10月14日は、東山蹴上の「粟田神社」の「神幸祭」。ミモロが、京都に暮らし始めたから、ずっとお付き合いしている氏子さんたちのお祭りです。
この祭りは、一千年の歴史があり、室町時代に祇園祭が斎行できなかったときには、この祭りをもって代わりにされたと伝えられます。
「神幸祭」は、神輿に先駆け剣鉾が、氏子町を巡行し、町を浄めてゆきます。そして、それに続き、神輿が町を巡ります。
ミモロも神輿会の方に作っていただいた半被を着て、神輿のそばに。
すでに何年も祭りに参加しているミモロは、神輿の担ぎ手の方々にも知られる存在。
みんなと一緒の半被姿で進みます。
「あ、ミモロちゃん~今年もがんばってるんだ~」と、顔馴染みの神輿の担ぎ手の方々。
「まぁね~」と、鼻を膨らませて答えます。
京都は神社が多く、つまり祭りもたくさんあります。特に、春と秋は、各所で週末に祭りが行われ、神輿の担ぎ手は大忙し。神輿を担ぐには、100名以上の人が必要。そのため、氏子町だけでは、担ぎ手が足らず、京都各所から担ぎ手が協力しあって祭りを斎行するのです。
京都に暮らす人たちは、祭りを通じ、付き合いを深めます。子供のころから参加して、年長のお兄さんや怖そうなおじさんたちといっしょにすごすことで、子供達は、社会を学んでゆくことができます。親以外の人に怒られたり、褒められたり…そういう縦関係を学ぶ素晴らしい機会が祭りだと思います。
京都は、よそ者に閉鎖的な町と言われますが、京都人は、いっしょに行動を共にして、その人の人柄を見極めておつきあいしてるのだと感じます。一度、親しくなると、本当にやさしい京都人。ミモロも多くの方に可愛がっていただいています。
さぁ、神輿が境内を出て、氏子町を巡りはじめます。
巡行の行列で馬にのる「粟田神社」の佐々貴宮司様。
夕方まで、神輿と共に進みます。
神輿が巡行する範囲は、明確に決まっていて、他の神社の氏子町には、決して入ることはありません。
神輿を先導する太鼓を載せた車は、女性たちが担当。「ミモロも乗りた~い」とちょっと乗せてもらいました。
神輿がめぐる町には、いろいろなおもてなしも。
「ミモロちゃん、お餅どうぞ~」と。「え~まだ、ミモロなんにもしてないから後でね~」と遠慮するミモロ。
神輿が通る沿道には、京都でさまざまな体験ツアーをおこなっている「まいまい京都」の方の姿も。ミモロの何度も参加したことがある楽しいツアーです。この日は、「粟田神社の祭りを体験するツアー」で、20人ほどの方が参加されていました。
「ミモロちゃんのブログもよく見てますよ~」と。京都の有名な祭り以外にも、魅力的な祭りを巡るツアーは、人気です。「ほかにもすごく興味深い京都ツアーがあるんだ~、でも最近人気で、なかなか参加できないの~」とミモロ。そう、現在は、申込み多数の場合が多く、抽選になっています。
「あれ?今日は、御神輿担がないの?」と、沿道でバッタリ出会った前原議員に伺うミモロ。
「すぐに東京戻らないといけないから…」と。国会が開催してるために、とんぼ返り。でも、京都の地元の祭りを大切にする前原さんです。
ミモロは、神輿と共にしばらく歩いた後、「剣鉾も応援しなくちゃ~」と急ぎ、剣鉾装束に着替えます。
「あ、来た~」三条通にカ~ンカ~ンと鈴の音が響きます。
神社の境内で練習を重ねた差し手たちが、見事にさし上げる剣鉾です。
ミモロは、剣鉾の装束で、一緒にしばらく歩きます。
ミモロは、「大燈呂」「剣鉾」「神輿」の3種類の装束を着替えて参加。「すごく忙しい~」と。当たり前です。全部に参加している人はいませんから…。
「あ、たっちゃんお兄ちゃん~」「お、ミモロちゃん、ここにいたんだ~」
背広姿のお兄ちゃんは、ミモロが京都に暮らし始めてからのお友達。「もう祭りの役員さんになったんだ~」と、時間が過ぎたことを痛感。祭りを斎行するためには、若手の役員の存在が不可欠です。どうしても高齢化してゆく祭りの役員。次の時代に受け継ぐためには、さまざまな年齢層の人の参加を促しています。
「あ、まだお餅ある~頂いちゃおう~」とミモロは、お餅をひとつ食べてから、また祭りを追いかけてゆきました。
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