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日々の暮らしのなかで

痛風

2006年01月21日 | 健康・病気
“あいつ”は、ある日突然やって来る。

何年ぶり、いや、何ヶ月ぶりだろうか?一昨日の朝、激痛と共に目が覚めた。
「痛風」である。痛風の発作は、何時頃から自覚したか覚えていないが、
結構な年数である。「痛風」に関してはベテランの域に入るだろうか。

奴は幸せな日常を壊すようにやってくる。
その激痛は想像を絶する痛さだ。
歩行が困難になることは言う間でもないが、酷い時には靴下を履くことさえ
許されない痛みだ。
「突然」と言っても前兆がないわけでもない。就寝前に親指の付け根あたりに「違和感」を感じる。

「もしかして……」

ベテランともなれば、これは“あいつ”がやってくるに違い無いと警戒する。
しかし、いくら警戒してみたところで、それは無駄な努力に終わる。

“あいつ”の作戦遂行時間は、深夜。俺が眠ったのを確認したのち行われる。
痛風の発作=患部の腫を簡単に説明すると、余分な尿酸が尿酸ナトリウムと言う名の結晶になり
白血球がこの結晶を異物として攻撃する。その時の発生する活性酸素が毛細血管を拡張させ
腫となって表れるのだ。

免疫機能とは、自分を守ってくれる軍隊のようなものだ。
あらゆる「敵」と闘い、俺を守ってくれている。不眠不休でだ。
それも指示なしで、彼等は行動してくれる。

しかし、これも「痛風の激痛」の前では、「余計なお世話」に感じてしまう。

「もっと静かに闘ってくれよ」

見事に腫れ上がった足を見ながら、涙目で懇願するのである。
しかしこの激戦は1週間ほど続くのだ。ピークは2~3日であるが、
「停戦」を迎えるまでには、少々の時間を要する。
そしてこの戦いもまた「不眠不休」で行われる。就寝中でも続くこの戦いは、
僕の「安眠」さえ奪っていくのだ。

ただ自分も手を拱いて見ている訳ではない。援軍を早急に準備し出動させる。
「冷却」部隊だ。凍り水や冷湿布を貼って患部を冷す。しかしこの外部からの援軍は
戦況を劇的には変えてくれない。力不足だ。

痛みに耐える辛い時間は続くのだが、この「激戦」の痛みを人にわかってもらえない
辛さも同時にやってくる。

実際に経験したことのある人ならわかるが、痛風になった事の無い人には想像も
つかないだろう。
経験したことが無くても「骨折」した人を見た時は「痛そう」と感じ、
「大丈夫?」と言葉でケアもしてくれる。
しかし「痛風」の場合は、見事に腫れ上がった患部を見せても

「わぁー」

というだけで、その「痛み」までは伝わらない。
腫れ上がった戦地は、その激戦を僕に確認させる事もする。
痛みがひいた数日後、風呂に入っていると、白くなっている部分が目に入ってくる。
激戦で熱を帯びた戦地の薄皮が剥がれ空気が入っている。
そっと手をそえるだけで、見たことのない範囲で、見事に薄皮が離脱する。

普段からのケアも大切な「痛風」
ビールなどは、発作中なら厳禁である。
しかし、今日、「新年会」がある。大のビール党の僕としては、
飲まずにいる自信がない。

しかし、明日の朝の「戦況」を思う時、部外者はやっぱり立ち入り禁止にするべきだ。


コメント
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