1) 文化財保護法の制定(昭和25年、1950年)
① 昭和20年の敗戦により、我が国の伝統的文化は、壊滅的打撃を受けます。それは単に伝統文化が
壊れた為ではなく、国民全てが食糧難になり、食うや食わずの状態で、文化に関心を寄せる
人が少なく、人的欠乏となった事と、伝統文化を支える物質が欠乏していた為です。
② 昭和25年頃に成ると、朝鮮戦争の影響で特需景気が起こり、世情も安定してきます。
しかし同年、法隆寺の本堂が消失する事件が起き、俄かに文化財の保護が叫ばれる様に成ります。
③ 杉原信彦(国立近代美術館勤務)や小山富士、山辺知行氏などが尽力し、制定にこぎつけます。
④ 文化財保護委員会の下に、総務部と保存部が設けられます。保存部には史跡、名勝、天然記念物を
担当していますが、その中に無形文化部があり、更に芸能担当と工芸担当がありました。
工芸部を担当したのは前記、杉原、小山と山辺氏です。
⑤ 当時の無形文化財の要件は、特に価値の高い物、国が保護しなければ、衰亡の恐れのある物で、
単に立派な物は排除されています。仕事の第一は、当時手に入り難い漆や金などの資材を斡旋し、
適当な処置を講ずる事で有ったそうです。
⑥ 昭和27年、無形文化科が、天然記念物科から分離独立します。
小山富士夫氏が陶磁担当で、杉原氏が染織担当に成ります。その後、漆芸に岡田譲氏、金工に
蔵田蔵氏が各々担当します。
⑦ 翌年には、5万円の予算が付きます。(当時の価値は不明ですが、かなりの高額と思われます。)
無形文化財の宣伝(PR)と、将来保護対象は、公開(展覧会)する事に成りますので、
その方面に予算を使えば良い事に決めます。
⑧ 開催場所は、最初高島屋、次に松屋、最終的には三越デパートに決まります。
)東京と大阪にある一番良いデパートとして、最初に高島屋に話を持ち掛けますが、文化財とは
どの様なものを指すのか、不明であった為か、費用の掛かる展示会は出来ませんと、高島屋から
断われてしまいます。
) 次に松屋に頼み、了承を得ますが、「電産スト」が起こり会場建設が間に合わなくなり、
年度内に展示会を開く事が出来なくなります。
) 国庫補助金の5万円は年度内に、使いきれない場合には、国庫に返納する事になります。
その為、今度は三越デパートへ打診に行きます。三越は高島屋、松屋の後でしたが、心良く
引き受けてくれます。但し条件として、一度上野の博物館で開催し、この催しに箔をつけから
三越で開催したいと希望します。そこで急遽上野国立博物館の表慶館二階で、細々と展示会を
開きます。昭和28年3月の事ですた。
2) 「無形文化財・日本伝統工芸展」が昭和29年3月に、日本橋三越の七階の催場で行われます。
この展示会は、看板の様に無形文化財(国指定)の人しか出品できませんでした。
(当時約40人程の人がいた様です。)
尚、日本伝統工芸展は、翌年以降三越デパートで開催されるに至っています。
① この展示会では、荒川豊蔵氏の茶碗が10万円の高値で売れた事が話題に成ります。
買い手は、五島慶太氏で現在五島美術館に、展示されているとの事です。
② 重要指定文化財の指定
文化財保護法は、国が保護しなければ、衰亡のある恐れがある物が対象でした。
その考え方は「おかしいのでは」と言う声が上がり、保護法を改正し、重要文化財(人間国宝)は
指定性に成ります。
③ 昭和30年2月の第一回目の指定は、荒川豊蔵(志野、瀬戸黒)、石黒宗麿(鉄釉陶器)、
富本憲吉(色絵磁器)、浜田庄司(民芸陶器)の四名で、第二回目(同年5月)には、金重陶陽
(備前焼)が選定されます。
④ 第二回日本伝統工芸展は昭和30年の秋に開催されますが、完全な公募性ではなく、推薦制度に
成っています。
3) 日本工芸会の設立
陶磁器業界では、個人がばらばらで活動し、展示会を開くにも、事業主体が無いので、文化財
保護委員会と文化財保持者が集まり、協議を行います。
その結果、「社団法人・日本工芸会」が、高松宮様を総裁にして発足します。
会長には、細川護立氏(文化財保護委員)を、理事長には西沢笛畝氏(専門審議会、工芸技術部会
会長)をあてます。
① 第五回展では、「日本工芸展」と呼び名を変え、一般公募性に成りますが、翌六回展からは、
再び「日本伝統工芸展」に戻っています。
4) 展示会の特徴
① 第一回展より、出品者全員の作品は、審査の対象になっている事です。
正会員、鑑審査員、重要無形文化財の保持者、文化勲章受章者であっても、無審査には
成りません。
② 鑑審査員の構成は、一党一派に囚われず、学識者、作家との混成になっています。
③ 審査の対象は以下の七部門です。
陶芸、染織、漆芸、金工、木竹、人形、その他(硝子、七宝、載金、玉、牙類)です。
尚、第三回展より刀剣の部門は、刀剣協会へ円満所属換えしています。
・ 第一次審査、第二次審査を経て、入選と日本工芸会総裁賞、工芸会会長賞、同奨励賞、
文部科学大臣賞などの、各賞が決定されます。
④ 伝統工芸展の会場は、東京の他、名古屋、大阪、金沢、京都、岡山、高松、広島、福岡などで、
巡回展示されています。又中国人民友好協会などの主催で、北京、上海などでも巡回展示が
行われています。
以下次回に続きます。
① 昭和20年の敗戦により、我が国の伝統的文化は、壊滅的打撃を受けます。それは単に伝統文化が
壊れた為ではなく、国民全てが食糧難になり、食うや食わずの状態で、文化に関心を寄せる
人が少なく、人的欠乏となった事と、伝統文化を支える物質が欠乏していた為です。
② 昭和25年頃に成ると、朝鮮戦争の影響で特需景気が起こり、世情も安定してきます。
しかし同年、法隆寺の本堂が消失する事件が起き、俄かに文化財の保護が叫ばれる様に成ります。
③ 杉原信彦(国立近代美術館勤務)や小山富士、山辺知行氏などが尽力し、制定にこぎつけます。
④ 文化財保護委員会の下に、総務部と保存部が設けられます。保存部には史跡、名勝、天然記念物を
担当していますが、その中に無形文化部があり、更に芸能担当と工芸担当がありました。
工芸部を担当したのは前記、杉原、小山と山辺氏です。
⑤ 当時の無形文化財の要件は、特に価値の高い物、国が保護しなければ、衰亡の恐れのある物で、
単に立派な物は排除されています。仕事の第一は、当時手に入り難い漆や金などの資材を斡旋し、
適当な処置を講ずる事で有ったそうです。
⑥ 昭和27年、無形文化科が、天然記念物科から分離独立します。
小山富士夫氏が陶磁担当で、杉原氏が染織担当に成ります。その後、漆芸に岡田譲氏、金工に
蔵田蔵氏が各々担当します。
⑦ 翌年には、5万円の予算が付きます。(当時の価値は不明ですが、かなりの高額と思われます。)
無形文化財の宣伝(PR)と、将来保護対象は、公開(展覧会)する事に成りますので、
その方面に予算を使えば良い事に決めます。
⑧ 開催場所は、最初高島屋、次に松屋、最終的には三越デパートに決まります。
)東京と大阪にある一番良いデパートとして、最初に高島屋に話を持ち掛けますが、文化財とは
どの様なものを指すのか、不明であった為か、費用の掛かる展示会は出来ませんと、高島屋から
断われてしまいます。
) 次に松屋に頼み、了承を得ますが、「電産スト」が起こり会場建設が間に合わなくなり、
年度内に展示会を開く事が出来なくなります。
) 国庫補助金の5万円は年度内に、使いきれない場合には、国庫に返納する事になります。
その為、今度は三越デパートへ打診に行きます。三越は高島屋、松屋の後でしたが、心良く
引き受けてくれます。但し条件として、一度上野の博物館で開催し、この催しに箔をつけから
三越で開催したいと希望します。そこで急遽上野国立博物館の表慶館二階で、細々と展示会を
開きます。昭和28年3月の事ですた。
2) 「無形文化財・日本伝統工芸展」が昭和29年3月に、日本橋三越の七階の催場で行われます。
この展示会は、看板の様に無形文化財(国指定)の人しか出品できませんでした。
(当時約40人程の人がいた様です。)
尚、日本伝統工芸展は、翌年以降三越デパートで開催されるに至っています。
① この展示会では、荒川豊蔵氏の茶碗が10万円の高値で売れた事が話題に成ります。
買い手は、五島慶太氏で現在五島美術館に、展示されているとの事です。
② 重要指定文化財の指定
文化財保護法は、国が保護しなければ、衰亡のある恐れがある物が対象でした。
その考え方は「おかしいのでは」と言う声が上がり、保護法を改正し、重要文化財(人間国宝)は
指定性に成ります。
③ 昭和30年2月の第一回目の指定は、荒川豊蔵(志野、瀬戸黒)、石黒宗麿(鉄釉陶器)、
富本憲吉(色絵磁器)、浜田庄司(民芸陶器)の四名で、第二回目(同年5月)には、金重陶陽
(備前焼)が選定されます。
④ 第二回日本伝統工芸展は昭和30年の秋に開催されますが、完全な公募性ではなく、推薦制度に
成っています。
3) 日本工芸会の設立
陶磁器業界では、個人がばらばらで活動し、展示会を開くにも、事業主体が無いので、文化財
保護委員会と文化財保持者が集まり、協議を行います。
その結果、「社団法人・日本工芸会」が、高松宮様を総裁にして発足します。
会長には、細川護立氏(文化財保護委員)を、理事長には西沢笛畝氏(専門審議会、工芸技術部会
会長)をあてます。
① 第五回展では、「日本工芸展」と呼び名を変え、一般公募性に成りますが、翌六回展からは、
再び「日本伝統工芸展」に戻っています。
4) 展示会の特徴
① 第一回展より、出品者全員の作品は、審査の対象になっている事です。
正会員、鑑審査員、重要無形文化財の保持者、文化勲章受章者であっても、無審査には
成りません。
② 鑑審査員の構成は、一党一派に囚われず、学識者、作家との混成になっています。
③ 審査の対象は以下の七部門です。
陶芸、染織、漆芸、金工、木竹、人形、その他(硝子、七宝、載金、玉、牙類)です。
尚、第三回展より刀剣の部門は、刀剣協会へ円満所属換えしています。
・ 第一次審査、第二次審査を経て、入選と日本工芸会総裁賞、工芸会会長賞、同奨励賞、
文部科学大臣賞などの、各賞が決定されます。
④ 伝統工芸展の会場は、東京の他、名古屋、大阪、金沢、京都、岡山、高松、広島、福岡などで、
巡回展示されています。又中国人民友好協会などの主催で、北京、上海などでも巡回展示が
行われています。
以下次回に続きます。