冬至が来た。一年で最も長い夜だ。逆に考えれば今日を境に日はほんの数ミリずつ長くなる。昔、中国の水の神に不才の子が生まれたが、冬至の日に死に疫病神になった。この神はそこら中に病気を振りまき恐れられたが、赤豆を恐れたという。小豆の粥を作って疫病神を退散させる風習が生まれた。この国ではカボチャと小豆を一緒に煮て食べる風習は、この中国の伝説が伝わってせいらしい。日は少しずつ長くなるが年明けに小寒、そして大寒が控え、寒さはいよいよ本格化する。
爺は読みて休むを知らず
児は倦みて栗芋を思ふ
江戸の冬至、医家であった江間家親子の過ごし方だ。80歳になって父蘭斎は医学書を読むことに時間を忘れ疲れた様子もない。子細香はすでに飽きて栗や芋を食べたいと思っている。最高女史はこの詩を詠んとき40歳を過ぎているが同じ部屋で本を読む親子の心情が吐露されて微笑ましい。
一日5ページずつ『フランス革命下の一市民の日記』を読んでいる。騒動などが起きた日は、長い文章で周りの出来ごとが書かれるが、大半は気候と食事、手紙などで当時生活の細部をしることができる。
1792年12月21日(金)気温5度。西の風。一日じゅう、突風が吹き荒れ、霰まじりの雨、冬至、今日から冬が始る。エシャール氏のところに昼食に行く。兄の手紙によると、生活費が上がり、葡萄酒が並みで一瓶20ソル、小麦は市場で一スティエ(156ℓ)20リーブル食料品はそろって値上がりしている。
人間の暮らしは時代を問わず、国を問わず、関心は身の回りに向けられる。そこから発せられる言葉は、時代を生きた人間の遺言と言っていい。ありふれた日常のなかに大きな時代の転換が隠されている。
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