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日々の暮らしのなかで

さようなら、パス

2006年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
愛犬「パス」が、11年の生涯に幕を閉じた。

阪神大震災が起きたあの年、ちょうど今頃うちに一匹の子犬がやって来た。
白毛で雑種のオス。鼻の頭は肌色で、
「黒やったら可愛かったのにぃ~」と思っていた。

子犬の時は段ボールに入れ、仕事場にも連れてきていた。
子犬独特の愛らしい仕種や、ウンチをした後、尻を擦るように歩く
姿に家族で笑ったものだ。
何も解らない子犬はストーブに突進しては、慌てて逃げ出していた。

「名前は何にする?」

うちで犬を飼うのは二回目だ。ちなみに先代の犬の名は「チビ」だった。

「う~ん、何がええかな?」
「白いから“シロ”とか?」
「単純やなぁ~」

愛くるしい顔を見ながら、家族で考えた。

「“パス”はどう?」

僕が提案してみた。この“パス”にも意味がある。
この子犬が来る数年前に、おばあちゃんが亡くなっていた。
おばあちゃんは「バス」の事を「パス」と発音していた。
おばあちゃんとの思い出と、すれ違うようにやって来た
“新しい家族“に、その思い出の言葉をつけることにした。

子犬の時はいろいろと遊んでいたが、年を重ねるにつれ
僕との関わりは少なくなっていった。
食事はおかんが、散歩はおやじが担当していた。
それでも毎日、出勤時には
「行ってきます」
帰れば
「ただいま!」
と声はかけていた。

昨年の末、僕はパスの写真を撮った。
「戌年」として年賀状にパスを登場させようと思ったからだ。
パスを撮っている僕を見たおかんが

「パス撮ってやったんやな」
と声を掛けてきた。
思えば、12月頃には体調もふるわず、心配をしていたものだ。
そして、家族の誰もがこんな日が近いことを覚悟していたのだろう。

番犬としても彼は優秀だった。
お客さんなり、人が尋ねてくると、帰るまで吠えていた。
車検や修理で、僕が違う車に乗って帰っても吠えていた。
車から降りた僕の姿を目にすると

「なんや、お前か!」
って顔をして吠えるのをやめた。

繋いでいた鎖が壊れて、何度か出ていった事もあった。
その度に、帰れなくなって震えているパスに出会った。

「犬やったら、ちゃんと帰って来いよ!それとも脱走か?」

なんて、問い詰めたこともあったなぁ。
することが無い日曜日は、半日、彼の顔を眺めていた事もあった。
口笛を鳴らす度に耳を立て、彼もじっとこちらを見ている。
根比べだ。どっちが先に視線を反らすか!
大抵は彼だった。
「なんや!食べもんくれへんのかいな!」って感じで水を飲み
小屋の中に入っていく。
それでも僕が立ち上がると、
“ビクッ”とした後おもむろに立ち上がり、また僕を見つめた。

そんなパスとはもう会えない。
「もっと遊んでやればよかった」
「散歩にも連れていってやればよかった。」

居なくなってから、いろいろと思う。
先代の時は、大きくなってからの付き合いだったので、亡くなった
時も、それほどの感情はなかったが、
パスは生まれた時からの付き合いだったので淋しい。


彼はうちに来て幸せだったのだろうか?


死んでしまった彼には、何もしてやる事は出来ないが、
僕なりの思いで、少しの間は喪に服してやりたいと思っている。

「パス、さようなら。今日まで楽しかったよ。ありがとうな。」

コメント
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