二階にある、洗面台と浴槽の間を人がひとり通るだけでキチキチの、とても小さな浴室の、壁と天井と浴槽とトイレと洗面台、すべて新しくしようと決心した。
60年近く前に、その時も多分、50年ぶりに改装されたはずのその浴室は、床がボロボロに剥げていて、古い琺瑯の浴槽も、アンティークの世界では喜ばれる代物かもしれないけれど、
染み込んだ汚れは磨いても取れず、水はけがとても悪く、おまけに巨大だったので、いったんお湯を張って入ると、掃除を終えるまでにとんでもなく長い時間がかかった。
旦那はかねがね、二階にある一室を診療のために使いたいと思っていて、だからその浴室のトイレは、家族と患者さんが使うことになるのだけれども、
とてもではないが、家族以外の人に使ってもらえるような様相ではなく、この家のどこの部屋よりも早く、きちんと改装したいと願っていた。
引っ越してきて5年。
息子たちの大学生活も終わり、長男に続き次男も独立してから3年が経ち、ようやくそういう家の修復に思いを馳せることができるようになった。
それでもまだ、一階の台所と浴室のような、大掛かりな改装に手をつけるまでには、相当な時間がかかるはず。
なので、その二階の浴槽をまず、日本のお風呂にできるだけ近いものにして、湯船に浸かるという至福の時間を取り戻したいと思った。
友人に、とても腕の良い建築デザイナーがいて、彼に図面を書いてもらいがてら、細々とした用具から浴槽まで、アドバイスをしてもらった。
日本の浴槽に一番近いものとして、ギリシャ式の浴槽がいいのではないかということになり、
それはこちらではとても珍しいものなので、少々値段が張ったのだけども、毎日の楽しみとして考えるならと、心臓をドキドキさせながら注文した。
届いた浴槽は、想像していたのよりもさらに小型で、わたしでさえも体操座りをしなければならない。
けれども深い。
顎あたりまでズブズブと浸かりながら、ハァ~ッと魂までもがとろけるような息を吐く自分を想像して、うっとり眺めた。
工事を依頼するにあたり、何件かの業者に部屋を見てもらい、予算を立ててもらった。
その額、上は200万円を超え、次に150万、120万、そして一番下が70万円。
工賃だけでそんな額になる。
そこに、新しい浴槽だのトイレだの洗面台だの電灯だの換気扇だのシャワーだの補助棒だのタオル掛けだの、そんなこんなの実費を足すと、
なんでこんな狭い部屋の改装に、こんな高額なお金を使わねばならないのか、唖然としてしまう数字が目の前に叩き出された。
70万の予算を言ってきたのがケビン。
でも、その時に彼は、「自分にはニューヨークのオリンピック招致プロジェクトの幹部としての仕事があり、だからここの仕事は週日の夕方から夜と週末しかできない」と言わなかった。
わたしはその時、「他のところに比べてどうしてこんなに安いのか」と聞いたが、「そんな金額はあり得ない」と言われて、やっぱりな、とぐらいしか考えなかった。
ケビンと契約を結び、町の役所からもゴーサインをもらい、やっと工事が始まった。
ちょうどその頃、空と海との出会いがあり、うちに引き取ることに決め、さらに生徒の発表会が間近に迫っていた。
工事は週日の夕方から夜、というのがわかり、とても驚いたが、仕方がない、だから安かったのかと納得した。
ただ、その日その日によって来る時間がまちまちで、さらに、電気工事や配管工事を受け持つ人間との連絡がちゃんとできてなくて、
来てもなんにもできなかったり、工程が前後して、取り付けたものをまた外したり剥がしたりしなければならなかったりした。
一番うんざりしたのは、来るからといって全く来ないまま、連絡も無いというのが何回も続いている配管工の態度。
そんなこんなで、わたしたちの腹の中には、50万から130万円、払わなくて済んだ額相当の、ストレスが溜まってきた。
そして…。
配管工のうっかりミスで発生した、大量の水漏れ事故が2回。
さらに、これはやった人が今だにわからないのだけれど、工事中に生じた瓦礫のクズや古釘が刺さったままの木片や大型掃除機を、新しい浴槽に放り込んだ人がいて、
もちろん浴槽には何筋もの傷がつき、だからまた、新たに注文した浴槽と取り替えてもらったのが1回。
そして、浴槽から立ち上がるのに使う手すりを、設計図を無視したのか、そこにしか取り付けられなかったのか、全く届かないところに取り付けてあるのをどうするか…。
タイルも、所々平らではない。
見えにくい所ならいいのだけれど、コンセントがペタンと取り付けられないぐらいにボコボコしていたりするので、かなり悲しい。
うちに来るのは、日中の正規の仕事をしてからだったり、本当はゆっくりと体を休めるべき週末だったりするので、疲れているだろうし、1日でも早く終えてしまいたいという気持ちはわかる。
けれども、いくら一番安い費用であるからといっても、仕事をするかぎりはきちんとしてもらいたいと、雇い主の方は思ってしまう。
そしてもちろん、我々の方も、こんな毎日は1日でも早く終わってほしい。
昨日、旦那とふたりで浴室に入り、どこまでは妥協できて、どのことは妥協できないか、あちこちを点検しながら話し合った。
若い頃、ペンキ塗りのバイト(仕事といってもよいかも)をしばらくしていた旦那は、雑な仕上げが目につき、とてもがっかりしていた。
浴槽には、あの事件以来、大きなカバーが掛けられてあったのだけども、そのカバーの上に脚立を置いて作業をしていたりしてたので、念のためにカバーをめくってみた。
そうしたら…嗚呼~…。
全部めくってみる。
こんなことをしている自分が、なんだかとてもいやらしい人間のように思えてきて、我ながら暗い気持ちになるのだけれど…。
作業工程がよほど組み立てにくいのか、それともこれが彼のスタイルなのか、どちらにせよ、行き当たりばったり的な感じがして、信用度が徐々に低下している。
これで、工事がすべて終わったら払うことになっている費用全額の残り半分が、結局は総額にすると100万を超えてたりしたら…。
人柄は、ほんとにいい人なんだけどなあ…。
ほんでもってわたしたちは、うるさいことを言わない注文者でいたいんだけどなあ…。
いい関係を保ちたい。けどもきちんとやってもらいたい。
こんなふうにウダウダと考えてしまう日を、一日でも少なくしたいのは山々なんだけども…。
60年近く前に、その時も多分、50年ぶりに改装されたはずのその浴室は、床がボロボロに剥げていて、古い琺瑯の浴槽も、アンティークの世界では喜ばれる代物かもしれないけれど、
染み込んだ汚れは磨いても取れず、水はけがとても悪く、おまけに巨大だったので、いったんお湯を張って入ると、掃除を終えるまでにとんでもなく長い時間がかかった。
旦那はかねがね、二階にある一室を診療のために使いたいと思っていて、だからその浴室のトイレは、家族と患者さんが使うことになるのだけれども、
とてもではないが、家族以外の人に使ってもらえるような様相ではなく、この家のどこの部屋よりも早く、きちんと改装したいと願っていた。
引っ越してきて5年。
息子たちの大学生活も終わり、長男に続き次男も独立してから3年が経ち、ようやくそういう家の修復に思いを馳せることができるようになった。
それでもまだ、一階の台所と浴室のような、大掛かりな改装に手をつけるまでには、相当な時間がかかるはず。
なので、その二階の浴槽をまず、日本のお風呂にできるだけ近いものにして、湯船に浸かるという至福の時間を取り戻したいと思った。
友人に、とても腕の良い建築デザイナーがいて、彼に図面を書いてもらいがてら、細々とした用具から浴槽まで、アドバイスをしてもらった。
日本の浴槽に一番近いものとして、ギリシャ式の浴槽がいいのではないかということになり、
それはこちらではとても珍しいものなので、少々値段が張ったのだけども、毎日の楽しみとして考えるならと、心臓をドキドキさせながら注文した。
届いた浴槽は、想像していたのよりもさらに小型で、わたしでさえも体操座りをしなければならない。
けれども深い。
顎あたりまでズブズブと浸かりながら、ハァ~ッと魂までもがとろけるような息を吐く自分を想像して、うっとり眺めた。
工事を依頼するにあたり、何件かの業者に部屋を見てもらい、予算を立ててもらった。
その額、上は200万円を超え、次に150万、120万、そして一番下が70万円。
工賃だけでそんな額になる。
そこに、新しい浴槽だのトイレだの洗面台だの電灯だの換気扇だのシャワーだの補助棒だのタオル掛けだの、そんなこんなの実費を足すと、
なんでこんな狭い部屋の改装に、こんな高額なお金を使わねばならないのか、唖然としてしまう数字が目の前に叩き出された。
70万の予算を言ってきたのがケビン。
でも、その時に彼は、「自分にはニューヨークのオリンピック招致プロジェクトの幹部としての仕事があり、だからここの仕事は週日の夕方から夜と週末しかできない」と言わなかった。
わたしはその時、「他のところに比べてどうしてこんなに安いのか」と聞いたが、「そんな金額はあり得ない」と言われて、やっぱりな、とぐらいしか考えなかった。
ケビンと契約を結び、町の役所からもゴーサインをもらい、やっと工事が始まった。
ちょうどその頃、空と海との出会いがあり、うちに引き取ることに決め、さらに生徒の発表会が間近に迫っていた。
工事は週日の夕方から夜、というのがわかり、とても驚いたが、仕方がない、だから安かったのかと納得した。
ただ、その日その日によって来る時間がまちまちで、さらに、電気工事や配管工事を受け持つ人間との連絡がちゃんとできてなくて、
来てもなんにもできなかったり、工程が前後して、取り付けたものをまた外したり剥がしたりしなければならなかったりした。
一番うんざりしたのは、来るからといって全く来ないまま、連絡も無いというのが何回も続いている配管工の態度。
そんなこんなで、わたしたちの腹の中には、50万から130万円、払わなくて済んだ額相当の、ストレスが溜まってきた。
そして…。
配管工のうっかりミスで発生した、大量の水漏れ事故が2回。
さらに、これはやった人が今だにわからないのだけれど、工事中に生じた瓦礫のクズや古釘が刺さったままの木片や大型掃除機を、新しい浴槽に放り込んだ人がいて、
もちろん浴槽には何筋もの傷がつき、だからまた、新たに注文した浴槽と取り替えてもらったのが1回。
そして、浴槽から立ち上がるのに使う手すりを、設計図を無視したのか、そこにしか取り付けられなかったのか、全く届かないところに取り付けてあるのをどうするか…。
タイルも、所々平らではない。
見えにくい所ならいいのだけれど、コンセントがペタンと取り付けられないぐらいにボコボコしていたりするので、かなり悲しい。
うちに来るのは、日中の正規の仕事をしてからだったり、本当はゆっくりと体を休めるべき週末だったりするので、疲れているだろうし、1日でも早く終えてしまいたいという気持ちはわかる。
けれども、いくら一番安い費用であるからといっても、仕事をするかぎりはきちんとしてもらいたいと、雇い主の方は思ってしまう。
そしてもちろん、我々の方も、こんな毎日は1日でも早く終わってほしい。
昨日、旦那とふたりで浴室に入り、どこまでは妥協できて、どのことは妥協できないか、あちこちを点検しながら話し合った。
若い頃、ペンキ塗りのバイト(仕事といってもよいかも)をしばらくしていた旦那は、雑な仕上げが目につき、とてもがっかりしていた。
浴槽には、あの事件以来、大きなカバーが掛けられてあったのだけども、そのカバーの上に脚立を置いて作業をしていたりしてたので、念のためにカバーをめくってみた。
そうしたら…嗚呼~…。
全部めくってみる。
こんなことをしている自分が、なんだかとてもいやらしい人間のように思えてきて、我ながら暗い気持ちになるのだけれど…。
作業工程がよほど組み立てにくいのか、それともこれが彼のスタイルなのか、どちらにせよ、行き当たりばったり的な感じがして、信用度が徐々に低下している。
これで、工事がすべて終わったら払うことになっている費用全額の残り半分が、結局は総額にすると100万を超えてたりしたら…。
人柄は、ほんとにいい人なんだけどなあ…。
ほんでもってわたしたちは、うるさいことを言わない注文者でいたいんだけどなあ…。
いい関係を保ちたい。けどもきちんとやってもらいたい。
こんなふうにウダウダと考えてしまう日を、一日でも少なくしたいのは山々なんだけども…。