おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

試練かも知れん

2009年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム
神は我に試練を与えて下された!
 
おぉー神よ、神よ、神さんよぉー
そんなに虐めないでおくんなましぃ!
ほんと、これが神様の試練でなくて
なんぞやぁ?と思う、今日この頃
 
もう三日ほど続いているだろうか
車を走らすと、目の前に突然姿を現す神々の使い
時速30~40キロでの安全走行
休日のドライブでもイライラするこのスピード
仕事で急いでいる時には
確かに安全運転が基本であるけれど
流れちゅーもんがあろうが!と
人知れず、車内でわめき散らす
  
それが一度や二度ならいざ知らず
この三日間、ほぼすべての車が安全運転だ
 
これはどういうことか?
 
僕はほとんど追い越しはしない
高速道路や片側複数車線なら
どんどん前に前にとアクセルを踏み続けるが
片側一車線なら、ほぼ、追い越しはしない
 
面倒くさいのが第一だが
一度無謀な抜き方をしたご老人が
お客さまとして仕事場に来られた事があって
それ以来、仕事場の周りではもちろんのこと
それがきっかけとなって
普段でも追い越しをかけることはほぼない 
 
ほぼないのだが、やはり
生活していれば、感情のバイオリズムや
のっぴきならない用事で、急がねばならぬ時があって
そういう時には、正直追い越しをかけるときはある
 
ここ数日の試練は
どういう意味があるのか、ハンドルを握りながら
考える
忙しいのだから抜くのも当然!と思うように
仕向けられるのか
それとも
安全運転を心がけ、ここはじっと我慢だぞぉ!と
改めて自分をお試しになられているのか
 
書いていて、何を書いているのか
分からなくなってきた
 
言いたいのは、なんで
わざわざ僕の前に安全運転の車が
出てくるのかぁ!ってこと
 
神様の仕業じゃないとしたら、悪魔の仕業?って
ことになるんだろうか
 
あぁ、余計に何が言いたいのか
わからなくなって来た
 
これも試練なんですかね
 
 


コメント
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