おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

シルバーの代用は白!

2009年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
クレパスじゃなくて、色えんぴつ、色えんぴつだった
 
何色あったかな?
裕福な家庭じゃなかったけど、それなりに一通りのモノは
買ってもらった
ただ、必要以上のモノは買ってもらえなかった
昔言われた“中流家庭”ぐらいだったと思うが
とにかく、欲しいものを何でも買ってもらえる
環境ではなかった
 
でも、そんな中でも不自由なく暮らしていたけど
ある日、どうしても欲しいモノが見つかってしまった
 
“金色の色えんぴつ”
 
今から思えば、24色の色えんぴつだったと
思うが、その中にゴールドはなかった
 
小学2年生のときだった
消防署の見学に行き、そのレポートを
提出することになった
まぁ、今からだから
レポートなんて横文字も浮かぶってものだが
早い話が、塗り絵を中心とした
プリントの提出だった
 
軽快に塗り進めていく内に
手が止まってしまった
 
色がない
 
消防署員の階級章の色塗りをしているとき
桜のマークの金色が無いのに愕然とした
 
「なぁ、これ、金色ないねん!」
 
必要なモノとして話を進めてみたが
もちろん、買ってはもらえない
今から思えば、それだけ塗るために
新しく色鉛筆を買うのは、どうも勿体無い話だ
 
しかし、あの時
寝ながら宿題をしていた僕は
どうしても“金色”をそこに塗りたかった
 
「これでええねん!」
 
親父は綺麗に並べていた色鉛筆の中から
黄土色を取り出し、サッと塗った
確かに、それらしく見えた
 
しかし、どうしてもそれは
 
“見える”
 
に過ぎない
 
ひどく落ち込んだのを、今でも思い出す
 
次の日、友達のランドセルから出てきた
大きなケースには、36色だったか48色だったか
とにかく、緑色系だけでも8本ほどあるような
豪華なもの
 
階級章も金色に塗られていた 
 
しかし
 
今から思えば、あの時
金色の鉛筆がなくてよかったと思う
 
確かに“見える”ように塗ったのは納得はいかなかったが
それはある意味、生きている中では
いくつも経験することだ
あれからすべて、自分の思い通りに過ごしてきたか?と
問われれば、そんな事はない
 
妥協も時にはし、逃げてもきた
自分の欲求にしたがって生きていれば
いまほど、ストレスもないだろう
 
でも
 
あの時、金色がなかった人生が
僕の人生を現しているような気がする
 
そんな気がする
 
 


コメント
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