アメリカの銃による惨劇のニュースが後を絶たない。昨年の12月には、自動小銃2丁を持った男がコネチカット州の小学校へ押し入り、教室で銃を乱射、小学生20名を含む26人を殺害し、その後、男は自ら命を絶った。この事件を重く見たオバマ大統領は、銃購入時の身元確認を拡大する法案を議会に提出したが、議会はこの法案を否決した。この採決を受けてオバマ大統領は、「アメリカ上院の恥ずべき日」と語った。
16世紀の初めまで、銃はかって種子島に渡来したのと同様な火縄銃で、片手で銃身を押さえもう一方の手で火縄に点火するという面倒な作業が必要であった。手間どっているうちに刀で切りこまれたり、雨に火縄が濡れることもあった。ところが、ホィール・ロックという点火システムが発明されたことで、銃の進化が始まる。ホィール・ロックというのは、いまのライターのヤスリのようなもので、引き金を引いてまわすと火花が散って発火する仕組みだ。
この発明により銃は片手で操作でき、銃身を短くでき、軽量化が進んだ。ホィール・ロックを用いて短銃を最初に作ったのは、カミーロ・ヴィテーリというイタリア人である。彼が住んでいた町、ピストイアにちなんでこの短銃はピストルと呼ばれた。その軽便さが好評をはくし、あっという間にヨーロッパ全土に普及した。ピストルは誰もが隠して携行できるので、暗殺者が重用するところになった。そのため1517年、神聖ローマ帝国のマクシミリアン皇帝は、ピストルの製造を非合法化した。イギリスでもピストルを盗賊が使用するケースが増えたため、1542年、ピストル取締り法が成立している。
しかし、ピストルの技術革新の動きは止まることなく、レボルバー、オートマチックと使い勝手のよいものが次々に登場した。腰からさっとピストルを抜いて、目にも止まらぬ早業で射撃するガンマンは、ヨーロッパからアメリカ西部劇の世界へと波及していった。ワイルド・ビル・ヒコックに代表されるガンマンは、アメリカ西部開拓時代の英雄として、西部劇に映画化され、語り継がれている。
ヨーロッパから移住して、先住民と戦いながら国づくりを進めたアメリカ人は、ピストルを護身用として手放すことをしない。長い歴史のなかで根付いた習慣はおいそれと捨て去ることはできないのであろう。だが、アメリカでは殺人事件で年間1万2千人の死者を出しているが、そのうち小火器つまり銃による死者は8千人を越えている。この事実を直視するならば、銃規制は避けて通れない道である。
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