訪問日:令和6(2024)年8月5日
前回の、鳴滝、夢すき公園に続く
新見市の観光スポットを巡っています。本日最後の目的地、済渡寺を訪ねました。国道を下りもうすぐ高梁市というところで、目立つ大きな案内板があります。ここを右折して山道に入っていきます。
離合が難しいところや、工事中のところもあって、運転には慎重を要しました。
女人高野 済渡禅寺と書かれた石柱
弁天池にはスイレンがびっしり 黄色やピンクと華やかです
薄い黄色と白のスイレン 清楚で鮮やか
梵鐘 第二次世界大戦に供出されましたが無事に戻ってきたそうです
仁王門と枝垂れ桜
道案内の標識が出ているので、よく見て進めば問題ないのですが、うっかり見過ごすと大変なことになります。ナビの目的地とは違う順路となっていますので、注意が必要です。実は一度間違って引き返すはめになってしまいました。
第一駐車場は広くてゆったり、参道を下るとすぐに女人高野の標柱が迎えてくれます。坂道をさらに下ると、左手に弁天池、鐘楼があり、枝垂れ桜が覆う風情ある仁王門が寺院の歴史を感じさせてくれるようです。
境内が見えてきました 手前が白龍門です
「お参りについて 弘法大師様と共に唐から来朝され功績があった白龍様、白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られますのでお参りください 令和三年吉祥日 山主敬白」と書かれています。
美しい千本鳥居・白龍門 下に下って白龍殿に続いています
もう少しアップで
それぞれの門に取り付けられた桃の彫刻
真正面から奥を覗くとなんだか不思議な感覚が襲ってきます
そして、白い鳥居の白龍門が見えてきます。個人的には数年ぶりの訪問ですが、白亜の千本鳥居はとてもきれいに管理されていました。夏の青空と、白い鳥居のコントラストがとても鮮明でインパクトを感じます。
鳥居は78基、正面中央に取り付けられた桃の意匠が何ともかわいいですね。鳥居の幅は、人が一人通れる広さです。きっちり前方を見下ろすと、鳥居が連なり異次元の世界に飛び込んだようです。
鳥居を進み、90度折れたところで行きつくのが白龍殿です。白龍門の入り口の紹介文には、842年10月23日に成仏し石棺で済渡寺に葬られたとか。白龍殿の後ろにあるのが塚でしょうか。
向日葵が咲いていました
花ショウブが一株残っていました
正面が白龍殿です
白龍様について 白龍様は唐(中国)に生まれたお方です。唐で弘法大師様と親交があり、大師様と親交があり、大師様と共に来朝され、片腕として功績がありました。西暦842年10月23日、成仏され、石棺で済渡寺に葬られました。白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られます。 山主敬白 と書いてあります。
白龍殿の後ろにある白龍の塚
本殿 遠景
本殿 正面左側から
石柱 本尊 子安観音大菩薩 と書いてあります
水鉢にハスが一輪、花を付けていました
観音菩薩像
白龍塚と白龍門 遠景
弘法大師・空海は804年に遣唐使船で唐に渡り、真言密教を学び806年に帰国。このとき白龍も随行して来たということでしょう。時は奈良時代から平安時代に変わったころ、今から1200年以上も前のことです。この地にいつ来たかはわかりませんが、36年間、日本で過ごしたことになります。白龍はこの法曽の地で焼き物の技術を伝えたとあります。
しかし、いくらネットで探しても白龍のことは何もでてきません。まさに伝説の人ですね。
サルスベリと白龍門
望遠で見る白龍門
空海が創建したといわれる済渡寺、子安観音、女人高野からてっきり真言宗のお寺だと思い込んでいましたが、実は禅宗の曹洞宗だと知ってびっくり。いつから宗旨が変わったのかそのいきさつを知りたいと思いました
前回の、鳴滝、夢すき公園に続く
新見市の観光スポットを巡っています。本日最後の目的地、済渡寺を訪ねました。国道を下りもうすぐ高梁市というところで、目立つ大きな案内板があります。ここを右折して山道に入っていきます。
離合が難しいところや、工事中のところもあって、運転には慎重を要しました。
女人高野 済渡禅寺と書かれた石柱
弁天池にはスイレンがびっしり 黄色やピンクと華やかです
薄い黄色と白のスイレン 清楚で鮮やか
梵鐘 第二次世界大戦に供出されましたが無事に戻ってきたそうです
仁王門と枝垂れ桜
道案内の標識が出ているので、よく見て進めば問題ないのですが、うっかり見過ごすと大変なことになります。ナビの目的地とは違う順路となっていますので、注意が必要です。実は一度間違って引き返すはめになってしまいました。
第一駐車場は広くてゆったり、参道を下るとすぐに女人高野の標柱が迎えてくれます。坂道をさらに下ると、左手に弁天池、鐘楼があり、枝垂れ桜が覆う風情ある仁王門が寺院の歴史を感じさせてくれるようです。
境内が見えてきました 手前が白龍門です
「お参りについて 弘法大師様と共に唐から来朝され功績があった白龍様、白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られますのでお参りください 令和三年吉祥日 山主敬白」と書かれています。
美しい千本鳥居・白龍門 下に下って白龍殿に続いています
もう少しアップで
それぞれの門に取り付けられた桃の彫刻
真正面から奥を覗くとなんだか不思議な感覚が襲ってきます
そして、白い鳥居の白龍門が見えてきます。個人的には数年ぶりの訪問ですが、白亜の千本鳥居はとてもきれいに管理されていました。夏の青空と、白い鳥居のコントラストがとても鮮明でインパクトを感じます。
鳥居は78基、正面中央に取り付けられた桃の意匠が何ともかわいいですね。鳥居の幅は、人が一人通れる広さです。きっちり前方を見下ろすと、鳥居が連なり異次元の世界に飛び込んだようです。
鳥居を進み、90度折れたところで行きつくのが白龍殿です。白龍門の入り口の紹介文には、842年10月23日に成仏し石棺で済渡寺に葬られたとか。白龍殿の後ろにあるのが塚でしょうか。
向日葵が咲いていました
花ショウブが一株残っていました
正面が白龍殿です
白龍様について 白龍様は唐(中国)に生まれたお方です。唐で弘法大師様と親交があり、大師様と親交があり、大師様と共に来朝され、片腕として功績がありました。西暦842年10月23日、成仏され、石棺で済渡寺に葬られました。白龍大権現様を信仰する方々には諸願成就幸福が得られます。 山主敬白 と書いてあります。
白龍殿の後ろにある白龍の塚
本殿 遠景
本殿 正面左側から
石柱 本尊 子安観音大菩薩 と書いてあります
水鉢にハスが一輪、花を付けていました
観音菩薩像
白龍塚と白龍門 遠景
弘法大師・空海は804年に遣唐使船で唐に渡り、真言密教を学び806年に帰国。このとき白龍も随行して来たということでしょう。時は奈良時代から平安時代に変わったころ、今から1200年以上も前のことです。この地にいつ来たかはわかりませんが、36年間、日本で過ごしたことになります。白龍はこの法曽の地で焼き物の技術を伝えたとあります。
しかし、いくらネットで探しても白龍のことは何もでてきません。まさに伝説の人ですね。
サルスベリと白龍門
望遠で見る白龍門
空海が創建したといわれる済渡寺、子安観音、女人高野からてっきり真言宗のお寺だと思い込んでいましたが、実は禅宗の曹洞宗だと知ってびっくり。いつから宗旨が変わったのかそのいきさつを知りたいと思いました
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