12月4日の月曜日に京都岡崎のみやこめっせ地下1階にある「京都伝統産業ふれあい館」で、「まねき看板を書く」ワークショップが開催されました。先着15名の定員。ミモロは、早めに行って「よかった~参加できる~」と大喜び。
さて「まねき看板」というのは、京都「南座」の顔見世興業の時に正面に掲げられる出演者などの名前を書いた看板のこと。
まずワークショップでは、「まねき看板」の歴史などのお話を伺います。
この看板のもとになっているのは、江戸時代、中村座の座元に客の入りがよくなる方法を頼まれ、考え出した書体で、岡崎屋勘六が創始し、その書体は、「勘亭流」といわれます。
この書体の看板を掲げたところ、客の入りがよくなったことから、縁起がいい書体として広く用いられるようになったそう。
その後、明治時代に松竹が、京都で顔見世興業を再興させたところ、当時、京都には、看板を書ける職人がおらず、そのため、大阪で活躍していた「勘亭流」で修業をしていた竹田猪八郎という職人をのれん分けという形で、京都に招くことに。
松竹所属となった竹田猪八郎は、本来の「勘亭流」の書体をもとに、大きな看板でより目立つ太い文字で隙間のすくない現在の書体を創作してゆきます。その書体は「まねき文字」と呼ばれ、京都の「南座」の「顔見世興業」の時にだけ見ることができる看板で、京都の風物詩のひとつになっているのです。
向かって右が「勘亭流」の文字。左の太めな文字が「まねき文字」です。
いよいよ実際に「まねき看板」を書いていただきます。ミモロは、だれよりもそばでその様子を見学します。
「わ~すごい、下書きなくても、どんどん書けちゃうんだ~」と、その筆運びのスムーズさにビックリ。
実演をしてくださったのは、「まねき看板」を創始して、4代目となる井上優さん。
むずかしい文字も簡単に仕上げます。
完成した看板。八代目を襲名する中村芝翫と書いていただきました。
「さぁ、今度は、みなさん実際に書いてみましょう~」と井上さん。
「できるかな~」とちょっと心配そうなミモロ。
「どうしよう~」と練習用の下書きを前に、呆然としています。
「う~お習字あんまり得意じゃないし~」
「まねき文字は、お習字とは全然違うんですよ。どちらかというとデザイン性が高いもので、お習字のように筆順なんかにこだわらなくていいんです」と。
「筆にたっぷり墨を含めて、塗り込めるように描きます。後で形を直しますから、初めは気にしないで書いてくださいね」とのアドバイス。
「まねき文字」の場合、美しく見えるポイントは、文字の間の白い隙間をどう作るかです。遠くから見る看板。見る人が、その文字を認識できるようにデフォルメされたり、省略したり・・・まさにデザインするような書体です。
「できた~」と井上さんのアドバイスにしたがい、ミモロは、練習用の文字を書くことができました。
「寿・福・戌」の三文字です。いぬの文字も上手に書けたネコのミモロです。
練習後は、ミニまねき看板を描きます。
「これに文字書くんだって~」
「あの~みもろって書いてもらえませんか?」と、この日、指導をしてくださった職人さんにお願いします。
「ひらがなは、むずかしいんです」
そう、まねき看板は、漢字が多く、ひらがなだけが並ぶのは、めったにないのだそう。
無理やりお願いして書いていただいたミモロ。
ずるい~ミモロ。
さて、本物の「まねき看板」は、興業が終わると下ろされ、そのヒノキの看板は、文字の部分を削って、次の年にその上に新たに文字を書くのだそう。「だんだん看板は薄くなっていきます~」と。「材料大切に使うんだ~」と、そんなことにも感心するミモロです。
「まねき看板」がかかる「ロームシアター京都」顔見世興業は、12月18日までです。
「まねき看板の見方が変わるね~」と、また貴重な体験をしたミモロでした。
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