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日々の暮らしのなかで

ゆとり

2007年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
先日、仕事帰りに買物に出掛けた。
 
信号待ちをしていると、運転席に身体を沈め、
ハンドルの間から前を覗き込むように運転をしている
年配女性の車が、僕の前をそろそろと横切って行った。
 
時速15キロ。
 
高橋尚子よりも少し遅い。並んで走ってると抜かれる。
そんな、今にも止まりそうな勢いで、なんとか進んでいる車。
追い抜こうかとも思ったが、道幅も狭く高校生が自転車で
走ってたりして、危ない。
 
何よりも、僕が何かしらの行動を起こすことで、
その女性がどんな行動に出るのか分からない。
ただ一台の車を追い越すだけだが、
あまりにもリスクが多い。
 
仕事帰りだった事もあって、僕自身急いでいなかったので、
なんとか我慢出来たが、これが仕事中なら、
約束の時間に遅れそうだったら、対応は違っただろうし、
 
「どけ!おばはぁーん!」
 
と、ハシタナイ言葉も出たかも、かも知れない。
 
ゆっくりと走る車の後をついて走り、
ミラーでずらっと繋がっている後続車を見ながら思った。
 
やっぱり運転はゆとりを持ってしなくてはいけない。
ついつい自己チューになって、周りが見えなくなる時がある。
自分を正当化して、悪いのは周りだと当り散らす。
 
運転中は何よりも冷静な判断が大切だ。
冷静な判断をするためにも、どんなに急いでいたとしても
ゆとりある行動は大切だ。
 
ゆとりで思い出したが、
最近テレビコマーシャルを見ていて気になったシーンがあった。
篠原涼子が休暇の予定をボードに記す。
上司がそれを見ていて 
 
「それだけ?」
 
と返答。
その言葉を聞いて篠原は少し憤慨するのだが、
マジックペンを取り上げた上司がボードに線を引きながら、
 
「それだけでいいの?」
 
と、休暇の日程を延ばしていく。
 
「ぐっと来た!」
 
篠原の台詞。
 
これをみて、“?”と思った。
あれ、どう見ても
 
“クビ”
 
って事じゃなかろうかと。
ずっと休んでいていいんだよ!って事じゃなかろうかと。
 
こんな風にしか受け取れない僕ってやっぱ
 
“ゆとり”
 
に欠けるんだろうか?