鼎子堂(Teishi-Do)

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訃報・宮尾登美子さん

2015-01-07 22:50:25 | Weblog

七草。

昨夜より強風の吹き荒れる寒い中、家人と都内へ観劇。

今日は、久々に、当ブログの看板になっている『演劇』について書こうかなと思っていた処、帰宅して、某国営放送の19時のニュースをみていたら、作家の宮尾登美子さんが、亡くなられた報道をしていた(・・・それなので、劇評は、明日以降に書く予定である)。


遅咲きの作家生活で、書きたいテーマがまだまだあって、それまで、命が続くかどうか・・・と或るインタヴューで、お答えになっていた。

構想中や未完のものを含めると、まだまだ書き足りなかったのではないだろうか・・・?

私は、宮尾氏の『一絃の琴』を読んだのが、宮尾文学へのスタートだった。

あの頃、まだ20代への入り口だったにも関わらず、若さもなく、いつも閉塞感に包まれていて、脱出したいけれど、それができず、きっかけさえ掴めず、ただ、暗闇の中、砂を噛むような味気ない生活をしていた時期でもあった。

夢中になって読んだ。

その後、ご自身の生家の娼妓紹介業・・・所謂、女衒(ぜげん)の父親、その正妻、異母兄達、そして、売買された娼妓たちの世界を描いた『陽暉楼』、『鬼龍院花子の生涯』。

歴史小説への転換を遂げた『天璋院篤姫』、『宮尾本 平家物語』、『東福門院和子の涙』。

市井の女性の姿描く『菊亭八百善の人びと』。

芸術の分野では、日本初の女性での文化勲章受章者・上村松園をモデルとした『序の舞』、香道について、この書で始めて知った『伽羅の香』、歌舞伎の世界『きのね』など、読んでも、読んでも、読み足りない。
この作家の作品で、異質な『クレオパトラ』など、新分野の開拓も次々に行った。

宮尾登美子の描く女達は、寡黙であり、控えめであり、忍耐強い。

何も掴めず、ただ虚しく時を過ごさざるを得なかった私にとって、彼女の作品は、生きる希望にもなった。

或る時、もう生きているのがイヤになって、いっそ、死んでしまおうか・・・と思っていた時期があった・・・(今でも、時々、そんな気分になるけれど)。

でも・・・もう1冊・・・宮尾登美子の新作が、単行本になって、それを読むまでは、死なない・・・と。
そして、その1冊を読み終わると、コレが、ドラマになるのを見たい・・・それを見てから死んでも遅くないだろう・・・と。

そんな日々が、10年以上づついたような気がする。

けして、読みやすいとは言い難い粘っこい文章(ある人は、これを格調高く、品位のある・・・と表現しているけれど、イヤイヤ・・・そんなものではない)を一度読んでみるといい。

物語の酒に泥酔したような・・・そんな作品群は、綺羅星の如く輝きを放っている。


ご冥福を心よりお祈りし、作品にふれることができたことを感謝してやみません。