天気予報が珍しく外れて、良い天気になりました。
気温はまだ低くて、各部屋に電気ヒーターを入れています。
長袖のフリースの上着や、あたたかな靴下はもちろんのこと、寒がりのわたしはもう、ズボン下にストッキングまではいて、思いっきりの冬装束。
美代子姉ちゃんいわく、ヨーロッパやロシアでは、今年の冬は千年に一度の厳しい寒さになるのだとか……千年に一度って……想像するだに恐ろしい。
ヨーロッパやロシアと、ここアメリカがどんなふうに関係するのかはわからないけれど、きっとかなり寒くなるんだろうなあと、今から憂鬱な気分です。
さて、昨日の記事を書いてからもずっと、これまでのことを断続的に思い出していました。
その中にひとつだけ、これは書き足しておかねば、と思ったことがあって、今日はそれを書こうと思います。
それは、旦那が貫き通したひとつの意地のお話です。
意地という言葉には、なんとなくネガティブな響きが漂うといって、旦那はこの言葉があまり好きではありません。
けれども、この場合は、まさに意地の他のなにものでもないとわたしには思えるので、やっぱりこの単語を使います。
旦那の父親は、いわゆる成功者です。裕福な経済状態が続いていますが、だからといって無駄使いはせず、教育や芸術の振興のために寄付したり、自分の新しい勉学のために使ったりしながら、悠々自適に、さらに邁進しながら暮らしています。
旦那は自分の家族の話をする時には、こういうことを抜いて話していたので、わたしはずいぶん遅くまで事情を知らずにいました。
それどころか、彼と両親、とりわけ父親との関係が思わしくない話ばかりで、この二人の間にある氷の塊のような冷たい確執を、どうやったら溶かせることができるのか、などと思ったものです。
幼い息子達とわたし、それから旦那の4人生活が大津で始まった頃、無一文で出てきたわたし達と、稼ぎの少ない旦那の暮らしは、それはもう大変で、毎日部屋の中のあちこちから、キュウキュウキュウキュウ、貧乏虫の苦しそうな鳴き声が聞こえていました。
家賃7万円の、昔置き屋だった五軒長屋に住み、近くの市場におもらいをしに通い、大型ゴミの日の夜中に懐中電灯を持って回っていたあの頃、
とにかく息子達だけにはひもじい思いをさせたくない。このことだけを心の支えにして、恥ずかしいことも恥ずかしく思わないように自分で自分を励ましていたけど、
あんまりいつまで経っても事態が変わらないどころか、じわじわと苦しい方に傾いていくので、とうとうある日、心の糸が切れ、旦那に文句を言ったことがあります。
「なんであんたの両親にお金のこと言うたらあかんの?」
その頃はまだ、インターネットどころか、コンピューターなんて夢のまた夢の時代で、アメリカに住む両親と旦那の交わりは、手紙か国際電話のどちらかだけでした。
その、たまにしか話せない電話が向こうからかかってきて、「どう、元気?」と聞かれた旦那は決まって、「もちろん、元気だよ」と明るく応え、「暮らしはどう?」と聞かれると、「全く大丈夫。心配しないで」と即答しているのでした。
それを横で聞いているわたしは、心の中で、「大うそつき!どうして本当のことを言わへんのよ!明日の食事もままならないって!だから、少しでいいからお金を貸してもらえへんかって!」と叫びまくっていました。
「ボクは、自分の暮らしは自分で責任を取りたい。もちろん、これでは命に関わるかもしれない、という所にまで至った場合は、多分、親に助けを求めると思うけど、今はまだそういう状況ではないし、なんとか工夫したり我慢したりすることでしのげるから」
その一点張りで、とうとう日本での8年間を通し抜きました。
こちらでの逼迫した時期もやはり、同じ態度を貫きました。
旦那の父親は、子供の独立性を非常に重んじていて、だから、親が裕福だからといって、簡単に頼らないでほしい、という姿勢を頑なに守っています。
なので、旦那の姉も弟も皆、旦那と同じように、父親には一切頼らずにきました。
とうとうわたしにもその意地が移り、自分の親にも同じような思いを持つようになりました。
今となってはわたしも、何度も何度も、本当に、喉から手を千本ほど出してお願いしたかったけれど、旦那の意地に渋々付き合って良かったと思います。
なんてったって、あの悲惨な時代を、自分達で切り抜けた。その誇らしさはなかなかいいもんです。
と、今朝はここまで書いて終わっていました。
けれども、あれからもまだ考えていると、ちょっと格好良く書き過ぎているように思えました。
だって、わたし達が一切頼らなかったのは生活のためのお金で、例えば父の方からクリスマス帰省の飛行機のチケットを買ってやろうと言ってくれた時は買ってもらい、息子達の矯正の費用の半額を払ってやろうと言ってくれた時もありがたくいただき、大学の費用もいくらか助けてもらったからです。
こちらから頼まなかっただけで、助けてもらったことは今までにいっぱいあって、そのことを本当にありがたく思っています。
庭に出ると、冷たい風が吹く中、花がにぎやかに咲いていました。
秋はやっぱり朱色が似合いますね。
なんて思ってたら、隅っこでこんな小さな花がひっそりと咲いていました。