先日、『被爆ピアノコンサート』のリポート記事を載せていただいた中国新聞の夕刊を、担当の里田記者さんが送ってくださり、それが今日到着した。
同じ記事を、中国新聞のホームページ(http://www.chugoku-np.co.jp/)上の、『リポーター発』という欄にも載せていただいた。
字数の制限など、予め伝えていただいていたにも関わらず、おしゃべりなわたしは好き放題書いてしまい、編集を担当してくださった方にはきっと、えらい手間と苦労をかけてしまったのだろうなと反省しつつ、見事に推敲された文章を読んで感動した。
2010-10-01
[アメリカ] 平和紡ぐ被爆ピアノ(レア・眞海)
広島の原爆に遭った「被爆ピアノ」の演奏会が9月10~13日、ニューヨーク市内であった。
米中枢同時テロから9年になるのに合わせ、広島市の被爆2世たちが企画した。
演奏者の1人に加えてもらい、被爆者とテロ犠牲者の冥福を祈りながら弾いた。
演奏会が開かれるのを知ったのは7月。
テロ犠牲者の追悼行事でも演奏されるということだった。
2機の旅客機が相次ぎビルに突っ込んだ瞬間を目の当たりにして、しばらく立ち直れなかった日々が強烈によみがえってきた。
「ぜひ弾きたい」
慌てて実行委員会のホームページをチェックしたが、既に演奏者の募集は締め切られていた。
あきらめきれずメールを送った。
「いいですよ。弾いてください」
うれしい返事がもらえた。急いで曲を決め、練習を始めた。
ピアノは、広島市の調律師矢川光則さんが5年前、知人から引き取り修復した。
矢川さんは父親が被爆者で、核廃絶を願い、被爆ピアノを集めて日本各地で演奏会を開いている。海外の演奏会は初めてだという。
ガラス片の突き刺さった跡が残るピアノは、ヒロシマの証人だと感じた。
普段通りの打鍵が通用せず、拒絶されているのかと思ったが、そうではないと気付いた。
平和を祈る多くの人たちに弾き継がれてきた被爆ピアノは、人々の思いを受け取り、それを音にして歌ってきたのだろう。
そう解釈し、私もピアノと一緒に歌うことにした。
市内5カ所で開かれた演奏会では、ショパンの「幻想即興曲」とブラームスの「六つのピアノ曲」を演奏した。
苦悩や悲しみを癒し、ピアニストの夢へ一歩を踏み出す力をくれた思い出深い曲だ。
国や文化、宗教を超え、さまざまな音楽家が平和への思いを、被爆ピアノと歌い上げた。
【写真説明】国連チャーチセンターであった被爆ピアノの演奏会
最終日、関係者が国連チャーチセンターに集まり、無事コンサートを終えたことを喜び合った。
被爆ピアノを見つめる矢川さんの優しいまなざしが心にしみた。みんな、自然に涙を流していた。
私は小学生のころから図書館で原爆関連の本をむさぼるように読んできた。
惨状を克明に記した文章や写真を心に刻み、自分が生きたことのない時代と住んだことのない広島に思いをはせ、被爆者の痛みや苦しみ、悲しみを感じ取ろうとした。
きのこ雲の下の惨状と、犠牲になった人たちの無念と苦しみは永遠に消せないだろう。
「過去は変えられないけれど、未来は変えられる。平和を祈って歌って歌ってまた歌う。それでええんよ」。
梱包(こんぽう)されるピアノから、そんな言葉が聞こえた気がした。
(ニュージャージー州ブルームフィールド在住)
れあ・まうみ
【写真説明】ニューヨーク本願寺の中垣顕實住職(左)と記念撮影
三重県名張市出身。2000年に渡米。ニュージャージー州ブルームフィールド在住。
ピアノ教師をしながら、ニューヨークなどで演奏活動をする。ブログで日常の出来事を発信している。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr
里田さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
同じ記事を、中国新聞のホームページ(http://www.chugoku-np.co.jp/)上の、『リポーター発』という欄にも載せていただいた。
字数の制限など、予め伝えていただいていたにも関わらず、おしゃべりなわたしは好き放題書いてしまい、編集を担当してくださった方にはきっと、えらい手間と苦労をかけてしまったのだろうなと反省しつつ、見事に推敲された文章を読んで感動した。
2010-10-01
[アメリカ] 平和紡ぐ被爆ピアノ(レア・眞海)
広島の原爆に遭った「被爆ピアノ」の演奏会が9月10~13日、ニューヨーク市内であった。
米中枢同時テロから9年になるのに合わせ、広島市の被爆2世たちが企画した。
演奏者の1人に加えてもらい、被爆者とテロ犠牲者の冥福を祈りながら弾いた。
演奏会が開かれるのを知ったのは7月。
テロ犠牲者の追悼行事でも演奏されるということだった。
2機の旅客機が相次ぎビルに突っ込んだ瞬間を目の当たりにして、しばらく立ち直れなかった日々が強烈によみがえってきた。
「ぜひ弾きたい」
慌てて実行委員会のホームページをチェックしたが、既に演奏者の募集は締め切られていた。
あきらめきれずメールを送った。
「いいですよ。弾いてください」
うれしい返事がもらえた。急いで曲を決め、練習を始めた。
ピアノは、広島市の調律師矢川光則さんが5年前、知人から引き取り修復した。
矢川さんは父親が被爆者で、核廃絶を願い、被爆ピアノを集めて日本各地で演奏会を開いている。海外の演奏会は初めてだという。
ガラス片の突き刺さった跡が残るピアノは、ヒロシマの証人だと感じた。
普段通りの打鍵が通用せず、拒絶されているのかと思ったが、そうではないと気付いた。
平和を祈る多くの人たちに弾き継がれてきた被爆ピアノは、人々の思いを受け取り、それを音にして歌ってきたのだろう。
そう解釈し、私もピアノと一緒に歌うことにした。
市内5カ所で開かれた演奏会では、ショパンの「幻想即興曲」とブラームスの「六つのピアノ曲」を演奏した。
苦悩や悲しみを癒し、ピアニストの夢へ一歩を踏み出す力をくれた思い出深い曲だ。
国や文化、宗教を超え、さまざまな音楽家が平和への思いを、被爆ピアノと歌い上げた。
【写真説明】国連チャーチセンターであった被爆ピアノの演奏会
最終日、関係者が国連チャーチセンターに集まり、無事コンサートを終えたことを喜び合った。
被爆ピアノを見つめる矢川さんの優しいまなざしが心にしみた。みんな、自然に涙を流していた。
私は小学生のころから図書館で原爆関連の本をむさぼるように読んできた。
惨状を克明に記した文章や写真を心に刻み、自分が生きたことのない時代と住んだことのない広島に思いをはせ、被爆者の痛みや苦しみ、悲しみを感じ取ろうとした。
きのこ雲の下の惨状と、犠牲になった人たちの無念と苦しみは永遠に消せないだろう。
「過去は変えられないけれど、未来は変えられる。平和を祈って歌って歌ってまた歌う。それでええんよ」。
梱包(こんぽう)されるピアノから、そんな言葉が聞こえた気がした。
(ニュージャージー州ブルームフィールド在住)
れあ・まうみ
【写真説明】ニューヨーク本願寺の中垣顕實住職(左)と記念撮影
三重県名張市出身。2000年に渡米。ニュージャージー州ブルームフィールド在住。
ピアノ教師をしながら、ニューヨークなどで演奏活動をする。ブログで日常の出来事を発信している。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr
里田さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。