもいいから運転してほしいのだがどうだろうか。運行する京阪バスとしてはこれは路線バスではなく、岩間寺による貸切輸送という位置づけのようだが・・。

石山駅から20分あまりで岩間寺の駐車場に着く。折り返し便は10時10分発で、これから30分弱。寺の大きさからしてお参りだけなら十分だが、ちょっと慌ただしいかもしれない。また、一緒に下車した人たちで納経所が混雑すれば厳しいかもしれない。まあ、間に合えば乗るし、間に合わなければその後の11時00分発に乗ろうかという心持ちで先に進む。中には時間を惜しんで早歩きの人もいる。

駐車場の小屋で入山料を納めて境内に進む。山門がない代わりに仁王像がお出迎えで、先に進む。

私の気持ちとしては10時10分発に乗りたいなというのが勝っているが、とりあえず一連の動きをする。中には手を合わせるのもそこそこに、とりあえずご朱印をいただこうと焦る様子の人もいる。かくいう私も観音経は早口で読んでいたのではないかと思う。

縁日ということで内陣にも入れるようになっていて、撮影不可のため画像はないが、山間の古刹の様子を見ることができる。

納経所も窓口3ヶ所で対応しており、ここで時間を食うことはなかった。あまり慌ただしいのもどうかと思ったが、ちょうど駐車場に戻ればバスが発車するというタイミングである。こうなると、雨の中で次のバスまで50分待つよりは、バスに乗ってとりあえず石山寺まで行ったほうがよさそうだ。そこまで行けば後の時間は柔軟に調整できる。

折り返しの便に乗ると、先ほどから少し人数が減っていたようだ。残りの人は最初から次のバス狙いなのだろう。下り坂ということでバスのスピードもスムーズである。

石山駅~岩間寺までは乗降の扱いがなかったが、岩間寺~石山駅までは途中のいくつかのバス停で降車のみ取り扱う。そのため、石山寺山門前にも停車。第12番から第13番に続けて参詣する人への便宜も図っている。実際、乗客の半数がここで下車した。逆にここから乗ろうとする客に対しては「降車専用です」と断っていた。路線バスの臨時便ではなく、あくまで、岩間寺による貸切運行の扱いだから・・。

雨が降り続く中だが、せっかくの機会で石山寺にも参詣することに・・・。

コメント

第15番「今熊野観音寺」~西国三十三所めぐり3巡目・16(札所めぐり再開!)

2020年06月09日 | 西国三十三所

新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が解除され、その後も一部地域での集団感染や、「夜の街で接待をともなう飲食店」での感染もあり「東京アラート」というのも出ているが、世の中としては少しずつ活動を取り戻しつつある状況だ。もっとも、働き方や日常生活において一人ひとりが対策を取る必要があり、まったく以前のとおりそのままに、とはいかないのも実情である。

休業要請が解除されたこともあり、実は先日、とある居酒屋に久しぶりに行ってみた。飲み会ではなく一人で行ったのでカウンターに腰かけたが、固定式の椅子は1脚ずつ開けて座るようになっていた。またこれまでは店員がタオル式のおしぼりを手渡してくれたり、塗り箸を持ってきてくれたのが、ビニールに入った紙式のおしぼりと割り箸に変わった。いずれもコンビニのサービスでつくのと同じようなものである。

テーブルを見ると、以前は共用で置かれていたつぎ足し用の醤油や七味といった調味料もなく、例えば刺身を注文すると醤油も皿に入れて持って来る。そもそも、メニューも以前と比べて絞っての提供である。店員はもちろんマスク着用で、それも含めて店員と客の接触を少しでも減らす、またテーブルの共用品に接触することも減らすという対応である。

私もさすがに長居する気も起こらず、最初に注文した一通りだけいただいて店を出たが、やはり一部ではテーブルに密集して、久しぶりの「オフライン」飲み会で発散するのか、大きな声で騒ぐグループもいたりした。まあ、そうする人が出ても仕方ないだろう。

・・さてようやく本題。

緊急事態宣言の1回目の延長期限とされた5月31日を過ぎ、6月に入ったことで、同じ関西(厳密に言えば大阪府から外に出ることにはなるが)の西国三十三所めぐり、西国四十九薬師めぐりも再開とする。札所のほうも、一部特別拝観や行事などの中止という状況にあるものの、通常の参詣、納経所の受付も再開されている。

目的地は、西国四十九薬師めぐりの続きである京都東山の雲龍院。場所を見ると、御寺泉涌寺に隣接する塔頭寺院である。それならば、同じ塔頭寺院で西国第15番の今熊野観音寺も一緒に訪ねることにしよう。

梅雨入りを前にした6月7日、淀屋橋から京阪特急に乗車する。この特急に乗るのも久しぶりである。いろいろ案内を見ると、ひらかたパークが5月29日から営業再開とある。ただし入場制限をかけており、チケットは事前にローソンチケットのみでの販売という。また、京都競馬場の入場中止により、競馬開催日の淀駅の快速急行・急行の臨時停車を取りやめるという案内もある。日曜といえば京都方面に向かう客で列車も混雑するのだが、この日はそこまでもなく走っていく。

丹波橋で普通に乗り換え、東福寺に到着。これまで西国めぐりで降りているが、そういえば駅名の東福寺には一度も行っていないなと思いつつ、今熊野観音寺を目指す。道はわかりやすく、途中からだらだらとした上り坂である。マスクを着用していると暑く感じる。

熱中症防止との関係で、屋外で他に人がいなければマスクを取ってもいいという指針もあることから、時折マスクを外して、外気を取り込む。結局この日の気温は30度近くまで上がったのだが、まだカラっとしているので外気を取り込んだり、木陰に入るとまだ涼しく感じられた。ただこれから蒸し暑い時季になるとしんどくなるだろうな・・。

泉涌寺の山門をくぐり、いくつかの塔頭寺院の前を過ぎると今熊野観音寺へ続く道に出る。

「悪病消除」の看板も立てられている。この道を下ると青もみじの中を行く。トレッキング姿の人も何組か見かける。この辺りは京都トレイルの東山コースと重なっており、緊急事態宣言の解除を受けてこうしたトレッキングの方も増えていることだろう。

寺に到着。子護大師の前で一度深呼吸した後、境内にあがる。人出はそれほど多くない。

本堂の中でのお参りも可とのことで、横の障子扉から中に入る。こちらのお勤めもマスクを着用したままで、やはりいつもと比べて息継ぎのタイミングも早くなる。こちらの観音は「頭の観音様」としての信仰を集めている。熊野詣が大好きだった後白河法皇だが、日々の心労による頭痛も持っていた。そこで今熊野観音に祈願したところ、法皇の枕元に観音が現れ、頭痛が取り除かれた。

そこから頭痛封じの観音様となり、派生してぼけ封じや、学業成就といった「頭」に関するご利益があるという寺院になった。

このお参りでの「密」といえば、納経帳の朱印で何人かが列をなしていたくらい。西国だけでなく、ぼけ封じ観音めぐり札所の朱印をいただく人もいた。

また、緊急事態宣言の影響で延期されていた京都国立博物館での西国三十三所関連の特別展だが、7月23日~9月13日と決まったことをうけて、新たなポスターも貼られていた。これも期間中のどこかで訪ねることにしよう。

これで西国3巡目も一つ進んだところで、もう少し坂道を上る。この後で雲龍院を目指すが、せっかくなので御寺泉涌寺も参詣することに・・・。

コメント

第23番「勝尾寺」~西国三十三所めぐり3巡目・15(コロナに打ち勝て!)

2020年04月27日 | 西国三十三所

さて、受付から勝尾寺の境内に入る。西国三十三所のSNSによれば、33の札所の多くでは行事の中止・延期、拝観・納経時間の短縮、納経所の閉鎖、中には拝観そのものの停止という対応がなされている中で、勝尾寺については「通常運転」のようである。訪ねた時はちょうど定刻の祈祷の時間のようで、この時も何がしかの祈祷があり、祈願文や観音経偈がスピーカーを通して境内に響いている。

改めて勝尾寺の歴史について触れると、開かれたのは奈良時代の後期、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)の開成(かいじょう)皇子が大般若経600巻を書写して奉納し、弥勒寺として建てたのが始まりである。その後、妙観が十一面千手観音を奉納し、寺の本尊とした。

平安時代以降は山岳修行の場として信仰を集め、清和天皇の病気平癒を祈祷してそれが叶ったことから、「勝王寺」の名前を与えられた。さすがに「王に勝つ」は恐れ多いとして、読みは「かつおうじ」のままで「勝尾寺」と称した。もっとも、今の山門の裏側の扁額には「勝王寺」と書かれている。

そして勝尾寺といえば境内のいたるところに置かれる「だるまみくじ」のミニだるまである。勝尾寺という寺の名前や、「七転び八起き」、「勝ちだるま」というところからいつの頃からか置かれるようになり、「勝ち運」の寺としても人気。このところはこのミニだるまの景色を目当てにしたインバウンドの客も多いところである。

本堂に上がる途中には「勝ちだるま」の奉納所がある。願いが叶った、目標を達成することができた時、そのお礼として奉納されている。

勝尾寺とだるまの関係がいつ頃からなのか確かな記事は見当たらないのだが、だるまで有名な群馬の高崎市のホームページには「高崎だるま(R)の歴史」という記事があった(だるまに「R(登録商標)」がついているのも驚きだが)。それによると、だるまが世間に広まったのは江戸で疱瘡(天然痘)が流行したことに由来するという。当時は現代のような医療が発達しておらず、庶民は病を恐れ、願掛けを行った。その時、「赤いものが邪気を払う」として、赤く塗っただるまを疱瘡除けとして求められ、子どもの枕元にも置いたという。

天然痘は後に種痘が開発されたことから現在では根絶されたとされているが、現在の新型コロナウイルスも、当時とは単純に比べられないにしても、状況としては似たようなものではないだろうか。コロナにも「打ち勝て!」と言いたくなる(こういうと、ウイルスに「勝つ」のではなく「共存」すべきだと主張する方々もいるそうだが)。

何だか勝尾寺に来た理屈をこね回しているようにも感じるが、厄ばらい三宝荒神社、鎮守堂、開山堂、大師堂と順に手を合わせる。なお、こちらの手水には柄杓が通常通り置かれていた。

そして本堂にてお勤め。お堂の中には祈祷を申し込むか、毎月の開帳日に訪ねるかでないと入れないので、外での読経である。こういう状況なのでマスクを着けながら経典を読むが、やはり息が長くは続かない。

私もだるまみくじを一つ引いて、境内にお供えする。だるまみくじも場所によっては「密集」しているところもあり、こういうのを見ると「『3つの密』を避けましょう」てなことを言って、だるま同士の間隔を開けようとする人がいるのではないかと思う(すでにいてたりして)。

4月末、鯉のぼりの季節だがその鯉にも元気が見られないように思う。

納経所に向かう。過去に訪ねた時は建物の外まで長い列で、係の人が複数で対応しても時間がかかったが、今回はこの状況で誰もいない。カウンターには透明シートが貼られ、床には並ぶ間隔を示すテープも貼られている。勝尾寺では確か納経帳に朱印を押したり、筆を走らせる際に係の人が「南無大慈大悲観世音菩薩」と小声で口にしていたと思うが、この時はなかった。こういう状況なので控えているのか、マスクをされていたので聞こえなかったのかはわからない。

さてこれで参詣を終え、花を見ながら山門まで下りる。

納経所で並ぶことがなかったぶん、バスに乗るまでの1時間はちょうどよい滞在時間になった。12時31分発の千里中央駅経由北千里駅行きも、勝尾寺から5~6人の客で山道を下って行く。

千里中央には13時すぎに到着。昼食の時間帯で、通常の札所めぐりであればここら辺りで一人打ち上げでもするところだが、駅ビル内でも開いている食堂もあるものの、人との接触を減らすわけではないがそのまま列車に乗り込む。結局そのまま自宅まで戻ってからの食事となった・・・。

コメント

第23番「勝尾寺」~西国三十三所めぐり3巡目・15(こういう状況下ですが・・・)

2020年04月26日 | 西国三十三所

26日、こういう状況下で札所めぐりとは何事かと思われるところだが、今の実際の札所の様子がどういう感じなのかということを少しでも見ておくということで記事にする。その場所に勝尾寺を選んだのは、「府県を跨いだ移動を控える」として同じ大阪府内の札所で3巡目がまだだったということである(安倍と同じような言い訳をしているが)。

日曜日の御堂筋線天王寺駅。5月6日までの土日祝日について、大阪メトロ各線では通常の土日祝日ダイヤから約2割減便して運行されている。駅掲示の時刻表も差し替えられている。御堂筋線でいえば天王寺~新大阪の区間運転便について1時間に2~3本が減らされるが、元々本数が多い路線であるし、なかもず~千里中央の通し運転については通常ダイヤ通りなので、普通に乗車するぶんにはそれほど影響はない。

今回10時頃の列車に乗ったが、普段は混雑するなんば~梅田間でも1両に10数人がいる程度。乗客はほぼ全員マスク着用だし、車内のあちこちの窓も開いて風が入ってくる。

千里中央に到着。2020年、北大阪急行の開業50年をPRするポスターが掲げられている。そういえば1970年の万博から50年である。今から5年後、大阪・夢洲にて大阪・関西万博の開催が決定していて、当初は2020年の東京五輪と合わせて経済に弾みをつけたかったところだが、この状況である。東京五輪は1年延期が決定したが通常開催できるのか疑問の声も挙がっているし、大阪・関西万博も今のところ延期や中止の話は出ていないし、まあ大丈夫だとは思うのだが、一方で明るい話も聞こえない(もちろん、今はコロナ対策に全力を挙げる時だが)。

なお大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、「いのちを救う」、「いのちに力を与える」、「いのちをつなぐ」というお題目がある。期せずして、現在世界で抱えている問題にぴったりである。コロナウイルス、正に「いのち」にかかわること。また世界的に完全に終息させるとなると今から5年くらいはかかるだろう。こうした後の社会は現在とは違った価値観、仕組みが広がるかもしれない。それが一同に会するイベントということならば開催の意義は高くなるだろう。

・・・とまあ、目の前のことから離れたことを思ってみる。千里中央駅はさまざまな商業施設が集まっており、やはり休業、営業時間短縮の影響もあるようだが、開いている店舗には利用客がそれなりに集まっている。写真の千里阪急も地下の食料品売り場のみ営業している。

千里中央駅10時55分発のバスで勝尾寺に向かう。前回訪ねた時は大陸からの客も含めてバスも満員だったが、この日は先客が2人、そして千里中央から乗車は私だけである。

北大阪急行の延伸工事現場の横を通る。千里中央から箕面萱野まで、当初は2020年度の開業予定だったのが、工事日程の見直しで2023年度開業にずれこんだ。

バスは郊外の住宅地を走る。日常の移動ということでクルマの行き来も結構目立つ。確かにスーパーには駐車場があるが、いずれもほぼ満杯のようだ。またこれは気のせいか、歩道をジョギングしたり、動きやすい服装で歩いたりする人が目につく。テレワーク、ステイホームが行われている中、日曜日くらいは体を動かそうという人も多いのかもしれない。

それは住宅地を抜け、勝尾寺の参道の山道に入ってからより一層感じられる。ジョギング、自転車(スポーツサイクルもあればママチャリもあり)の往来が結構あり、バスも慎重に追い越していく。普段から走り慣れているのかもしれないが、歩道もないしクルマの往来も結構ある。コロナウイルスの感染よりも交通事故に遭わないかが心配である。

勝尾寺へは山の中を歩く旧参道もある。私も一度歩いたことがあり、今回もどうしようかと思ったが、結局移動時間短縮のためにバスに乗っている次第。

千里中央駅から30分あまりで勝尾寺に到着。こんな時に参詣の人がどれくらいいるのかなと思ったが、それなりの数の姿が見える。またそれよりも、歩道に自転車を停めて休憩している人が結構多い。ここで折り返す人、あるいは箕面大滝方面に抜ける人、勝尾寺は手軽なヒルクライムコースとしてその筋で知られているスポットでもある。

これまで訪ねた時と比べればめっきり人も少ないのだが、まったく人がいないわけでもないのでどこか安堵した気持ちになり、1時間後の帰りのバスまでの時間で「観光」ではなくしっかり「参詣」しようと思う・・・。

コメント

第5番「葛井寺」~西国三十三所めぐり3巡目・番外(新型コロナと札所)

2020年04月18日 | 西国三十三所

緊急事態宣言が全国に広がって最初の週末。

タイトルには西国三十三所めぐりと書いているが、これはわざわざ出かけたということではなく、私のご近所の話。

18日は近くの内科医(個人でやっている開業医)で生活習慣病の定期的な検査を受けたのだが、こうした状況下で院内も厳戒態勢を敷いていた。受付にて検温、血圧測定を行い、待合室の長椅子も真ん中の部分にテープでバツ印をつけて仕切ったり、主治医の先生に絶対に診てもらわなければならない体調不良があるわけではないので看護師の方が間を取り次ぐ形で処方箋の段取りをしてもらったり、何とか「医療崩壊」を防ごうという取り組みが見られた。

またもう一つ、別の病院にて睡眠時無呼吸症候群の治療を行っているのだが(これも生活習慣病やなあ)、空気を鼻から気道に送り込むCPAP(シーパップ)を使用して、その使用時間や使用時の無呼吸回数、気圧などを記録したSDカードを毎月病院に持参して、データを見てもらったり先生のヒアリングを受けている。

それもこうした状況下なので、今月初めて通院ではなく、電話による診療となった。これは厚生労働省が特例として認めた措置だそうで、私のように継続して治療を行っていて、症状が安定している場合についての対応だという。現在のCPAPは通信機能があり、病院のパソコンでもリアルタイムのデータを取ることができる。こちらも月1回の通院で、料金は次回の支払いでよいとのこと(ただし、来月もどうなっているかわからんけど・・・とは先生の話)。

なおCPAP、睡眠時無呼吸症候群の「対処療法」としては効果的なのだが、このところの新型コロナウイルス患者の治療でも注目されている。肺に安定して酸素を送り込む人工呼吸器として、CPAPを改造した装置が欧米で投入されているのだとか。

・・・さて、葛井寺の話である。検査が終わった後、自宅に戻るのに少し散歩がてら訪ねた。そういえば毎月18日は本尊十一面千手観音像の御開帳の日である。普段であれば西国三十三所ツアーも含めて参詣者もそれなりに来る。またこれからは藤の花の時季にもなってくる。

そして正門。西国三十三所霊場会からもすでに告知されていたので知っていたが、緊急事態宣言の発令を受けて御開帳は中止との掲示がある。また5月1日~6日の特別拝観も中止とあった。門は開いていて外陣での参詣はできるが、それでも「必ずマスク着用」との強いお願いである。

境内には人の姿もほとんど見えない。藤井寺駅への近道として境内を通り抜け、本堂の前でちょこっと手を合わせる人がたまにいるくらいだ。

また、人との接触を避けるということで、手水からは柄杓が撤去されているし、本堂の鰐口を撞くための紐も取り除かれている。とりあえず手だけ合わせる。

納経所も普段は本堂の中にあるが、今は外の小屋に出ている。朱印を求める人が本堂の中で密集しないようにとの対策である。立札には「前後の間隔を開けて並ぶように」「必ずマスク着用(未着用の方は受付しない!)」、「朱印は可能な限り書き置きにて」という注意書きが出ている。今回はついでで境内をのぞいただけで、先達用の納経軸に朱印をいただく予定もなく、こういう対応なのだなというのが見られて情報になった。もっとも、この時に他に朱印を求める人の姿もなかったが。

神社仏閣はいわゆる行政からの休業要請の対象にはなっておらず、境内で普通に手を合わせるだけなら「3つの密」の状況ではないのだろうが(これを言うと総理夫人が宇佐神宮に・・・いや、何でもない)、受け入れる側も大変な気遣いである。

西国三十三所の各札所にもさまざまな影響が出ているようで、拝観時間の短縮や納経所の閉鎖、各種行事の延期、中止が相次いでる。緊急事態宣言が全国を対象に発令されたことで新たに措置を取った札所出ている。また、四国八十八所霊場会のサイトを見ると、札所ごとの対応が一覧になっている。18日時点の状況を見ると、半数以上の札所で納経所が閉鎖されているようで、中には「閉山」の文字もある。「閉山」とはどういうことだろうか。境内には入れるがお堂の扉が閉まっているのか、あるいは境内そのものにも入れなくなっているのか。

こうした中でも各寺院では新型コロナウイルスの終息、人々の病気平癒を願って日々祈祷しているという。やはりここは御仏の力にすがることも大切かな。

せめて、この藤の花が満開を迎える時には、何か明るい話題が出てほしいものだが・・・。

コメント

しばらくは札所めぐりもお休みですな・・

2020年04月08日 | 西国三十三所

緊急事態宣言。

安倍の心のこもらない会見をニュースで繰り返し見るのはウンザリで、私も昨夜は荒れた気持ちになったのだが、一晩経って落ち着いたところで、出たものは仕方がないと受け入れるしかない。

ただ・・「自分が感染者だと思って」って、安倍がドヤ顔でいうのって、何やねん。貴様こそ日本に害毒を撒き散らす有害物質やろが。

前の記事で、新社員の研修がどうなるかということに触れたが、やはり7日で講座を中止することになった。残りの期間は各自WEBでの対応となった。

私の勤務先でも交代での在宅勤務の検討に入った。回数は少ないながらもしばらくはそうした対応となる。

話は変わって、札所めぐりである。現在は西国三十三所の3巡目、西国四十九薬師、そして中国観音霊場の3つのコースが進行中で、その中で中国観音霊場は、5月の大型連休にて山口県中部の4ヶ所を周辺観光と合わせて泊まりがけで回る予定にしていた。山口県じたいは感染確認者は数人程度だが、緊急事態宣言が出ている大阪から泊まりで行くのはやはり控えたほうがよさそうだ。その後、何月にどのエリアを回るという見通しを立てているのだが見直しだろうな。

個人的には、参詣者であふれかえるまで行かない寺社参りは「3つの密」には当てはまらないのではないかと思うのだが・・。

ただ、寺のほうも新型コロナウイルスの対策に出ている。たまたま、大阪の四天王寺の公式サイトを見たのだが、全てのお堂の扉を閉めるということが書かれていた。境内は入れるようだがお堂の扉が閉められたのでは仏様は拝めない。また納経所も閉鎖するとある。

また、京都国立博物館で4月11日から開催予定だった西国三十三所関連の特別展も、博物館の臨時休館が延長されたことで無期延期となった。京都府は緊急事態宣言の対象ではないが、やはり大阪、兵庫とも繋がりが深いエリアだから致し方ない。元々5月末までの期間だったので、5月になり事態が好転すればまだ望みはありそうだ。

西国四十九薬師めぐりは、次の順番は奈良の五條である。この辺りならササッと行けないかなと思うのだが、どうかな・・。

・・と、いろいろ書いたが、結局は札所めぐりはしばらくお休みということである。この緊急事態宣言もあくまで不要不急の外出自粛の要請であり、出かけたところで罰せられるものではない。ただ、どこか後ろめたさを感じながら動いたり、中途半端にコソコソ動いても楽しくないだろう。

そういえば昨年の今頃は「令和」フィーバーだったなと思い出しつつ・・・。

コメント (2)

第16番「清水寺」~西国三十三所めぐり3巡目・14(これまでの400年、これからの400年)

2020年03月19日 | 西国三十三所

清水寺に到着した。ここに来てまた雨が落ちてきた。山門から京都市街地方面を振り返るが、どんよりした景色が広がっている。

平日だからか、インバウンドの客が少ないためか境内も落ち着いた感じである。拝観料を納め、本堂に向かう。

前回訪ねた時は、ちょうど2017年から実施されていた本堂屋根の檜皮葺き替え工事の最中で、本堂もすっぽりと囲いで覆われていた。「平成の大修復」の集大成として行われていた葺き替え工事も2019年末に終了し、ちょうど先月、本堂の囲いが取り払われて新しい姿を現している。また、屋根の葺き替えに合わせて破風の金具も再建以来初めて修復したそうで、金色が鮮やかに見える。

時代は平成から令和に移ったが、2020年夏頃からは舞台の板を交換する工事が始まるという。そうなるとまた足場を組んだり囲いができるだろうから、元の姿を眺めることができるのもこの数ヶ月というところである。

清水寺の現存の建物はほとんどが江戸時代の前期、今から約400年前のものである。今回の「平成の大修復」は2008年から段階的に行われたが、それは「次の400年」に向けてのものだという。文化財を過去から未来に受け継いでいくというのは多くの力が必要であるが、多くの人の観音信仰によって支えられてきたものも大きい。

本堂に上がり、さすがに床は少し冷えるがそこに座ってのお勤めとする。清水寺の不思議なところは、皆さん舞台から景色を見たり記念撮影はしっかりするものの、靴を脱いでご本尊の前まで来て手を合わせる人は案外少ない。この辺りは、他の札所とも違った様子である。

本堂を抜けて納経所に向かう。係員は何人もいるが、この時は朱印を求める人もほとんどおらず、手持無沙汰な様子に見えた。京都市街はいつも混雑しているイメージがあり、私も西国三十三所の札所だから清水寺に来ているが、そうでなければ京都市街には積極的には足を踏み入れていないところである。新型コロナウイルスのことがあるから今なら空いているだろう・・・という理由で京都を訪ねる人が増えているというが、私もその口である。

阿弥陀堂を抜け、奥の院から改めて本堂を望む。やはり清水寺といえばこの構図だろう。屋根が葺き替わった様子がよくわかる。

音羽の滝にも向かう。ここも普段は滝の水をいただこうという人で行列ができるスポットだが、行ってみると、向かいの東屋で雨宿りをする人はいるものの、不動明王の前で柄杓を滝に伸ばしている人の姿がない。これも意外だった。この日清水寺に来るに当たり、始発列車で出て、参拝者や観光客が少ない早朝の時間帯にお参りしようかとも思っていたが、今回についてはその必要はなかったようである。

これで一応境内を一回りして、山門に戻る。土産物店が両側に建ち並ぶ清水坂を下りるが、さすがに11時を回る時間となると上ってくる人の姿は多いが、混雑というまではいかない。これくらいがちょうどいいかなというところで、やはりここ数年のインバウンドで歩くのもままならないほうが異常だったのではないかと感じる。

坂の途中に大日堂がある。清水寺の塔頭寺院である真福寺というお堂だが、本尊は大日如来である。こうしたお堂があることじたい私は今まで気にも留めなかったのだが(清水寺の門前だからお堂くらいあるだろうという感覚)、そこで目に入ったのが東日本大震災の追悼の文字。何でも現在の本尊は、陸前高田の津波で流された松の木から造られたものだとある。こういう像があることは知らなかった。制作したのは園部にある京都伝統工芸大学の学生たちで、震災から1年後の2012年に完成した。

陸前高田の松原といえば「奇跡の一本松」が注目されるが、一方では流された木からこうした仏像が造られたり、他にはバイオリンや念珠、ブレスレット、印鑑などに再利用されるものもあるそうだ。震災から9年、こうした仏像に出会えたことにご縁を感じる。

この先、西国三十三所をもう一ヶ所、六波羅蜜寺にも行こうと思えば行けるが、今回は西国めぐりはあくまで近鉄特急乗り継ぎ旅のオプション扱い。早めに京都駅に戻ることにして、五条坂のバス停から京都駅行きに乗り込む。

途中、京都国立博物館の横を通る。新型コロナウイルスの影響で3月23日まで全館臨時休館となっている。京都国立博物館では4月11日から西国三十三所開創1300年記念の特別展「聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-」が開かれる予定で、私もぜひ訪れたいところだが、現在の状況から見て4月11日から無事に開催できるのか気がかりである。ちょうど学校の新学期がこの頃で、延期されたプロ野球の開幕も一応4月10日を最短としているが、それらと合わせてどうだろうか。

京都駅に到着。特急の発車まで少し時間があるので駅ビル内をしばらくぶらつく。名古屋までは新幹線「のぞみ」に乗れば次の駅だが、これからわざわざ特急を乗り継ぎ大回りで向かうことに・・・。

コメント

第16番「清水寺」~西国三十三所めぐり3巡目・14(近鉄特急日帰り乗り継ぎとリンク)

2020年03月18日 | 西国三十三所

3月14日の近鉄ダイヤ変更にて新たにデビューした特急「ひのとり」。当日、その乗車を軸に、ついでに他の特急にもいろいろ乗ってみる・・・という日帰り乗り鉄を行った。

新型コロナウイルス関連でさまざまな自粛が要請されている中だが大勢の人で賑わっていた。まあ、あくまで定期列車の運転であり、駅に行って列車に乗るのは日常の通勤利用とさほど変わるものではなく、普段と同じ予防での対応で十分ではないかと思う(ネット掲示板ではだいぶ叩かれていたようだが)。

さて、前の記事で、近鉄週末フリーパスが3日間有効というのを利用して、16日の月曜日にも出かけるということを書いた。前売り開始後に、名古屋17時発「ひのとり67列車」のプレミアムシートに空席があるのを見つけて確保していた。そこに有給休暇を持ってきた。年度末で少しでも消化するのと、例年なら会社説明会や会議等でスケジュールが重なる時季だが新型コロナウイルスの影響で軒並み中止になったため、仕事の調整もしやすくなったことがある。

で、夕方に名古屋に着くように移動するのだが、今度は従来型の特急も乗り比べてみようと思う。また、奈良線や京都線に乗るのもよいだろう。そうすると、近鉄の主要路線をほぼ全て網羅することになる。特急券は都度料金がかかるので合計すればそれなりの値段になるが、乗車券は週末フリーパスなら3日間乗り放題で4200円。全体で見ればお得である(それにしても、3日間で名古屋2往復とは、忙しいんだか暇なんだか、アホなんだか・・)。

京都線の特急といえば、14日に橿原神宮前駅で見た旧車両の京都行きを思い出す。あえて、こうした車両を狙ってもいいのではと思った。また近鉄のかつての看板列車といえば2階建ての「ビスタカー」。こちらもまだまだ走っている。本当はここに「アーバンライナー」や「さくらライナー」がは入ればなおよかったが、15日を休養日にしたこともあって残念ながらまたの機会である。

組み合わせをいろいろ考えた末、京都12時40分発の橿原神宮前行き特急で始めることにした。朝早く京都を出て早めに名古屋に入り、名古屋でどこか行くことも考えたが、名古屋地区の観光スポットや博物館関連も新型コロナウイルスの影響でほとんど臨時休館である。ならば京都で、今のところ神社仏閣のお参りは通常通り受け入れている。・・・ということなら、西国三十三所めぐりの3巡目を入れるか。

いつものように前置きが長いのだが、京都市内の西国三十三所の札所のうち、頂法寺六角堂は3巡目が済んでいる。今熊野観音寺は西国四十九薬師めぐりとの兼ね合いで残している。ならば清水寺、六波羅蜜寺、行願寺革堂だが、新型コロナウイルスを逆手に取って、普段は混雑する清水寺に行くことにする。過去にセットでお参りしている六波羅蜜寺には、行ければ行くことにする。

3月16日、この日の関西の天気は午前中は雨のところが多く、午後からは徐々に回復とある。まずは清水寺に向かうが、近鉄の週末フリーパスを持っているなら藤井寺から橿原神宮前まで出て、橿原線~京都線を乗り継いで、丹波橋から京阪で清水五条を目指せばよいが、そこは普通に淀屋橋から京阪に乗った。そのほうが時間は短く、普段通勤で自宅を出るの比べても平日の朝の時間をゆっくり過ごすことができる。

本来なら淀屋橋から丹波橋まで乗った京阪特急の写真があるところだが、淀屋橋のホームに下りるとちょうどベルが鳴っていて反射的に乗り込んだので、画像はいきなり清水五条となる。

地上に出ると雨も小降りで、もうすぐ止むのではないかという程度。清水寺まで茶わん坂経由で歩くが、途中で傘を閉じる。国内有数の観光スポットだが、平日ということもあり歩く人の姿も少ない。新型コロナウイルスの影響を良くも悪くも受けているとして取り上げられるところである。

ただ山門に着くと再び雨が落ちてきたし、風も強い。この先天気がころころ変わるようだが、ともかく清水の観音さんにお参り・・・。

コメント

第8番「長谷寺」~西国三十三所めぐり3巡目・13(ここでもコロナウイルスが影落とす)

2020年03月03日 | 西国三十三所

3月に入った。世の中は依然として新型コロナウイルスの感染拡大と、それにともなう社会への影響が話題になっている。私の担当業務についていえば、3月1日に就活情報サイト主催の大型イベントに出席するのをはじめとして、順次、自社での会社説明会も予していたが、全て中止となった。また趣味のほうでも野球オープン戦や大相撲の観戦も「無観客開催」のためにお流れになった。安倍をはじめとした政府の取り組みには不満はあるが、この記事ではそれには触れないことにする。

寺参りはどうだろうか。不要不急の外出に当たるのだろうが、個人が自己完結の中で出かけることじたいは極端に制限されるものではないと思う。西大寺の裸祭りではないのだから・・。

部屋にこもるほうが体に良くない(あれ、1週間前の私は体調が悪かったのでは?)と、予定がポッカリ空いた3月1日に出かける。行き先は長谷寺。西国三十三所開創1300年の記念印をまだ納経帳にいただいていない札所の一つであり、ちょうど3月1日から春の特別拝観で、本尊の十一面観音に直に触れてお参りすることができるというので行くことにした。

長谷寺駅に到着。これから寺に向かって歩くが、参道の人通りが過去の記憶と比べても少なく感じる。3月1日というのはシーズンオフなのかもしれないが、やはり新型コロナウイルスの影響で、外出を控えようという人が多いのかなと思う。

さらにこの数日は、デマに惑わされているとはいうものの、店頭からトイレットペーパーやティッシュペーパーが消えて混乱している。その確保で朝から走り回る人も多いのだろう(私も多少危機感持っているが、何とか騒ぎが終息してほしい)。

3月30日に開催予定の大相撲の桜井場所のポスターも通りのあちこちで見かける。ポスターに出ている力士の顔ぶれ(大関だった人とか、先ほど引退した人がいるとか)はさておくとしても、春場所が無観客開催となった状況で果たして行われるのかどうか。巡業は力士と地元の人たちの触れ合いの場としての要素が強いため、無観客でやる必要性は薄く、下手をすれば春巡業は全て中止になるのではないかと言われている。

門前の土産物店、食堂にも人の姿はほとんどなく、そのまま長谷寺の山門に着く。

これまで訪ねた時は修復工事中だったが、ようやくすっきりした姿を見ることができた。改めて立派な建物だと思うが、現在の山門が建てられたは明治時代という。これは意外だった。

山門をくぐると本堂まで続く回廊である。以前来た時はインバウンドの人も多く「ここまで来るか!」と驚いたと記憶しているが、この日は回廊にも人はまばら。

宝物館である宗宝蔵もこの日から春の公開。閻魔大王の像や、十一面観音、不動明王、銅板法華説相図などの展示を見る。

回廊を伝って本堂に着く。まずは舞台を一回りして、西国三十三所のお勤めである。長谷寺の十一面観音は西国の札所の中でも有名どころの一つ。参詣や観光の人が数多く訪ねるはずだが、本堂の周りも人の姿はまばら。通行の妨げになるので勤行は外の舞台で・・とあるが、この人出なら本堂の中の通路でも支障はなかった。

せっかくなので本尊十一面観音に直接触れる特別拝観とする。本堂の受付にて塗香と五式の紐を施していただき、内陣に入る。十一面観音を前にして係の人に声をかけられるが、観音像の足元に触れるに当たって、希望者には薄紙を渡すという。これも新型コロナウイルス対策のようだ。十一面観音像を媒介としてウイルスに感染するリスクを減らすそうだ。

うーん、そこまでしないといけないのかな。コロナウイルスからも人々を救うのが観音様ではないのかなと思いつつ、そこは直接足元に触れて額付く。そうした人向けに、観音像の出口にアルコール消毒液のボトルが用意されている。ここまで配慮する(配慮しないといけない)のかな。

十一面観音を囲む壁板には、観音菩薩が三十三通りに変わるというその姿が紹介されている。

本堂を出ると、ちょうど法螺貝の音が響くところ。時刻は正午である。清少納言の『枕草子』でも「ただかたはらに、かいをいと高く、にはかに吹きで出でたるこそおどろかるれ」と記されている。案内板によると、時を告げるだけではなく、周囲の昔ながらの山々に宿る神々と結びつく行事でもあるそうだ。長谷寺の舞台も単に景色を眺めるだけでなく、周囲の山の神々とのつながりを感じるための装置だったという。

先達用の納経帳に西国1300年の記念印もいただく。こちらも、そろそろ目処がついてきた。

この後は弘法大師堂、本長谷寺、五重塔、奥の院の興教大師堂などを回り、本坊に出る。

ここからも本堂の舞台がよく見える。回廊などと合わせると一つの砦にも見える。

さてこれで長谷寺参りはおしまいで、人出の増えない門前町を通る。草餅やにゅうめんなどの売り声もどこか寂しげである。私も何となく入りそびれて、そのまま駅に戻った。かといって他に寄り道もなく、単に長谷寺まで往復する形になった。

訪ねた当日の3月1日は、東京マラソンで大迫選手が日本記録更新の走りで五輪代表に大きく近づくという明るい話題はあったものの、その沿道に大勢の観客が集まったことへの批判も起こった。また、大相撲の無観客開催がこの日決まったのも先の記事通りである。プロ野球も果たして無事に開幕を迎えられるのか怪しい。世の中に自粛ムード、暗い雰囲気が漂っている。先が見えない日々が続くが、何か明るく過ごせないかとも思う・・・。

コメント

第28番「成相寺」~西国三十三所めぐり3巡目・12(やはり天橋立を見たい)

2020年02月04日 | 西国三十三所

松尾寺~多祢寺~成相寺へのレンタカードライブ。午後からは雨の心配もほとんどない様子で、宮津を過ぎて天橋立をぐるり回るように走る。クルマで行く場合、京都府立丹後郷土資料館の前から上り坂を行くことになる。

前回の2巡目で成相寺を訪ねたのは2年前の2月の初めだからちょうど同じ時季である。その冬は今季と真逆で日本海側の各地で大雪に見舞われ、国道でクルマが立ち往生する被害もあった。私もその冬に仕事で丹後地方を訪ねたのだが、大雪のために京都丹後鉄道の遅延、運休があり、危うく大阪に帰れなくなるということがあった。その数日後に成相寺に来て、天気は快晴だったが、傘松公園から成相寺へのシャトルバスが積雪のために運休で、バス道を歩いて上がった。それでも寺は「平常運転」だったのが印象的だった。

別に混雑が嫌というわけではないが、成相寺に限っては3巡とも平日に代休や有給休暇を利用して来ていることにも気づく。

さて上り坂は途中から極端に急になり、最後はギアも1速にしてしまう。それでも観光バスが上がることも想定した道幅がある。参加したことがないので何とも言えないが、西国三十三所のバスツアーはこの道を上がるのだろうか、それとも傘松公園のケーブルカー+シャトルバスだろうか。

坂を上りきったところにゲートがあり、入山料500円を納める。これは以前シャトルバスで行ってもバス道を歩いても同じだったから、駐車料金が別にあるわけではない。ただ、こうした山あいで寺の建物だけでなく車道やバス道も維持しなければならないとなれば、入山料はやむなしだろう。

石段を上がり、一言地蔵にも手を合わせた後で本堂に向かう。「橋立真言宗」という単立の宗派の寺院だが、改めてその名に触れて、一般の?真言宗とは何が違うのかなと思う。ウィキペディアによれば単立とは「包括宗教団体に属さない独立した宗教団体」とあるが、「必ずしも思想・信条的な面で独立性があるとは限らない」ともある。真言宗の中での現実のさまざまな人間関係もあったのだろう。また、西国三十三所の札所の一つとして開放的に迎え入れる佇まいを見ると、真言宗の何派とかいうのはほとんど関係ない。

外陣でお勤めをして、自由に上がれる内陣にも入る。本尊の聖観音像は33年に一度しか公開されない秘仏であるが、それが祀られている厨子の近くまで行き、お前立ちの観音像はすぐ近くに拝観することができる。他にも天燈鬼、龍燈鬼の赤鬼・青鬼や、成相寺の絵図、地蔵菩薩、十一面千手観音像も近くで見ることができる。さすがに他の人の邪魔になるのでお勤めは外陣で行うようにとあるが、しっかりと拝ませていただく。

外陣といえば左甚五郎の「真向の龍」も有名である。正面を向いた造りだが、右から見ても左から見ても自分のほうを向いているように見える龍の木像だ。こういうのは物理的に計算されたものか、目の錯覚を利用したものかはわからないが、左甚五郎の見事な腕前を今に伝える作品の一つである。雨乞いの龍の彫り物を依頼されたが、左甚五郎はそれまでに本物の龍を見たことがなかったという(まあ、現代の感覚なら、絵に描かれたものならともかく、甚五郎に限らず龍の実物を見たという人はいないのではないかと思うが)。そこで成相寺の裏手にある滝壺で龍神に祈り続けたところ、何日かして池の淵から龍が現れた。甚五郎はその姿を目に焼き付け、成相寺にて彫り上げたのがこの真向の龍だという。

これで納経所に向かう。先ほどの松尾寺と同じように、西国曼荼羅の八角形の用紙を朱印+用紙代の600円でいただく。これで、3巡目でのミッションである西国曼荼羅の用紙コンプリートも二度手間にならずにすんだ。それにしても、持ち物確認をしたつもりだが、やはりどこか気持ちが緩んでいたな。

さて、クルマで成相寺に来たらこの先まで行ってみたい。天橋立のパノラマ展望所というのがある。成相寺の五重塔から少し歩いたところにも展望台があり、ここでも傘松公園より高い位置から天橋立を見下ろすことができるのだが、パノラマ展望所はより高い場所にある。駐車場からクルマで5分、徒歩だと40~50分かかるという。この変わりやすい天候の中で景色が見えるかは微妙だが、せっかくクルマで来たのを利用して上がってみる。

この道、単に展望所への山道というだけではない。成相寺は元々は現在地より山の上方に位置しており、山岳修験の場としての歴史があったそうだ。室町時代に山崩れがあって以降、現在の場所に移ったという。現在の本堂は18世紀後半の建立。

砂利道と急カーブに苦戦しながら、山頂といっていいのか、パノラマ展望所に着く。この時季は閉鎖されているが、夏場のシーズンには店がオープンしたり、パノラマ展望所へのシャトルバスも出るようである。

風が強くてそう長い時間立ってはいられないが、雲のような、もやのようなところにうっすらと天橋立の中洲が延びているのが見える。他にも栗田半島、日本海の外海も微かに見ることができる。この時季としては一応の「パノラマ」を楽しめたといっていいだろう。ただ、これは暖冬傾向の中、またたまたま天候がよかっただけのことで、厳しい天候だと修行の場として相当厳しかったのではないかと想像することもできる。

これで成相寺は終わりとする。気が付けば時刻も16時。この先どこかに立ち寄るどころか、一直線で福知山まで戻らなければならない。レンタカーの返却期限は18時だが、実は福知山からの帰りの特急が出るのは17時59分。まあ、それには間に合うだろうが・・・。

このエリアから福知山へは国道176号線で大江山の西を抜けるルートが最短である。道もしっかりしているので走行には問題ない。

途中、加悦SL広場の横を通る。ちらっと昔の車両の姿が見えたので外側だけでも眺めようかと思ったが、この日(火曜日)は閉館日とあり、駐車場にも入ることができなかった。残念だがそのまま通過する。かつて走っていた気動車だけでなく、国の文化財にも指定されている蒸気機関車なども展示されている場所だが、ちょっと気になるニュースを目にした。

施設の運営会社が、2020年3月末をもってSL広場を閉園する方向で検討している、という内容だ。当初は一部報道が先行していたようだが、運営に携わる保存会もそうした話が出ているのは事実としている。ただ閉園と正式に発表されたわけではなく、ひょっとしたら車両の引き取り手の目処をつけようとしているのかな。歴史的に価値のある車両とはいえ、老朽化が進み保存にもコストがかかるから、果たしてどうだろうか。京都や大宮、名古屋などの鉄道関連の博物館は賑わっているが、JRのような大きな会社だから運営が可能なのかもしれない。かつて利用客減少で廃線になったローカル鉄道となると・・。ともかく、動向を見守るしかない。
与謝峠を高架橋とトンネルで越えて福知山市に戻る。西国四十九薬師めぐりの福知山シリーズはこの近くだなと思いつつ、市街地に帰ってきた。レンタカーの返却と帰りの特急には十分間に合った。
17時59分発の「こうのとり24号」は福知山始発。平日のこの時間でさほど混雑していない。大阪までの1時間半は夕食を兼ねての「飲み鉄」といこう。外の景色は見えないが。
座席指定で選んだのは1人掛けのシート。本来は車椅子対応シートとのことだが、特段販売に条件があるわけでもないようで、知る人ぞ知る席ではないかなと思う。前は普通の2人掛けのため、座席後ろのテーブルも2つある。これを使えば広々とできる。この日は指定席も空席が多かったが、混雑期にはひんしゅくものだろうな・・。
大阪までの時間はあっという間。着いたのも19時半だったから、普段の平日の帰宅と比べてもそう遅いわけではなかった。
今回は西国観音と西国薬師の遠方を一緒に回ることができた。これからもこうした「合わせ技」を使いつつ、さまざまな札所を回りたいものである・・・。
コメント

第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり3巡目・11(西国曼荼羅用紙に新たな発見)

2020年01月31日 | 西国三十三所

福知山からレンタカーで舞鶴~天橋立を回る1日。まずは舞鶴の東にある西国29番の松尾寺を目指す。福知山からだと40キロあまり離れていて、舞鶴若狭道も通っているのだがここは一般道を通って行くことにする。

大河ドラマで注目の明智光秀が築いたとされる福知山城の復元天守の近くも通る。ちょうど開館時間なので立ち寄ってもいいかなと思ったが、まずは札所めぐりを優先して、もし福知山に戻って時間があれば向かうことにしよう。

この日は天気が不安定で、雪が降るわけではないが雨が降ったり、そうかと思えば日が差してきたりと天気の移り変わりは激しい。特に綾部から舞鶴に向かう辺りではワイパーを速くするほどの雨になった。これから行く松尾寺へは一度小浜線の駅から畑の中や山道を40分ほどかけて歩いて上ったことがあるが、今日のような天候不安な日だったら難儀だろうなと思う。

舞鶴市街を通る。ちょうど海上自衛隊の基地や赤レンガ倉庫群も通るが、この日は横を通過するのみである。舞鶴だけだったら赤レンガ倉庫に立ち寄る時間もあるだろうが、まだまだ先は長い。9時すぎに福知山駅を出発して、舞鶴に入ったのは10時を回っていた。出発前は楽に行けるかなと思ったが、この分だと結構時間もかかりそうである。

国道27号線を東へ進むと、松尾寺口の見覚えのある脇道に出る。後はこれを上ればよい。雨も小降りになってきた。細い山道を上るが、歩行者はおろか対向するクルマもいない。

10時半近くになって松尾寺の駐車場に着いた。他にクルマの姿はなく、どうやら参詣するのは私だけのようだ。冬の時季、平日となるとそんなもので、団体のバスツアーもそうしょっちゅう催行されるものではない。傘をさして山門で一礼し、境内に入る。西国三十三所の徒歩巡礼を記念した「アリの会」の記念碑もある。昨年の西国先達研修会にて、かつてこの会を主宰していた松尾寺名誉住職の松尾心空猊下の記念法話を聴く機会があり、拝見したのは初めてだが、御年92歳にして足腰がしっかりしていて、声もよく通っていたのが印象的だった。

石段を上ると、陰のところに雪がちょっと見える。平年の冬ならもう少し積もっているのだろう。自然の石をくりぬいた手水場で手を清めた後、本堂でのお勤めである。

過去に訪ねたのが土日だったからか、あるいは夏や春だったからか扉を開けて外陣でお参りすることができたが、この日は正面の扉が開いているくらいで、中は見えるが照明もなく薄暗い。「扉が閉まっている時は中には入れません」との文字もあり、扉の外に立ってのお勤めとする。何だか冬の修行らしい。

訪ねる季節によって寺の表情というのもいろいろ変わるようだ。現在西国三十三所めぐりも3巡目だが、なるべく季節を変えて訪ねようとしている(必ずしも全てがそうというわけではないが)。冬のどんよりした曇り空、雨の中に静かにたたずむ風情というのも、これまでとは違った表情が見られたようでよい。

とはいうものの外陣にも入れないのであれば、お勤めをすると後はそれほど広い境内でもないのでお参りは終了である。また石段を下りて別の建物である納経所に向かう。

さて前の記事で、行きに利用した特急の車内で「しまった!」と気づいたことがあることに触れた。それが何かということだが、西国曼陀羅の八角形の用紙を持ってくるのを忘れたのだ。3巡目はこれを33枚集めることをミッションにしていたのだが、よりによって遠方の2ヶ所で忘れるとは、今さら取りに帰れないし、今から行程を中止して後日出直そうかなと思った。

ただ福知山まで来て、そういえば松尾寺、成相寺とも、西国曼陀羅の台紙を扱い、33枚の用紙のコンプリートで1巡とカウントしてくれる窓口だったことを思い出す。用紙と台紙のセットは3000円で売られているそうだから、もう一度ここまでの交通費をかけるくらいなら最悪1セットを買いなおせばよいかと思う。

納経所にはジャズのような音楽が流れ、若い僧が座っている。先達用の納経帳に重ね印をいただいた後、西国曼陀羅の八角形の用紙について訊ねてみた。すると、朱印代500円に用紙代100円を足した600円で1枚いただけるという。よかった、1セット買いなおさずに済んだ。

ここで思い出したのが、この前に施福寺を訪ねて八角形の用紙を出した時、「交換できないから100円で買ってもらわんとあかん」と言われたこと。つまりは用紙の実費という設定があり、一つの札所だけの「単品」でもいけるということだ。

ということで松尾寺の西国曼陀羅は無事に手に入った。この取り扱いなら成相寺も予定通り行けそうだ。

さて次は西国四十九薬師の多祢寺である。地図で見ると直線距離では近く、近道もあるようだが、カーナビはいったん国道27号線に出てぐるり回るルートを示す。まあ、地図に道があるがよほどの山道なのだろう。それでも昼前には多祢寺に着くことができそうだ・・・。

コメント