友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

怒りで人は的を射る

2007年02月02日 22時04分50秒 | Weblog
柳沢厚生労働大臣の「女は産む機械」の発言に対して、友人がこんな「怒り」の記事を書いていた。

 ▽1.結婚してから数ヶ月。妻から「できたみたい」との言葉に本当かどうかも分からないのに大喜び。月日が経つにつれ、体型はみっともないほどふくれ上がる。だがそれ以上に、生命の神秘さを感じる。ふっくらとしたお腹に触ると、胎児の鼓動が手に伝わる。体内で暴れる胎児の動きも手に伝わるようになる。
 こんな素晴らしいお腹を持つ女性を厚労相が「女性は子供を産む機械」と発言したとのニュースが・・・。何と腹立たしい発言だ。このお腹には、体温もある。不規則にうごめいている。生命の誕生の腹だ。これを感じない人が政治ができるのだろうか。男が恋するのは機械か。恋いもしたこともなく、お金で買える機械を買って遊んだ人生なのだろう。
 学生時代、ある娘が電車の中で、本人の赤ん坊時代の写真を僕に見せ、「こんな子なら、産んであげるよ」と。僕は「・・・」。何も答えられなかった。それから、4年後、結婚。躍動感溢れる、暖かい大きなお腹に触れた。決して機械ではない。それは生命の泉の立派な「お腹」だ。

 それでも「怒り」は治まらなかったのか、続けてこんなジョークも書いていた。

 ▽2.今は昔、
 柳沢某と言うサイボークが居たそうな。彼は百発百中の超精巧なピストルを持っていたという巷のウワサがあった。彼は夜な夜な、歓楽街遊んだ。その結果、サイボークと夜を友にした相手は皆身ごもった。彼のピストルは製造マシンであった。
 そのサイボークは、皆に「おろせ、おろせ」と迫った。

    今は今、
 世間では、厚生労働省の大臣に「降りろ、降りろ」と言っている。大臣の監督責任者である安倍某総理大臣は野党から「おろせ、おろせ」と迫られている。総理大臣の立場からは、母体保護法の観点から「おろす」ことができるわけがない。

 彼は私のブログの先輩で、「これからはホームページの時代ではなく、ブログを始めるべきだ」と勧めてくれた。彼のブログは犬の話や本の紹介やらで、自分の意見を述べることはあまり無かった。自己主張の多い私としてはそれがなんとも物足りない思いであった。もちろん、そのこと自体は、おっとりとしたお坊ちゃま育ちである彼らしさの表れであって、それはまた彼の良さでもある。決して人を非難したり罵倒することの無い彼が、ものの見事に「柳沢発言」をとらえている。
 仮にも「男女共同参画」を担当する大臣である。辞任して当然であるし、国会議員としても居座ることは恥ずかしいことだ。  

 
コメント
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