愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

千ノ田城址(3) 豊田市

2017年01月13日 14時24分27秒 | 豊田市
主郭を取り巻く帯曲輪
さらに西の方に進んで行きますと竪堀が帯曲輪から南の方に切り込まれていました。

南帯曲輪の竪堀(⑥)

竪堀を確認した後に再び主郭東の方に移動しました。主郭の南東部には虎口がありました。

主郭南東虎口(⑦)

主郭の周りには帯曲輪がぐるっと取り巻いていました。この帯曲輪の主郭側には横堀が掘られていました。

主郭南帯曲輪と横堀(⑧)

この帯曲輪をさらに西の方に進みますと左手に虎口が見え、その奥には土塁がありました。

南西虎口と土塁(⑨)

さらに帯曲輪を北の方に回りますと、横堀が刻まれ、かなり守りの堅い城であることが
分かりました。

西側の帯曲輪・横堀(⑩)

千ノ田城は、誰がいつ築城したのか分からないのですが、主郭を中心に帯曲輪や横堀で囲っている様子は大桑城と似た感じがしました。また「千田」という地名が近くにあるので、千ノ田城の名前はここからとったのかなとも思いました。

千ノ田城址(2) 豊田市

2017年01月12日 14時05分58秒 | 豊田市

千ノ田城址イメージ図(「愛知の山城ベスト50」を元に作成)


小さい看板 狭い登城口
この山の右側を登っていきますと、小さな看板が左手に見えます。

千ノ田城址への登城口(①)

この看板が示すように、ここを斜め左に登っていきます。

見ごたえ十分の堀切
すぐに遺構に到着します。私は、はじめに主郭東の堀切を見ました。

主郭西の堀切(②)

この堀切は深くて大きかったです。遺構の中で一番見ごたえのあるものでした。

この堀切から見て、主郭の右側と左側に小さな腰曲輪がありました。

主郭右(北)の腰曲輪(③)

この腰曲輪と帯曲輪の間は竪堀が切ってありました。

主郭北の竪堀(④)

主郭東の堀切を通り主郭南の方に行きますとここにも小さな曲輪がありました。

主郭南東部の小曲輪(⑤) 

堀切の左右に小さな曲輪がありましたが、これは横矢をかけるためのものではないかと思いました。

千ノ田城址(1) 豊田市

2017年01月11日 15時09分26秒 | 豊田市
謎のお城 千ノ田城
千ノ田城は、私が持っている資料では、誰がいつ築城したのか分かりません。「愛知の山城ベスト50」に掲載されていたので、訪れることにしました。お城は、国道153号線からすこし外れたところにあります。


千ノ田城址の位置(国土地理院の地図を元に作成)

宗源寺の向かいの山城
豊田市の方から車で行く場合、国道153号線を足助から飯田・稲武の方に向かって進み、途中県道366号線(菅生方面)で右折します。366号線に入ると500mぐらいで左折し、「加茂広域農道」に入ります。この道に沿ってしばらく進みますと、右手に「宗源寺」の石碑が見えてきます。それが見えたら、お寺の方に入っていきます。

宗源寺石碑で右折


宗源寺

千ノ田城址は、このお寺の向かいにあります。

千ノ田城址全景

松平城山(じょうやま)城址(7) 豊田市

2017年01月09日 17時17分52秒 | 豊田市
土塁と堀で囲まれた北の曲輪
さらに進んで行きますと西側北端の曲輪がありました。この曲輪は割と大きくて、北側に低く土塁の跡が見えました。また、その下にはけっこうしっかりした横堀がありました。

北端の曲輪北側の横堀(⑲)

この曲輪は、広さも結構あり、土塁や横堀でしっかり守られているので、このお城の中では重要な曲輪だったのではないかと思いました。

また一番東の曲輪には石垣の跡が見えました。

石垣の跡(⑳)

もったいない城山城
城山城は、いろんな遺構があり、大変見ごたえのある山城でした。近くの大給城にもひけを取らないと思いました。しかし、個人所有ということで、うまく整備がなされていなくて、もったいない気がしました。

松平城山(じょうやま)城址(6) 豊田市

2017年01月08日 09時40分40秒 | 豊田市
馬出、不思議なクランク上の堀
そして土橋の向こうは馬出となっていました。この馬出をイメージ化すると下の図のようになります。


一般に、馬出は防御の装置ですが、攻撃の装置でもあります。しかし、この馬出では左右の道が山の斜面でとることができず、両脇から前に出るしかありません。せっかく攻撃に出ても、すぐ敵の前にでてしまい、攻撃がしづらい構造だと思いました。

馬出(⑯)西側を下から撮影

馬出を過ぎると、左手(西側)に竪堀が見えました。

竪堀(⑰