「出港!」とミモロが乗り込んだのは「雲海丸」という「東京水産大学(当時)」の海洋練習船です。
さて、今日お話しするのは、昨年冬に東京に行ったとき、訪れた港区芝にある「東京海洋大学」の大学博物館のお話です。
さて、まずその歴史から…
「東京海洋大学」は、平成15年「東京商船大学」と「東京水産大学」が統合し設立された国立大学です。
「東京商船大学」は、明治11年に設立された「私立三菱商船学校」と前身に、主に、船舶運航の高度な専門教育機関として発展。
一方「東京水産大学」は、明治21年に設立された「大日本水産会水産伝習所」を前身に、漁業を守り、促進する農林省の管轄で、その後、文部省の所管となり本格的に海の生物。環境などの研究調査が行わることに。
つまり「東京海洋大学」は、いままで、海に対し2つの異なる関わり方をしていた大学が、トータルに「海」にアプローチしていくために生まれたといえるかもしれません。
今回、ミモロが「東京海洋大学」を訪れた目的は、実は、ミモロのママのパパが、生前、この大学と深い関係があり、それを知る先生などにお目にかかるためでした。
まぁ、そのお話は、折々…。
元東京水産大学だった敷地にある広いキャンパスの大学の一角に大学博物館「東京海洋大学 マリンサイエンスミュージアム」があります。
その歴史は、古く明治35年(1902)の農商務省水産講習所の越中島校舎にあった標本室がルーツだそう。
関東大震災で焼失後、再建。しかし昭和21年にGHQに接収。昭和25年に「東京水産大学」付属水産博物館として復活。
さまざまな社会事情の中、多くの貴重な資料などは紛失したそうですが、平成17年に、多くの海洋調査や研究の資料や標本などを大切に保管収蔵していた人たちの力で、博物館施設としての指定を受けることになりました。
「さぁ、ミモロちゃん、中に入ってみましょう~」と、この日、ミモロにいろんなお話をしてくださった皆さんとご一緒に、博物館を見学します。
「帆船だ~」
ミュージアムの入口付近の展示されるのは、「雲鷹丸」という元東京水産大学の2代目の練習船の模型です。
この船は、明治42年から昭和4年まで20年にわたり33回の航海をし、捕鯨実習をはじめ、漁業調査、漁撈技術をはじめ、船上で漁獲したものを処理する技術を発展さて、船上でカニ缶詰製造に成功。のちの大型蟹工船の先駆けになった船です。
「え~この船のおかげで、カニ缶食べられるんだ~」とミモロ。
漁業の国である日本で、その海の恵みをいただくために、多くの技術が生まれているのを改めに知ることに…。
「さぁ、2階へ」と促され、階段を上ります。
「なんか変わった手すりの飾り…」とミモロがよく見ると、それは大きな魚の顎の骨。「キャ~ミモロなんかひとのみされちゃうね~」と、ネコといえども自分より大きな魚には震えます。
2階の入口には、歴代の練習船の模型が展示されています。
太平洋をメインに、ガラパゴス、南極などを調査した練習船たちの姿が…
主に日本周辺の海の調査・研究を行った「神鷹丸」
「あ、この船知ってるもん…」とミモロが駆け寄るのは…
「東京水産大学」時代から南極の海の調査を行う「海鷹丸」です。
当時「海鷹丸」は、南極観測船「宗谷」の後方支援を行う役割を担い南氷洋に入ります。昭和32年の冬のこと。
南極の昭和基地を目指す「宗谷」は、途中氷に閉ざされて身動きができなくなりってしまいます。後方支援の「海鷹丸」は、氷に閉じ込められた「宗谷」に物資を送ると共に、偶然、そばを航行していた当時ソ連船籍の「オビ号」に支援も求めます。それに応じ、砕氷能力に優れた「オビ号」が、「宗谷」を氷から救い出してくれたのです。
そして、無事に運航できるようになった「宗谷」の姿を見届けると、その場から去った「オビ号」。この話は、日本の南極観測にまつわる話として有名です。
「その時のソ連の船長さんたちかっこいいね~人道支援ってヤツ!」とミモロ。やっぱりかっこいい海の男たちなのです。
実は、ミモロのママのパパは、その時、「海鷹丸」の首席航海士として船長と共にいたのです。
「もっといろんなお話聞きたいね~」というミモロ。
南極観測に係わる資料なども多く展示されています。
さぁ、もっと博物館の中を見学しましょうね。「は~い」とミモロは、うれしそうに展示室をめぐります。
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