昨日の夜、夕食の席でドンドンという音が聞こえてきた。「花火?」と言いながら妻が窓の外を見た。駅の方角で上がる花火が見えた。たちまち、その音は連続音となって花火が連続して打ち上げられる。そう言えば、毎年この時期に冬の花火があることを思い出した。ネットを見ると、花火のライブ中継もある。テレビから流れるのは、暗いニュースのみだが、こんな催しがせめてもの癒しになる。写真はネットの県民会館さんのページから借用させていただきました。
昭和21年、太宰治が書いた戯曲がある。『冬の花火』昭和20年に空襲の続く東京から津軽に疎開した太宰には、雑誌社から小説の依頼がどんどん来ていた。しかし、その依頼には耳を貸さず、打ち込んでいたのは戯曲をかくことであった。太宰の『冬の花火』は、きのう霞城公園で上がったような打ち上げ花火ではなく、夏に子どもたちが遊ぶ線香花火である。敗戦という現実に、夫を戦争で失い、子どもを連れて津軽に帰った寡婦の話だ。子どもの玩具として、女の母が子どものために買った花火だ。雪のなかの線香花火。浴衣を着て、夏の夜に家族で楽しむからこそ線香花火。
戯曲の幕前にには悲劇が起こる。狂乱状態から寝床で病になった母親の前で、東京に残してきた二度目の夫への長い手紙。女は母にその手紙を読み上げる。火鉢にはかんかんと火が起こっている。至急電報がきて、女は手紙を破ってて火鉢に投げ入れる。部屋を赤く染める炎、それは冬の花火。母も女も、家ともども焼き払う冬の花火。そして戯曲の幕は下りる。
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