まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

神仏霊場巡拝の道めぐり~日本の相撲の開祖ゆかりの地へ、「見せましょう、相撲の持つ力」を・・

2025年03月12日 | 神仏霊場巡拝の道

2月23日、神仏霊場巡拝の道めぐりは今回の目的地である當麻寺の玄関口である近鉄南大阪線・当麻寺駅に到着。

駅前には當麻寺にゆかりのある中将姫からその名を取った中将餅の店があり、買い求める客で賑わっている。駅前の道は狭いのだが、クルマで買いに来る人も多くて警備員が交通整理にあたるほどである。

當麻寺へは駅から1キロほど。この日訪ねた廣瀬大社、叡福寺ともども駅から多少歩く札所が続く。

その途中にあるのが、葛城市相撲館「けはや座」。「けはや」とは、「日本書紀」によれば昔々、垂仁天皇の頃(4世紀)にこの地に住んでいた当麻蹴速という力自慢のことで、垂仁天皇の前で出雲の野見宿禰と相撲で対戦した。相撲といっても現在の大相撲とは違って殴る蹴る、何でもありだったが、最後には蹴速は宿禰に腰を踏み折られて命を落としたという。この勝負が日本の相撲の始まり(初めての天覧相撲でもある)とされ、当麻蹴速、野見宿禰はともに相撲の神として崇敬され、ここには蹴速の塚も建てられている。

その蹴速の塚とされる地に面して「けはや座」がある。ロビーに入ると出迎えるのは「葛城市観光大使」の第69代横綱・白鵬(現・宮城野親方)のパネル。現役時代から大相撲の歴史についてもよく学んでおり、相撲の始祖とされる当麻蹴速ゆかりの葛城市を訪ねることも多かったという。

その奥には「追悼 北の富士勝昭」として、昨年亡くなった第52代横綱・北の富士の写真パネルが並ぶ。ライバル・玉の海とともに一時代を築き、現役引退後は九重親方として千代の富士、北勝海の両横綱を輩出し、協会退職後はNHKの相撲解説や新聞のコラムで人気を博した。まだまだ元気な姿を見られるかと思ったが亡くなったのは残念(自らプロデュースした「北の富士カレー」は健在で、追悼の意を込めて通販で購入した)。

他にもロビーには展示の数々。

さて有料エリアに入ると、目の前には土俵である。本場所と同じサイズで造られている。あくまで「展示用」で神事とは関係ないためか、本場所や巡業では「女人禁制」とされる土俵に女性も上がることができる。カップルが土俵上で記念撮影したり(さらに進んで「土俵婚」というのもやっているそうだ)、お母さんが子ども相手に相撲を取るという光景も見られる。また正面には升席もあり、相撲甚句が流れる中、土俵の雰囲気を味わうことができる。

この土俵では2014年、当時大関の稀勢の里(現・二所ノ関親方)や若の里(現・西岩親方)、髙安らが所属する田子ノ浦部屋が合宿し、公開稽古や地元の人たちとの交流会を行ったとも紹介されている。

その上段の展示スペースでは、葛城市制20周年ということで企画展「相撲20」が行われていた、明治20年、昭和20年、そして展示が始まった2024年の20年前である2004年(平成16年)に関する写真パネルや番付を中心に、往年の巡業風景も含めて紹介されている。

常設展スペースでは当麻蹴速と野見宿禰から始まる相撲、宮中での年中行事、武士の鍛錬、そして現在につながる大相撲の名勝負、名場面について年表や写真パネルで解説されている。

また寄贈された優勝賞品や化粧まわしなどある中、奈良県出身力士の顕彰の場となっている。・・といいながら、そもそも数が少ない。展示を見ても、戦前に「打倒双葉山」を掲げて部屋の総力を挙げて挑んだ出羽海部屋において参謀役を担った笠置山とか、戦後としては化粧まわしも展示されている萩山、そして後にプロレスに転向した力櫻(力皇)・・が目につくくらい。

・・その中で「あ、この人がおった!」というのが、德勝龍(現・千田川親方)。2020年の初場所で幕尻優勝、インタビューで「自分なんかが優勝して、いいんでしょうか?」としながら「バリバリ、インタビューの練習をしてました」というノリで爆笑を誘ったのが印象的である。

・・この後、新型コロナウイルスの感染が日本国内にも広がり、次の春場所は無観客開催となったのをはじめとして、無観客や観覧制限が続くことになった。それでも、本場所を中止することがなかったのは、無観客開催となった春場所の八角理事長の挨拶にもあった「古来から、力士の四股は邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また横綱の土俵入りは五穀豊穣と世の中の平安を祈願するために行われてきました。力士の体は健康な体の象徴とも言われています。床山が髪を結い、呼出が柝を打ち、行司が土俵をさばき、そして力士が四股を踏む。この一連の所作が人々に感動を与えると同時に大地を鎮め、邪悪なものを押さえ込むものだと信じられてきました・・」という、「相撲の持つ力」ある。

東日本大震災直後のイーグルス・嶋選手(当時)の「見せましょう、野球の底力を」にも並ぶくらいではないかと思う。

・・・この記事を書いているのはちょうど大相撲春場所の最中。今場所は第74代横綱・豊昇龍が新横綱の場所ということで一層盛り上がっている。私も久しぶりに大阪の地で観戦予定である。「相撲の持つ力」を味わうために・・。

参道の途中で長々となったので、肝心の當麻寺の記事は改めて書くことに・・・。

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