おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

妄想

2006年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
単調な日々を繰り返していると、良からぬ妄想をする事がある。

良からぬと言っても、大それたことではなく幼稚な物が大半だ。
「ドラマのような恋がしたい!」なんて、乙女チックな妄想をしてみたりする。
でもこの時、頭の中にあるのは、ストーリーじゃなく女優の顔だったり
するわけだ。

深夜にやっている番組で、「恋愛ドラマ」によくあるシーンをアンケートして
それを元にドラマを作る。そしてこの後につづくシーンは?
なんてことをやっている番組がある。
いわゆる「ベタ」な事を楽しもうと言うやつ。これが結構面白い。

付き合っている彼氏の部屋に訪れる彼女。しかし彼の部屋には違う女性が!
抱き合い激しいキスをする二人。何も知らず、手には買物袋をさげている。
笑顔でドアをあけると、そこには見ず知らずの女性と抱き合う彼氏が。

呆然と立ち尽くしていると、彼がドアの方に視線をおくる。そして、
彼氏「(驚いて)ベタ子・・・」
彼女「どうして?」
彼氏「・・・・」
手に持っていた買物袋を落とし、立ち去る彼女。

さてこの後、彼氏がとった行動は?

って感じでやっていく。
「純愛ドラマ」によくある「ベタ」なシチュエーションを当てるのだ。
でもこんな事、ドラマの中だから成立するのであって、現実に起これば
ちょっとした修羅場・ラ・バンバになるはずだ。

「ベタ」な事で言えば、今まで生きてきて実際に遭遇した事がないシーンは
たくさんある。
例えば、風船が木に引っ掛かって泣いている子供なんて見た事がない。
他にも、雨の中呆然と立ち尽くしている女性を見た事がないし、
時間が無くて急いでいる時に人とぶつかって、書類をぶちまけた場面にも
出会った事がない。勿論、それを拾い集めている時に、かっこいい男が
登場するなんて事は、想像の中だけの世界だろう。

でも、そんな「ベタ」も含めたドラマの世界に憧れる人はいるだろうし、
刺激的な事だと思う人もいるだろう。

でも、決定的に現実世界では「ドラマの様な恋」は再現出来ない。
「いや、俺はドラマのような恋をしている」って言う人もいるだろうが、
忠実に「ドラマの様な」事は出来ない。

決定的に違うもの。それは、そう、あの「挿入歌」である。
クライマックスを迎えようが、決め台詞がはまったとしても、
「粉雪」は流れて来ない。「ラブストーリーは突然に」は聞こえてこない
のである。

自分の頭の中だけで、再生ボタンを“ポチッ”て押すことはある。
そう、そこは、「妄想」でカバーするしかない。



コメント
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